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    #1585『山崎怜奈論 Break a leg』前編

    2022年6月13日(月)13:01
    TOKYO FMの生放送にて
    山崎怜奈、乃木坂46卒業が発表された。

    彼女がその決断に至る迄の3年間を振り返ると共に、これからの山崎怜奈の航海にエールを。

    (2021.9月改訂版)

    人気アイドルグループ『乃木坂46』を大きく2つに分けると、それは「選抜・アンダー」という枠組みになるだろう。「選抜」という存在は主に「メディア組」でTVのレギュラー番組、そして音楽番組に呼ばれる組のこと。そして「アンダー」はそれ以外での活動、または選抜の代打出演を担当する。だが、その根底を覆したメンバーが居る。それが山崎怜奈である。これまで「選抜=メディア組」であった定説を、アンダーである彼女がひっくり返したのだ。彼女は如何にして今のポジションへと辿り着いたのか。その歴史を紐解いて行く事にする。

    そんな山崎怜奈は約3年前、
    乃木坂46を辞めようと決意を固めていた。


    山崎怜奈。1997年5月21日(25歳)
    東京都出身。慶應義塾大学卒業。
    乃木坂46第2期生。れなち・ザキさん。
    2022年7月17日を以て乃木坂46を卒業。

    2013年3月、乃木坂46第2期生オーディションに合格。だが当時は研究生からのスタート。自分のキャラじゃないけど客観的に人気が出るのは「アイドルらしく」居る事。その為の努力は何でもした。時に同期から「ザキはあざといね」と言われる程に。彼女もまた王道アイドルを目指していた。そして2年後に正規メンバーへと昇格出来たものの、アンダーでの恒例のポジションは3列目の一番端。それでも頑張ろうと思った。大好きな勉学もちゃんと努力すれば頑張った分だけ結果は必ず付いてくる、そう信じてたから。そして2017年3月、念願だったアンダー初フロントに選ばれた。握手会でも全30部をフル完売する事が出来た。ようやく乃木坂の活動に少しだけ自信を持てた瞬間であった。

    そんな矢先のこと。

    2018年1月アンダーベストAlbum「僕だけの君」の個別握手会。その全会場で全完売を達成したのは寺田蘭世・山崎怜奈の2名であった。そして、同年4月の20th.Single「シンクロニシティ」にて寺田蘭世は選抜復帰。だが、山崎怜奈の名前は呼ばれる事は無かった。乃木坂に入って、初めて完全に心が折れた。自分に出来る事は何でも取り組み、握手会で結果も出したのにその努力は報われず目の前のボーダーを越える事は出来なかった。何が正解か分からなくなった。ただ思うのは「私は乃木坂に必要のない人間なんだ」という自己否定。同期の渡辺みり愛に泣きながら相談した事もあった。眠れぬ夜も続き、悩んだ末に出した答えは「卒業」の選択肢だった。それを運営にも伝え許可を貰い、当時大学3年生であった為、一年後の就職活動に向けて情報収集や資料を集める程その決意は固まっていた。そして2019年、乃木坂46の4th.Album「今が思い出になるまで」ではいずれの収録曲にも呼ばれず。その頃には悔しさより「参加してないのに宣伝だけしてる私って何なんだろう」と虚しさだけが漂っていた。そして気付いた。私は乃木坂でもなくアンダーでもない"じゃない方"なんだと。

    だが救いの糸が舞い下りる。2019年5月、ひかりTVにて初の冠番組「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」がスタートした。この番組の話がなかったら、卒業発表していたと語る。趣味にしていた歴史の番組MCを担当出来る喜び、そして何よりこんな私を必要としてくれる番組スタッフへの恩返しがしたいと、一回一回の収録の準備を寝る間も惜しんで取り組んだ。番組は一年に渡って続き、終了後も同スタッフと共に「乃木坂46山崎怜奈とおはつちゃん」がスタートし徐々に山崎怜奈=MCとしてのイメージが定着する。

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

  • みっつぁん
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    #1586『山崎怜奈論 Break a leg』後編

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

    2022年現在。山崎怜奈の現在のレギュラー番組はTOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」が週に4本、CBCラジオの箱番組「乃木坂46山崎怜奈の推しの1コマ」、テレビ朝日「春菜ザキさんのただの通販じゃねーよ!」、そして準レギュラーとも言えるテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」。つまり週7本のレギュラー出演をこなしており、まさに乃木坂のメディア組筆頭とも言える存在になった。加え2021年2月には初の書籍「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」を発売。6月には27th.Singleのアンダー楽曲「錆びたコンパス」で初のアンダーセンターを担当。そして8月Hanako.tokyoにてエッセイ「乃木坂46山崎怜奈の言葉のおすそわけ」、2022年1月幻冬舎plus「山崎怜奈と「学ぶ」を考える」の連載を開始した。筆者はこの経歴を書きながら改めて感じた、今の山崎怜奈はどう考えても「売れっ子」のスケジュールであると。


    それでも彼女は一度も"選抜入り"を果たせなかった。では何故、アンダーであった山崎怜奈がここまでの大躍進を成し得たのか?それは、彼女の「愚直なまでの好きという趣味への"探究心"」と「圧倒的な"準備力とレスポンス力"」の2点であると考えられる。今ここに辿り着いた山崎怜奈は、新たな武器を見つけ磨き上げ独自路線を開拓したというより、元々あった「歴史・クイズ・ラジオ」という趣味に傾倒する道を選んだという言い方が正しいのかもしれない。より等身大を曝け出す事で。勿論、ここに辿り着くまでには多くのトライ&エラーを繰り返した。多い時で週25番組をチェックする程のラジオ好きな彼女はリアルタイムでトークアプリ755を更新し、それがきっかけとなり番組に呼ばれる機会も増え、それらの点は線となり、気が付けば昼ワイドのパーソナリティーを任され、今では多くのレジェンド達にも認められる程にラジオ界をザワつかせる期待の新星となっている。

    多人数グループであるが故の宿命「選抜=勝ち組」というこの15年の習わし。それは乃木坂46も例外ではなく「選抜メンバーとして運営に認められ活動し広くに顔と名前を売り、それがきっかけで個人としての仕事に繋がって行く」がこれまでの方程式であった様に思う。だが山崎怜奈は「決して選抜だけが、夢を叶えられる道ではない」と新たな生き方を提示してくれた。そんな彼女の功績は大きい。

    乃木坂46加入から9年半。今の山崎怜奈を見ていて思うこと。大切なのは、自分以外の何かになるのではなく、自分の持っている何かを追求する事。そして彼女の生き様は教えてくれる

    「立ち止まってるより 前へ進め」

    "かつての"じゃない方
    バナナマン設楽、オードリー若林
    南キャン山里、博多大吉、麒麟川島....
    今では揺ぎないポジションを確立しており
    寧ろ業界を牽引する存在にすら成っている。

    もしかしたら、彼女もまたそんな存在へと成り行くのではないだろうか。もしかしたら選抜、いやセンターが世間に与える影響を、今の彼女の活躍は成し得ていたのではないだろうか。私はそう確信している。

    山崎怜奈とは、下町の万華鏡。
    流行りじゃないけど価値あるもの
    多面性があり、色んな角度から見ると
    その本当の輝きに気付く。

    そしてその魅力は常に変わり続ける
    彼女が覗く景色は、きっと美しい。

    相変わらずめちゃくちゃ不器用でも
    どこにいようと何歳だろうと関係なく

    そのコンパスの先は、彼女らしく輝く。

  • みっつぁん
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    #1584『渡邉美穂論 pretend to be fine, but...』

    わがままと思いやり 胸の奥 綱引きしてる
    そんな彼女の本音と、日向坂への想い。

    渡邉美穂。日向坂46第2期生
    2000年2月24日(22歳)埼玉県出身
    7枚目シングル「僕なんか」の活動を以て
    日向坂46を卒業。
    2022年6月28日卒業セレモニーが開催。


    明るく活発な女の子だった。好きな言葉は「全力疾走」。特技のバスケットボールは小学校から高校まで10年間やっていた。キャプテンを務めチームを埼玉県ベスト8まで導いた。
    そんな彼女は幼少期より、密かに大好きだったアイドルになりたいと思っていた。だが親や友人など誰にも言えずにいた高3の夏、日向坂46の前身である「けやき坂46」の追加オーディション開催を耳にする。すると学校の三者面談の際、母親と担任の前で「芸能界を目指したい」と初めて口にした。突然の告白に母親は猛反対。だが夢を諦め切れない彼女は、オーディションと大学入試の準備を両立させる夏休みの計画書を作り1日12時間の勉強時間を約束し母親を説得した。そして2017年8月13日「けやき坂46の2期生」として加入する。

    僅かひと月後、そんな彼女にチャンスとも呼べる試練が訪れる。2017年10月20日放送開始のけやき坂46主演ドラマ「Re:Mind」に2期生から出演者を選ぶオーディションが実施され彼女が選ばれた。勿論これがドラマ初出演、だが十分なリハーサルの時間は取れず。そして何よりこの現場が先輩である1期生メンバーと初対面。演出家からはダメ出しの繰り返し。この時記された彼女のメモ帳には「つらい」「逃げたい」「辞めたい」の文字が並んでいた。
    傷付きやすい彼女を誰よりも心配していたのは母親であった。きっと芸能界に入ると辛い事が多い。出来るなら普通の道を歩んで欲しい。だから反対していた。そして彼女がけやき坂46に合格したあの日「お母さんは反対してた訳じゃないの。あなたの将来を心配してただけ。応援してるから」二人で寄り添い泣いた。そんな母の言葉を思い出す。その思いと共に彼女は芝居に取り組んだ。そしてクランクアップする頃には演じるやり甲斐を感じる様に。将来は女優さんになりたい、そう芽生え始めた。

    2018年2月12日、幕張メッセで2期生初のイベント「ひらがな2期生おもてなし会」が開催。2019年1月17日、けやき坂46として初のソロ写真集となる「陽だまり」が発売された。その頃の2期生は小坂菜緒・渡邉美穂の2トップ体制だった。2020年1月16日、日向坂46総出演のドラマ「DASADA」でも2人がW主演を務めた。
    だが、注目される度に目に飛び込んで来るSNSでの誹謗中傷が彼女を苦しめた。実際「日向坂46」に改名して以降、彼女の序列は下がっていった。

    「どうしても人気だったり、ポジションだったりがある世界で、それはわかっていたけど耐えられない時もあったんです。当時は周りの意見を気にし過ぎる性格だったので。
    今はどんなポジションになっても頑張って続けていれば何ヶ月後、何年後とかに絶対に結果に出てくると信じてやっています。
    やらないで文句を言うより、とにかくやってみて、結果がついてこなくても糧になると信じる、無駄なことでも全力でやるようにしています」

    彼女はその体育会系のキャラクターから堂々としてると誤解もされて来たが、本来は繊細で他人の事を優先する控え目な性格であった。

    月日は流れ、
    日向坂46念願の東京ドーム公演を終えた
    2022年4月3日、渡邉美穂は卒業を発表。
    メンバーには7枚目シングル選抜発表の場で初めて伝えた。「私の事で負担を掛けたくない」との理由で誰にも相談してなかった。

    今の私は感情を遮断しないと
    一個一個の事に全部泣いちゃうんです。
    嬉しいだけでもないし、寂しいもあるし...
    なんか不思議な気分です。
    でも卒業セレモニーの日には
    皆さんに「卒業おめでとう」と背中を押して頂けるように気持ちは整えておきます。

    夢はいつでも ここじゃないどこかにあるよ
一緒にいたら きっと叶わない

    「卒業のことは誰にも相談出来ず二年ぐらい前から考えていて。それでも決めた1番の理由は、女優さんへの道が全てを失ってでも進んでみたいと、ここ一年で思えるようになったから。
    ただやっぱり何よりも思うのは、本当に私、このグループに居たから、日向坂だったから、頂けていたお仕事っていうのも沢山あって。
    日向坂という場所が私に色んな物をもたらしてくれて、すごく感謝の気持ちでいっぱいです」

    卒業を決意した、私が私であるために。
    渡邉美穂はこれからも全力で走り続ける。

    パステルブルーの空の下
    彼女の道はきっと陽だまりに包まれて。

  • みっつぁん
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    #1587『影山優佳論 beyond the past』

    影山優佳。日向坂46第1期生。
    2001年5月8日(21歳)東京都出身。
    筑波大学附属高等学校卒業。
    趣味はサッカーと勉強、クイズ研究。

    小学生の頃から地元の少年サッカーチームで男子に混ざりプレーしていた。ポジションはキーパー以外はどこでも熟せるマルチな選手だった。そんな趣味が高じて小学生で審判4級を取得。さらに偏差値78の筑波大学附属高等学校に合格、クイズ研究会に所属していた。
    そんな影山優佳がアイドルになったのは中学3年生の時だった。昔から淡い憧れはあったものの実際「ひらがなけやき(けやき坂46)」に合格して以降、グループは順風とは呼べない紆余曲折を辿っていた。そんな折、学業専念の為2018年6月1日から2020年5月26日まで約2年間の活動休止期間に入る。
    その最中2019年3月27日。ひらがなけやきから改名した日向坂46は「キュン」でSingleデビューを果たし、大晦日には「NHK紅白歌合戦」に初出場。更に翌年には念願の「東京ドームライブ」の開催(※当時)も発表されていた。まさに日向坂46として大ブレイクを果たしていた。

    時は流れ2年間の活動休止から帰って来た時、メンバーのみんなは歓迎してくれたが、アイドルとしての自分に完全に自信を失くしていた。その原因の一つが、大学受験の失敗であった。原因不明の体調不良に見舞われ、自分の武器であり大好きな勉強を最後までやり遂げられなかったという喪失感と、沢山の想いを一身に背負って頑張って来たのに何も形に残せなかったという恐怖で、彼女は輝き方を忘れた。そんな私がこの日向坂46に居てはみんなの迷惑になる、ここに居ちゃいけない。日に日にそう思う様になった。

    だけど、そんな彼女を救ってくれたのは応援の声だった。沢山の励ましの声だった。
    もしかしたら、私が過去の葛藤や後悔を笑顔に変える事が出来たら、同じ境遇の人へのささやかなエールになるかもしれない。あの日の悲劇はいつか喜劇になるかもしれない。彼女の迷いは晴れて行く。

    以降、アイドル活動と並行して趣味に邁進した。ステイホーム期間中には「世界遺産検定2級」「ニュース時事能力検定2級」「不動産知識検定」「薬学検定1級」「歯科助手」「心理カウンセラー」の6つの資格を取得。そして現在では、多忙のアイドル活動の中その圧倒的な知識量を活かし、サッカー番組やクイズ番組に呼ばれる機会も増えて来た。

    影山優佳とは日向坂46のサイドバック。
    後列に位置するが、その戦術でゲームを決める。

    さあ、試合開始だ。

  • みっつぁん
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    ニュース画像

    乃木坂46・3期生、3年ぶり声出し解禁でサプライズ演出も “先輩”として歩み出す決意伝わるライブ<11th YEAR BIRTHDAY LIVE/セットリスト>

    【モデルプレス=2023/02/26】乃木坂46が、22日〜25日にわたり横浜アリーナにて「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」を開催。同公演から3年ぶりに声出しが解禁され、25日には3期生の単独公演が行われた。◆乃木坂46、3

  • みっつぁん
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    #1590『櫻坂46三期生個別レビュー』①

    櫻坂46三期生の11名は
    2023年1月5日、櫻坂46に加入。
    同年11月より「東急歌舞伎町タワーミラノ座」にてライブ公演「新参者」を開催中。


    ▪︎ 石森璃花(りかたん)
    2002年1月13日生まれ。群馬県。
    •その歌声に特徴のあるメンバーです。3期生合宿の課題曲であった「BAN」も昨夜の公演ではそのがむしゃらさの中にも適度に肩の力の抜けた"魅せる"パフォーマンスが出来ていたと思います。誰よりも大きくそして誰よりもパフォーマンスを楽しむ事が出来るのがあなたの何よりの武器です。今後は得意のその歌声を活かせる楽曲に巡り会えますように。

    ▪︎ 遠藤理子(えんりこ)
    2006年1月9日生まれ。埼玉県。
    •3期生の中でダンスの一番苦手なメンバーです。だからたまに慌ててる表情も見られました。だけどそれ以上に誰よりも一生懸命に取り組んでいる。誰よりも沢山練習している。それはステージの上で眩しく踊るあなたからはっきりと伝わりました。まだまだ自分に課せたモノは多いと思う。だけどあなたは焦らずに一歩ずつ。きっとその笑顔は涙の分だけ花開く。

    ▪︎ 小田倉麗奈(れいな)
    2004年7月25日生まれ。東京都。
    •今回は腰を痛めてるとの事でフルで参加する事は出来ませんでした。だけどそんなあなたがセンターを務めた「桜月」ではその一つ一つの所作に込めた真摯な思いに胸を打ちました。悔しい思いの中でも今の自分に出来る事を全力でパフォーマンスしていました。3階席の観客の方へも一生懸命に手を振っていました。あなたの一番の魅力であるその丁寧さは何よりも櫻坂を華麗に美しく彩る。

    ▪︎ 小島凪紗(こんなぎ)
    2005年7月7日生まれ。長野県。
    •あなたの一番の武器であるその屈託のない笑顔は勿論の事、センター楽曲「マモリビト」に於いてはその歌詞に込められた強い想いをパフォーマンスで見事に体現出来てましたね。会場と同じく私も息を潜め観入ってしまった楽曲の一つです。ライブ全体を通して常に等身大であろうとする姿はここでしか観られない体験でした。その悔しさや迷いさえも、その感情を大切にして欲しい。笑顔の奥に隠された想いや経験がこの櫻の木の新緑となる。

    ▪︎ 谷口愛季(あいり)
    2005年4月12日生まれ。山口県。
    •櫻坂3期生のダンス番長でやんちゃな一面や大人びた一面もあるメンバーです。表題曲でフロントメンバーを務めるのも納得なパフォーマンスをまざまざと見せ付けられました。そんなあなたに対しては当初、運営推しを一人で背負っている印象があり叩かれないかなと心配していました。でも現在になり3期生の色んなメンバーが目立って来る様になりその不安は消えて。だから何の心配もせずこの櫻坂46で暴れて欲しい。あなたの魅力はもっと未来で爆発する気がしています。そんな心強いフロントメンバーです。

    ▪︎ 中嶋優月(ゆーづ)
    2003年2月17日生まれ。福岡県。
    •今回のライブではまとめMCを担当していました。センターを務めた「Anthem time」ではその可憐なパフォーマンスも見られて流石クール担当です。きっとMCの段取りで覚える事が沢山あって最後の方は身体も疲れてるから上手くまとめ切れない所があって悔し涙を流しながら観客席にお別れの手を振っていました。でもそういう所も含めてのライブの醍醐味だと思います。完璧に越した事はないけど、完璧過ぎるあなたよりほんの少しポカも見せてくれる人が愛される気がします。将来は櫻坂46をまとめる存在になると思う。その為にも色んな人に寄り添える人になって欲しい。そして生放送でも怯まない度胸と屈託のないその笑顔のままで。今朝のラヴィットもお疲れ様でした。

  • みっつぁん
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    #1591『櫻坂46三期生個別レビュー』②

    ▪︎ 的野美青(みお)
    2006年11月8日生まれ。福岡県。
    •ダンスパフォーマンスに於いてこの3ヶ月で一番飛躍したのは的野さんだと思いました。その長い手脚を活かしたダイナミックなダンスや、楽曲毎の表情の豊かさや観客席へのレスポンス等goodでした。特にセンターを務めた「なぜ恋をして来なかったんだろう?」はその表現力が難しいとされていて、そんな曲さえもあなた自身の解釈で演じられていましたね。誰かのコピーじゃなくオリジナルで勝負する事の難しさと覚悟。ぜひ今後の活動にも活かして欲しいです。その低音ボイスの歌声は癖になります。

    ▪︎ 向井純葉(いとは)
    2006年5月9日生まれ。広島県。
    •今回一番観客席を意識出来ていたメンバーで、キラキラしていて"THEアイドル"そのものです。センターを務めた「君と僕の洗濯物」ではその表現力豊かなパフォーマンスで多くの観客を魅了していたと思います。ダンスという点に於いてはまだ苦手意識が残ってると思いますが、その研究熱心さで経験値を積めばきっと大丈夫です。あなたの最大の武器は感受性豊かな所。3期生曲「マモリビト」の最後では感極まってました。そんなあなただから何でも吸収出来るし何倍にも成長出来る。これからもそのままの素直で無邪気なあなたで。

    ▪︎ 村井優(ゆうちゃん)
    2004年8月18日生まれ。東京都。
    •ダンスにも色んな型があり経験者でさえそれぞれ得意とする分野は違うのだけれど、あなたは正しくオールラウンダーだなと評価しています。今回センターを務めた「Dead end」はもう完全にあなたの世界観に包まれてましたね。他にも「ブルームーンキス」「Nobody's fault」でもセンターを務め、もはや櫻坂のライブに村井優在りと言わしめる説得力があります。最初から最後まで全力で乗り切るそのスタミナにも脱帽です。今回は選抜メンバーにも抜擢されその可能性は更に拡がりました。そしてあなたが描くその未来がいつか現実となりますように。私も陰ながら応援しています。

    ▪︎ 村山美羽(みう)
    2005年2月15日生まれ。東京都。
    •3期生の中では言葉少なめでお姉さん的なポジションです。あまりにも独特な印象を持つメンバーなのでBuddiesの皆様に受け入れて貰えるかなと当初は心配していました(勘違いされてしまう一面もあるので)。そんな村山さんの人気が上がってると聞いた時は驚きましたがファンの皆さん目が肥えてるなと嬉しかったです。そんな彼女の魅力はなりふり構わないパフォーマンス。特に今回のセンター曲「半信半疑」ではその乱れた髪さえも画になってました。可愛らしい印象が強い3期生の中で、あなたの存在は3期生の中核に成り得る。私は来年選抜で踊るあなたの活躍を観てみたい。改めてそう確信させてくれた公演となりました。

    ▪︎ 山下瞳月(しー)
    2005年1月22日生まれ。京都府。
    •昨夜の公演"これぞ3期生"と感じたのはセンター曲「静寂の暴力」で会場の雰囲気さえも支配する気迫溢れるパフォーマンス。そしてセンター曲「それが愛なのね」はまるで櫻坂46の未来図を観てる印象が残りました。そんなあなたが一瞬見せた納得してない表情。山下さんもダンス経験者なのですが、だからこそ目指すべき理想は高いのかもしれません。でもこの数ヶ月だけでもその表情込みで確実にパフォーマンスのレベルは上がっています。この先の未来、あなたが櫻坂46の顔になる日がやって来ると思います。確かに先輩方の実力と比べるとまだまだです。でもその強い向上心がある限り絶対にその日は訪れると確信しています。知れば知る程に山下瞳月の深さを知る。そう思わせてくれるメンバーです。

  • みっつぁん
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    #1592『山下美月論 Day by Day』

    どんなスピードで追いかけたら
また君と巡り逢えるだろう....
    今、彼女の日々を振り返る。

    山下美月。1999年7月26日生まれ(24歳)東京都出身。2016年9月4日「乃木坂46第3期生オーディション」に合格。2024年5月12日の東京ドーム公演を以て乃木坂46を卒業。

    小学3年の頃からアイドルに興味を持ち始めた。その夢への一歩とレッスンを始めたのは中学1年生の頃。だが思っていた以上に過酷なレッスン。自分は向いてないと気付き13歳の彼女は女優系の事務所に所属した。演技レッスンと並行し何百回もオーディションを受けたが結果は出せないまま、気が付けば中学3年になろうとしていた。夢は諦めようと事務所を辞め高校進学に備えた。だが2年間の芸能活動分の学業を1年で取り戻す事は容易では無く高校受験に失敗した。何もかも中途半端な自分自身が嫌いだった。かつ芸能活動をしていた事が学校で噂となり人間関係は破綻した。気が付けば完全に孤立していた。ある日の放課後目にした教室の黒板には「悪意の寄せ書き」その光景は絶望だった....
    第二希望の高校へと進んだ彼女は無個性を演じた。目立ってまた「生意気」と思われないよう集団の中の一人であろうとした。もう絶望は見たくないから。そんな彼女が唯一くつろげるのは大好きなアイドルのYouTubeを見てる時だった。そんな普通の学生生活。でも時に「私大丈夫かな?」と不安に駆られた。ふと鏡に映る姿を見た時「今楽しいのかな?」と思うようになった。自分の色を消して生きている本当の心は泣いていた。もしずっと憧れてたアイドルになれる事が出来たら人生変えられるかもしれない。二度目の夢を叶えるべく高校2年の彼女が最後のチャンスと応募したのが「乃木坂46第3期生オーディション」だった。決め手はその数ヶ月前に開催された「オーディション希望者セミナー」での白石麻衣の「乃木坂は新しい自分に出会える場所です」という言葉だった。

    私は、ここで生まれ変わるんだ....

    そんな覚悟で挑んだ乃木坂46第3期生オーディションは総数4万8,986人の中から12名が合格。17歳の彼女は乃木坂46になった。翌朝の芸能ニュースでも話題となったが同時に不安になったのが学校での評判。だが実際の教室での反応はごく普通で寧ろ乃木坂の話題が上がる事はなかった。後日乃木坂の活動の為に転校する事になった。その時初めてクラスメイトから沢山のエールを貰った。そうあの日の無反応は彼女を気遣ってのものだった。みんな分かっていた、みんな応援していた、アイドル山下美月を。

    乃木坂46の活動が始まった。長年描いて来た夢はここにあった。だが「本当の私は何色なのか?」と模索する日々が続く。どうすれば愛されるアイドルになれるのか、どうすれば理想のアイドルになれるのか。同期の3期生たちと切磋琢磨しながら試行錯誤の日々が続いた。体調を崩し3ヶ月の間乃木坂の活動を休業した事もあった。正直辞めようかとも考えた。そんな時、自分を心配してくれる多くのファンの手紙が届いた時、涙が溢れた。
    もっと誰かに頼ってもいいんじゃないか
    もっと弱音を吐いてもいいんじゃないか
    どんな自分も受け入れて生きて行こうと
    私は支えられて生きてる、そう思えた。

    乃木坂46では表題曲センターを3度経験した。アイドルの活動と並行して演技の仕事も増えて行った。特に2023年は体力的に極限のスケジュールに追われる日々だったが、アイドルと役者業の両方を熟す日々は精神的にはバランスを保てた。アイドルは自分の色を見てもらう一方、役者はその色を消して役の色に染まる仕事。そんな真逆の日々は彼女に生きがいをもたらした。毎日映画を観る様になった。合間で演技のワークショップにも通った。ドラマの撮影が終わっても居残り他の共演者の立ち振舞いを学んだ。もっと多くの作品に呼ばれる役者になりたい、次の夢を描いた。
    2020年辺りから卒業を考える様になった。でもこれからは私達の世代が中心になり頑張って行かないといけない。だからそれは直ぐにではなくタイミングは事務所と相談し決めようと思った。2023年に2冊目の写真集の話が来た時は断ろうと思ったが翌年の卒業に向け取り組む事にした。今年に入り乃木坂の活動がより一層愛おしくなった。3期生がグループの先頭となり沢山の後輩も出来た。悔いはないと心から思える様になった。色んな事があったけど乃木坂46の自分は大好きだった。そして心から思える、こんな私を好きになってくれた全てのファンの皆さんありがとう。

    山下美月の7年8ヵ月と9日。
    彼女が歩んだアイドル人生は、
    どれだけの時が流れても
    永遠に過去形にならないヒロイン。

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