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慶應塾生新聞 第551号 掲載より 受験生に送る言葉    幻冬舎社長 見城徹氏 正面突破 死ぬまで圧倒的努力  「こんな取材、普段は受けないからな。」一言めで記者にジャブを放ったのは、幻冬舎社長の見城徹氏。石原慎太郎『弟』、五木寛之『大河の一滴』、村上龍『13歳のハローワーク』など創業25年間で24作のミリオンセラーを送り出してきた、「出版界の生きる伝説」だ。  今回は、見城氏の学生時代と受験に迫る。受験生へのメッセージと、フォロワー急増中のツイッターについても聞いた。 ◆恋と本とラグビーと  静岡県の清水南高校で過ごした3年間が、僕の人生を方向づけた。  はじめて人に恋した。2年に渡って1学年下の女子生徒を想い、悶々とした日々を送った。  また、毎日のように本を借りては読み漁った。図書館の貸し出し数なら校内で一番の自信がある。  ラグビーにも熱中した。後ろにいるはずの仲間を信じてパスを回す。上手くいったときの快感は何とも言えないものだった。 ◆自己検証としての受験  受験とは、自己検証する能力を培うことだと僕は思う。僕たちは受験勉強の過程で、自分の足りない部分を振り返り補っていくことで、成長するという経験をしている。  だから、受験勉強で学んだ内容そのものよりも、受験勉強で身についた自己検証能力こそが、社会に出た時に役立つのではないだろうか。  自己検証と、そこから生じる自己嫌悪・自己否定は、人生の確かな前進に欠かせないものだ。 ◆苦しい道を選ぶこと  高3の9月以降は、夜中の3時や4時まで受験勉強に励み、睡眠時間が3時間ほどの日々が続いた。学習塾には通わず、独学した。問題演習を積むときに意識したのは、あえて難しい問題に挑むことだ。簡単な問題を解き続けても、質の低い努力で時間を浪費するだけだ。「最も困難な道を選ぶ」という僕の生き方は、受験勉強で学んだものである。 ◆日吉での日々  受験した5つの私大にはすべて合格した。自分には早大の気風が合うだろうと思ったが、母の頼みで慶大に進学した。  大学入学後は放送研究会に所属した。学生運動のさなか、日吉の小さな部室に集い、激論を交わした。  麻雀にも熱中した。日吉の雀荘「ケイ」や「ハイラル」に通い詰めた。雀荘で出前を取って食べた「珉珉(みんみん)」(現在は閉店)のチャーメンと餃子、そして「レストラン白鳥」のオムライスは本当に美味しかった。今でも日吉に食べに行きたいくらいだ。 ◆母への感謝  家は貧しかったが、母が半年以上も肉体労働をして、受験料や入学金、学費を稼いでくれた。私大の受験・進学という選択ができたのは、母のおかげ。母には本当に感謝している。だからこそ、母の願いを聞いて慶大に進学した。いくら自分が苦しい努力をしたって、周りに感謝できないようでは、まだまだ半人前だ。 ◆新たな挑戦  昨年12月にツイッターを始めて、一カ月が経った。これまで利用してきたSNS「755」のユーザーは暖かく、居心地が良かったが、ツイッターでは冷たい言葉を受けることも多い。ただし、異物を飲み込まなければ人は成長しないものだ。68歳になった今も、自分の成長のために罵詈雑言を受け止めていくつもりだ。 ◆受験を迎えるキミへ  試験当日は、小手先のテクニックではなく、心構えが大切だ。気持ち一つで結果は変わってくる。「落ちるかもしれない、落ちたらどうしよう」と思ったら負け。自分のしてきた努力を信じよ。  覚悟を決め、腹をくくると、邪念が払われ、気持ちが澄んでくる。そんな清らかな気持ちになれた時こそ、思わぬ能力が目覚めてくるものなのだ。 (聞き手 太田直希) _φ(。・_・。 )

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眠いんです。西野“七”瀬
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