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中川 剛
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先週行ったグリーンブラザーズ!やはり最高に美味しかった!我ながらサラダボウルのカスタマイズに磨きがかかってきた様な🤔季節メニューのポルチーニ茸とキヌア&ワイルドライスの組み合わせ最高。見城さんのカスタマイズを見てハマったキヌアは、定番です。そして、好き過ぎるトリュフオイルドレッシングもまたまた購入しました。

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中川のトーク
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  • 中川 剛
    中川 剛

    退社してカフェで仕事。考えるのが楽しい仕事。邪魔されない環境で、自分のアイデアを練って、言語化して、アウトプットを形にしていく。ワクワクする仕事。

  • 中川 剛
    中川 剛中川 剛

    2016.10.13
    「見城さんが起こした奇跡」
    (リトークコメント)

    見城さんのトークルームが持つ奇跡的な要素は、おそらく数え切れない程有る。

    記憶に鮮明な最近の奇跡を一つ挙げるとすれば、鯖さんが執念のリトークで示された「So what?の奇跡」だ。

    僕は、この奇跡を目の当たりにして、見城さんがトークルームで綴られてきた御言葉の極端なまでの一貫性と正確性に、改めて気付かされた。

    僕は、以前、見城さんのトークをリトークさせて頂く際は、必ず何かしらコメントを書くと決めて以来、コメントを書く際は、「増補完全版 たった一人の熱狂(幻冬舎文庫)」を読み返す癖が付いていた。

    読み返していた理由は、文を書くことへの苦手意識と不安から、見城さんがそもそも何故この様に仰っているのかを僅かでも理解してから書きたかったからだ、と今は思う。

    幾度となく「たった一人の熱狂」を読み返す中で、見城さんの御言葉の一貫性と正確性に気が付いていたのだと思うが、鈍過ぎる僕は、「So What?の奇跡」に依って、その思いが喚起され、一人、「凄い!やっぱり凄すぎる!」と心の中で叫んだ。

    奇跡のトークルームの御言葉と、同書の何処かに綴られてた御言葉は、いつもリンクし共鳴するのだ。

    同じ方が書いているから当たり前だとは、僕は決して思わない。

    僕は、初めて同書を拝読した際は、見城さんの圧倒的に過酷な生き方や極端なまでに厳しい覚悟に凍えそうになる程戦慄し、言葉を失った。

    そんな僕でも、喜怒哀楽の全方位に向けて極端な振れ幅が有りながら、一貫性を持って鳴り響く見城さんの稀有な御言葉を幾度と無く読み返す内に、畏怖の念を通り越して、それらの言葉が限りなく鮮やかに映る様になってきた。

    見城さんの御言葉の一貫性も正確性も、その背景には、見城さんのこれまでの圧倒的な自己検証、血となり肉となる迄考えに考え抜く思考の連続があったのだろう、と想像するからだ。

    この様な見城さんが見せて下さった一面も、僕にとっては、奇跡の中の奇跡だと思うのである。

    今、僕が目にしている御言葉は、心から尊敬し大好きな見城さんが辿った人生の軌跡なのではないだろうかと勝手に思い、熱涙に咽んだ日が懐かしい。

    「奇跡とは起こるものではなく、起こすものだ!」という見城さんの御声が聞こえてきそうである。

  • 中川 剛
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    2016.10.15
    「言葉に正確であること」
    (見城さんの御言葉)

    僕は、見城さんが作り上げてこられた奇跡のトークルームを心から愛しておりますし、このトークルームで本当に沢山の学びを与えて下さった見城さんに心から感謝しております。


    数多ある学びの中で、最も心に残っている学びを一つ挙げるとすれば、それは、「言葉に正確であることの大切さ」です。


    例えば、見城さんがトークルームに書き込んでいらっしゃった以下の三つの御言葉に、その大切さが説かれていると思っております。

    1.他者を想像する時も、自分が取り組んでいる仕事をしている時も、正確な言葉で対象を捉えましょう。そこから全てが見えて来始めます。

    2.あるべき自分も正確な言葉がなければイメージ出来ません。言葉を獲得するための苦闘。それは人生に立ち向かう苦闘です。

    3.正確な言葉で思考する時、その人の人生は欲したものの実現に向けて動き始めています。

    そして、何より、僕は、奇跡のトークルームに於ける見城さんの膨大な量の御言葉が持つ正確さに驚愕しました。

    何故ならば、(大半が)見知らぬ方々からの、これだけ多種多様な角度、且つ、内容の濃淡も千差万別なコメントに対して、超多忙で極めて限られた時間の中でお返事されてきたにも関わらず、曖昧な御言葉は一切無いし、徹底的にブレが無いからです。
    さらに言えば、いつも持ち歩いている見城さんの高著「たった一人の熱狂」(幻冬舎文庫)に綴られた御言葉とも、ブレも誤差も無いからです。

    僕は、この奇跡的な出来事に強烈な感動を覚えました。

    見城さんが出し続けている圧倒的な結果も、物凄い数の方々から尊敬を集める魅力も、「正確な言葉で思考する」ところから始まっているのかも知れない、と想像を膨らませると心が震える程感動するのです。


    上述の感動と共に、見城さんが教えて下さった「言葉に正確であることの大切さ」が、僕の中で鳴り響いて止みません。

    見城さん。
    本当に、本当に、有難うございました。

  • 中川 剛
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    2016.11.17
    萩原清澄著「サービスマンという病い」
    (幻冬舎)


    昨夜、萩原清澄著「サービスマンという病い」(幻冬舎)を読了しました。


    病いに罹ったかの様にサービスに取り憑かれ、寝ても覚めてもサービスのことを考えて、サービスマンという仕事(人生)に熱狂している筆者の凄まじい熱量に感嘆しました。


    昨日の夜中に読み始めたのですが、序盤でいきなり見城さんがご登場され、目が覚め、一気に引き込まれました。
    この勢いそのままに、2時近く迄、夢中で読み、気が付いたら後書きを読んでいました。
    因みに、見城さんとのエピソードは猛烈に感動しますよ。
    (ネタバレになってしまいますので、これ以上は書きません。)

    サービスとは何か?
    人として、お客様とどう向き合うか?
    如何にして喜んで頂くか?

    これらについて、魅力溢れるお客様や素晴らしい同業者との出会いを通じて学び、自らの頭で考え、思考を深めていく萩原さんのお姿が克明に記されています。

    読み進めば進むほど、萩原さんの「他者への想像力」への徹底的な拘りが伝わってくるのですが、お客様が、今この瞬間に、何を望んでいるのかをとんでもない精度で読み取る「想像力」には脱帽です。
    これぞ究極の「他者への想像力」ではないか、と思いました。


    ところで、気になったのは本書のタイトルです。
    見城さんの著書「編集者という病い」と酷似していますね。

    「病い」と呼べるほどの情熱、熱狂を萩原さんから感じたからこそ、見城さんも、本書のタイトルに「〜という病い」という言葉を使うことに納得されたのではないだろうか、一方、萩原さんも、それ相応の覚悟で本書を執筆したのではないだろうか。
    読む前に、そう思いました。

    そう思うと、否が応でも期待値が上がってしまうのですが、そんな期待値を十二分に上回る熱量を本書からは感じました。
    何より読んでいて面白かった。


    最後になりますが、本書には、萩原さんの妥協を許さない圧倒的努力の一つ、一つについて、具体的に書かれているのですが、私の努力など努力に値しないと思わされました。
    「3分以内に返信」のエピソードなどなど、ここまでやるのかと思わされました。
    当然ながら、しっかりと結果も出されている。

    圧倒的努力。
    圧倒的努力は岩をも通す。

    今もきっと、萩原さんは、突き抜けた熱量で圧倒的努力をされているに違いありません。

    〜終

  • 中川 剛
    中川 剛

    2週間、755から離れます。何かあった訳ではありません。申し訳ありません。ちなみに、どうでも良い話ではありますが、昨年、自費でホテルに缶詰めになったりしながら、約4ヶ月間、「これでもか、これでもか」と取り組んだある仕事の結果は、来月上旬には出ます。