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みつお

「『アランフェス』の第1楽章は、スペイン娘の愛らしい踊りのステップや手拍子を思わせる、快活なリズムで幕を開ける」 「いつものように陽気な感じで弾き始めたら、メナが演奏を止めてこう言ったんです。もっとゆっくり、音楽を深く味わおうよ。40度くらいのあの灼熱のアンダルシアの夏を、スローモーションで眺めているようなイメージで――。」 「この瞬間、この録音はうまくいくと確信しました。ふわりと音を宙に放つような新しい表現が、僕のなかで自然と生まれました。」ーーギタリスト荘村清志さん

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福田のトーク
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  • みつお
    みつお

    見城社長、誕生日おめでとうございます。この歳の御活躍を祈念しております。

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    みつおみつお

    子供の頃病気がちで ひ弱だった私。それが幸いしてか無理をしない癖がつき、成長するにつれ健康な身体を獲得していきました。自慢じゃありませんが、徹夜など中年になるまで一切した事がありませんでした(笑)

    何年か前まで気が向くままに、あっちの医者こっちの医者と渡り歩いていましたが、ある日ハタと思いました、信頼するお医者さんが欲しい、かかりつけの主治医が欲しい。そこで白羽の矢を立てたのが、ある大病院の勤務医です。大袈裟でなく、この人に命を預けようと思いました。そんな時にこの先生が近所に弟さんとクリニックを開業するという奇跡が。

    もちろん初日に駆けつけました。一年位は 余り患者もいなかったので、風邪だ腹痛だと月に一回は通っていた私はすっかり常連。大繁盛している今でも「福田さんが最初の患者さんだった」と喜ばせてくれます。

    いつも混んでいるので、行くのに覚悟がいるのですよね。今日も一時間前から並んで、やっと診察の順番が来たのが10時でした。

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    みつお

    (書評)『しらふで生きる 大酒飲みの決断』『記憶の盆をどり』 町田康〈著〉
     ■不意に、偶然訪れる大切なもの
     ある年の瀬、突然「霊的な訳のわからないもの」に襲われた町田康は酒を止(や)める。もちろん、それまで三十年も酒浸りだった心と体は暴れ狂う。
     それでも彼は酒を飲まない。なぜなら、理屈ではなく感覚で、酒を止める時が来たことを確かに知っているからだ。代わりに、彼は言うことを聞かない自己と対話しようとする。たとえば、今までそもそもなぜ酒を飲んでいたのか。それは苦痛ばかりの人生に楽しみを見出(みいだ)すためだ。
     しかし本来人生は楽しいものである、という考え自体、根拠がないものではないか。むしろ本来、人生は苦の連続であり、楽しみは「不意に、偶然、訪れるもの」で、人はそうした瞬間を慈しむことしかできないのでは。
     だがこうした、苦の細道をとぼとぼと歩くみすぼらしい自分、という生の実相から、現代の我々は目を逸(そ)らしている。そして酒を飲み、自らの手で歓(よろこ)びを手に入れられると思い込む。だが行き着く先は心身の破綻(はたん)でしかない。
     ここまで来て、町田は本書で、現代社会全体について考えていることが分かる。酒であれ、インターネットであれ、仕事であれ、我々は生の惨めさが恐(こわ)くて、死すべき運命が恐くて、何かにハマり込むことで現実から目を逸らしている。言い換えれば、現代人は全員、何かの中毒であり、そのことで自他を破壊しながら、幸福の幻をどうにか維持しているのだ。
     したがって本書は決して禁酒の本ではなく、殺伐とした現代の向こう側に辿(たど)り着くための試みとなっている。そしてその点において、町田は生涯パンクを貫いていると言える。なぜなら、あまりに金儲(かねもう)けばかりでつまらなくなったロックを再生させることこそ、パンクの精神ではなかったか。
     では、向こう側にはどんな風景が広がっているのか。酒の強烈な刺激から離れ、徐々に暮らしの細部に目が行くようになった町田は、今までずっとそこにあったはずの美を発見する。「それは草が生えたとか、雨の匂いとか、人のふとした表情のなかにある愛や哀(かな)しみといった小さなものである」。そのとき彼は、自然に包まれた子供に戻っている。
     短篇(たんぺん)集『記憶の盆をどり』でも、重要なものは突然与えられる。「エゲバムヤジ」では、近所の女に急にくさい動物を押しつけられた男が愛を知る。そして「山羊(ヤギ)経」では、十七年前に亡くなった父が、大日如来に変化して現れる。
     必要なものは不意に訪れる。そしてひたすらその意味を見出そうとすることこそが人生なのだ。こうした敬虔(けいけん)な謙虚さこそが、町田文学の核を形作っている。
     評・都甲幸治(早稲田大学教授・アメリカ文学)
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     『しらふで生きる 大酒飲みの決断』 町田康〈著〉 幻冬舎 1650円
     『記憶の盆をどり』 町田康〈著〉 講談社 1870円

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    (著者に会いたい)『出家への道 苦の果てに出逢ったタイ仏教』 プラ・アキラ・アマローさん
     ■托鉢で人生再生一歩ずつ 作家・僧、プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)さん(71)
     足の裏が、コチコチに硬い。裸足で地面を歩き続けているからだ。
     タイ・チェンマイの寺院で迎える朝は早い。午前5時前に起床、往復2キロの道のりを、オレンジ色の衣をまとって歩く。托鉢(たくはつ)だ。
     1989年に『遠い国からの殺人者』で直木賞受賞、新聞連載小説を5作手がけた人気作家だった。それが、2016年にタイで出家。なぜそんなことに? タイ仏教の習俗の紹介と共に本書で明らかになる。
     業の深い人生だったと振り返る。妻子と別居中、別の女性との間に息子が生まれ、離婚するまでひた隠しにした。作家としてもテーマが定まらず、執筆依頼は途絶えがちに。町おこしを掲げる温泉街の頼みで書いた『新・雪国』の映画化に奔走、借金までして失敗した。「その気になればできたはずの努力をせず、といったことがあった」とつづる。
     05年、暮らしに困り、タイに移住してみた。シニアのプロゴルファーを目指してもみた。本書に書かれたその顛末(てんまつ)と心情は、胸に迫る。
     母方に寺関係者が多く、幼心に言い聞かされた母の教えは、仏のものだった。「出家は、因果のつらなりを見るに、それなりに必然性があった気がします」
     いまになって、思う。「過去の私の作品には、仏説が知らず知らず入り込んでいた」
     早朝、托鉢して歩く道のりには、僧侶のために、午前3時に起きて料理を用意してくれる女性たちがいる。長寿を願い、祝福する経を唱えてそれをいただく。タイでは出家は「絶対善」。誰も理由を問うたりはしない。それだけに、「布施で生きるようになると、自省の念を常にもたされる。戒律を守っているか、修行を怠っていないか。これからは、わたしの言葉で、仏典をよりわかりやすく解きほぐしていきたい」
     (幻冬舎新書・858円)
     (文・写真 興野優平)

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    みつお

     ●樋口裕一著『「頭がいい」の正体は読解力』 物事を読み取り、理解する読解力こそが、社会で生き抜くために不可欠な力だと著者は断言する。受験の小論文指導で培ってきた、語彙(ごい)力→文章力→読解力の3ステップの方法を伝授。2019年に開催した「超実践!ビジネス文章力ゼミ」の講義を加筆修正して収録した。(幻冬舎新書・858円)