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    修治修治
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    AlexaにThe Alan Parsons ProjectのDon't Answer MeをリクエストしたらQueenのDon't Stop Me Nowがかかった…
    俺の英語の発音はメチャクチャだから仕方ない。

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    僕も同じ。
    何の映画か忘れたけれど、そのタイトルを言うとAlexaが「Amazon musicで〜」と、この曲を再生します。
    その後も何度かトライしましたが、毎回チョイスするので諦めました。

    でも、聴いてみたらハマってしまい、最近ではブリティッシュロックに混ざりながらヘビロテ中です。
    この手の曲も、たまにはいいですね。

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    先週はアル・パチーノ週間でした。

    スカーフェイス
    公開当初は酷評された作品ですが、今ではマイアミ州の観光収益にも一役買うほどで、大衆からは熱狂的支持を得ている作品。
    自分の信念を曲げずにトコトンまで突き進むトニーの姿は、爽快だが序盤から死の影が見え隠れする。
    きっと上手くは行かないとわかっていて、悲惨な結末が待っていると予想出来ても一歩も引かない。
    最後の大暴れするシーンは、暴発し転落していく人間を描いた作品の中でも珠玉の出来。

    カリートの道
    多分だけれど、コロナ禍前後で観た幾つかの日本映画は、この作品を参考にしていると思う。
    だから、結末が読めた作品もいくつかあったし、オマージュという便利な言葉を使っても本作品を超えるものはなかった。

    恋のためらい/フランキーとジョニー
    久しぶりに観たけれど、アル・パチーノが演じれば単なるラブコメも、ラブコメに収まらないという見本の様な作品でした。

    自己紹介で「リバティバランスを射った男です」や、食事中に倒れた客を介抱している最中に「今夜デートしてくれ」と口説いたり、舞台のリメイクらしく会話が練られている印象が強い。
    ミシェル・ファイファーの、ちょっとした仕草もよかった。
    ジョニーがスカッシュをプレーしているところを眺めながら、紙カップの縁をガリガリ噛んでいるところが好きで、このシーンだけは繰り返し観ている。

    今更だけれど、アル・パチーノは、いつの時代も、どの役柄も素晴らしい感動を提供してくれる稀有な役者です。
    ただ、悪魔役だけは『エンゼル・ハート』のデ・ニーロの方が好きだけど、これは好みの問題。

    3
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    右の「ユリイカ」は、先週Amazonで購入。
    何度か見かけた事はあったけど、状態可でも一万円越えばかりで、中々手が出せなかったものが千円!
    詩や批評が中心の雑誌なので不安はあったけれど、掲載されている内容は満足出来るものでした。

    ケルアックが『路上』を発表する前の作品が多く掲載されていて、ブレイクする前の、ホーボーだった頃の日常を知ることが出来ます。
    因みに、今月の『ユリイカ』はポール・オースター。

    ヒップスターやカットアップなどの言葉を現代の作家で使う人はいないだろう。
    佐野元春の歌に「ヒップな稲妻に、心うちふるわせて」という一節がある『ハート・ビート』という曲があるが、当時は「お尻の様な、ふくよかな稲妻」だと思っていた。
    村上春樹の小説『スプートニクの恋人』も、三島の短編『月』もビートニク(昭和42年頃はビート族と呼ばれていた)に影響されて書かれたものだが、どちらも好きな作品です。
    というより、偏っているんです。趣味が。


    先日、常に文庫を持ち歩いている若い社員に、『幽霊たち』を薦めてみた。
    オースターが亡くなった事も知らない彼女は早速読んだらしく、「村上春樹っぽいですね」との感想だった。
    いやいや、逆だよ。

    ビートニクを知らない世代も、この彼女の様に、知らないうちに読んだり聴いたりしている。
    元春を聞いていた中学生が『路上』を読んで目の前の霧が晴れた様に、真のオリジナルが広く認知されたらいいのになぁ。
    そうすれば、絶版のままの『禅ヒッピー』やコーソの詩集なども再販されるだろうし。

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    Netflixで話題の[地面師たち]を一気観した。

    「地面師」という言葉を初めて知った事件をベースにしていたので、配信前から期待していた。
    何故大手住宅メーカーが60億も騙し取られたのかが、当時はニュースを見ながら不思議だった。

    結果は予想以上の面白さだった。
    特に刑事役のリリー・フランキーを地面師の豊悦が追い詰めるシーンの恐ろしさは圧巻で、この物語の登場人物全てに当てはまる「正義という感情が殆ど無い人間」を象徴しているシーンでもある。

    「人が追い詰められた時は、実にいい表情をしますね」

    知らないうちに他人の心に入り込むテクニック
    信じてしまう、という一線を越えた被害者側にも問題はある。
    これは宗教も少数のコミュニティも同じ。
    だが、そこから引き返す事だって出来る。
    そのためには対象を観察する事と、(大した事ではないが、どうしても気になる)という些細な違和感を信じる事だろうなぁ。

    ということで、
    お盆休みの22:00
    人のいないジムで、自分で自分を追い詰めます。

    5
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    バニシング・ポイント
    中学生の頃に観たはずなのに、広大な土地をダッヂが白煙を上げて疾走するシーンと、素っ裸のバイカーしか憶えていなかった。
    でも、それで正解の作品。
    最後のシーン
    パワーシャベルの隙間に一瞬見える夕日。
    昏れの景色と爆発が重なり悲しくなる名場面。
    主人公コワルスキーの逃走劇を観終わった観客は、時折挿入される回想シーンを反芻しながら、何が彼を暴走させたかを余韻の中で整理すればいい。
    そんな作品ですね。
    ただ、タランティーノを筆頭に、様々な作品に影響を与えている本作だけれど、つまらなく感じる人もいるだろうとは思う。


    大空港
    当時のスターが大勢出演しているだけで満足。

    ストーリーは大雪の空港で旅客機が脱輪する事から始まるが、騒音問題や無賃搭乗など、中々風刺の効いた凝った作りになっている。
    空港長役のバート・ランカスターや、気性は激しいが空港長が絶大な信頼を寄せているジョージ・ケネディ、ジーン・セバーグ演じるクレバーな秘書など、個々のキャラクターがしっかりしているので、パニック映画というより群像劇として観た方がいい作品。


    ツイン・ピークス
    若い頃に熱中した作品がアマプラにあったので。
    日本のドラマでもモノマネ作品が幾つか作られたが、これを超えるものはなかった。
    リンチお気に入りのマクラクラン主演でも、ブルー・ベルベットよりわかりやすいし、ストーリーに花を添える山間の街の「変人」を観ているだけでも楽しめる。
    というより、ブルー〜は今観てもサッパリお手上げ。

    話は逸れるが、難解ではあるけれど中毒性の高いマルホランド・ドライブの4Kが来月公開されるらしい。
    ベティとリタ、最初に現れる老夫婦、現実なのか妄想なのか、ファンタジーなのかサスペンスなのか。
    ララ・ランドのリンチ版
    こちらも楽しみです。

    他人の意見に左右されず、少しでも気になる作品があれば観た方がいい。
    蓮實重彦さんなどのトップレベルの評論家だって、口を揃えて、「何も考えず、ただ観るだけでいい」って書いているのだから。

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    修治修治
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    ゴッドファーザーpart2ラストの回想シーン。初めてコレを観た時にコッポラは天才だと思ったな...
    〝疑心暗鬼になり、図らずも自らの手でファミリーを壊滅状態にしてしまったマイケル〟を観てきた観客達は...まだファミリーが結束しており平穏であり、皆が幸せだった頃のシーンをラストに観させられる事で、物語の悲劇性と残酷さを再認識させられ、強い印象を心に刻まれる。

    ヴィトーの誕生日のケーキ🎂を運んで来るのは、ドンの青年期からの盟友であるにも関わらず、バルジーニに寝返り身内に粛清される事となるテシオだ。

    コニーの主人だが、ファミリービジネスに加えてもらえず、心の内に不満を抱えている事を敵方に見抜かれ利用され、コニーには暴力をふるい、コニーの兄ソニーには痛めつけられ、ファミリーを裏切りソニーが死ぬ原因を作り、最終的にはマイケルに粛清されるカルロは...このシーンではソニーの友人として、パーティーに幸せそうに加わっている。

    ヴィトーに愛されつつも、短気で短絡的な思考から、ドンの器としては今一つの評価だったソニーは、道路の料金所でマシンガンで蜂の巣にされて死ぬ。

    マイケルが自らの意思で徴兵される事を選んだ事を、家族の中で唯一〝お前の事を誇りに思う〟と認めてくれたフレドは、あろう事か、ドンになったマイケルの手によって湖上で射殺される。

    そしてファミリーを守ろうとするあまり、多くの身内を失い、手にもかけ、憔悴しきってラストでは沈痛な表情でベンチに腰掛けるマイケル。

    このドンの誕生会のシーンをラスト間際に差し込む事で、ゴッドファーザーpart2は一作目をも越える圧巻のエンディングになったと思っている。

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    ダイニングたった1人だけのマイケル

    このラストシーンの余韻の中にフレドを思い出すのは、決して僕だけではないはず。

    パート1も含め、こういう美しくも切ない作品を通して人間を知るという体験を、幸運にも子供の頃に体験した。

    そう思うと、ゴッドファーザーが映画にのめり込むキッカケだったと思う。

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  • No fun
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    酷評されているパート3のみ再視聴したが、そこまで酷い作品とはおもわなかった。

    オープニングはパート1同様に、ゴッド・ファーザーへの依頼事から始まる。
    ただ、パート1は友情を元にしていたが、パート3はバチカンの不正会計を背景にしているが、宗教的メッセージはさほど感じない。
    クライマックスの粛清だが、パート1の洗礼プラス敵対する人物の粛清と、オペラ観劇プラス暗殺という、中々エモーショナルな演出の対比は面白いのだか、一作目の殺しの方が確実性が高く、観劇中にライフルで狙うなどやや雑な印象も感じられる。

    本作では過去を悔いるマイケルが所々でフォーカスされている。
    しかしこの物語の重要なポイントは、本質的な罪の救済など出来ないという事です。
    コニーの「湖で〝溺れ死んだ″フレドは可哀想」という台詞もあったが、このシーンのタリア・シャイアは白眉。

    しかし、パート2からの大きな変化は、ケイとコニーが強い女性に変わっていることです。
    特にコニーには、ヒステリックでメソメソしていた面影はない。
    むしろ、マイケルよりも非情で落ち着いている。
    これが最後までしっかり効いている。

    正直なところ微妙な作品ではあるが、美しさと儚さを見事に融合させた静かなエンディングは、三部作を締めくくにはこれ以上ない出来だと思う。