鬼平犯科帳
僕は『鬼平』という作品に関しては、あるいは時代劇の歴史にあって特別な評価をされるべき(現時点でそうとも考えられますが、後世のさらなる高評価という意味で)だと考えていますが、最近また視聴する機会があってなおさらその感を強くしました
理由はいくつも考えられますが、第一のポイントは脚本の斬新さですね
現在では様々な形式の作品が氾濫していますから特に驚かないでしょうが、全シーンの半分も主役が登場しないというのはこの作品において確立されたことではなかったでしょうか。これは非常に衝撃的でした
「結果的に主役が立てば良い」とする哲学は、時代劇のみならず、あらゆるドラマの方法論に関して多大な影響を及ぼしたのは間違いありません
もちろん現代劇、AKB48などアイドルのドラマにも少なくない影響が見られます
他に特徴的な面を挙げると、いわゆる金銭的な余裕から生まれる作品作りとは一線を画したセンスの良さで魅せる演出ですね。ディテールにこだわる映像作りです
江戸情緒を可能な限りロケーションで表現したのは銘記すべきでしょう。季節感の見事な描写、光と影の陰影によるコントラストを強調した照明で魅せる映像は他の時代劇との個性の違いを明確にしています
先鋭的な音楽の配慮も重要な点です。ジプシー・キングスの「インスピレーション」が無国籍的な快感を引き出すのに貢献していたのは今さら言うまでもないですね
原作者の池波正太郎は、必殺シリーズに関しては気に入らなかったと伝えられていますが、『鬼平犯科帳』は絶賛していたようです。細部にわたって自身が納得のいく作りだと評価したのでしょう
同じ池波原作の『必殺仕掛人』に関しては考えが違いました。必殺シリーズは旧来の時代劇における固定観念を覆す本音主義が非常に独特な世界観を確立し、その作風が特筆されると思うんですが、原作者の考える映像作品としてのあり方とは異なり、心情的に受け入れられなかったのだと思います
しかしながらこれを単なる保守的見解として片付けるわけにはいかないでしょうね。伝統主義者とテレビの歴史についての接点は軽視できないと解釈しておくのが正しいと思います
作者が気に入らないから駄作と決めつけるのも短絡的です。「仕掛人」は革新的作品として多くの視聴者から支持を得ました。その後、必殺シリーズは長期間にわたってテレビ時代劇の分野に特異な歴史を展開するまでに至っています。「仕掛人」はその土台を築く役割を果たす作品となったのです。その辺りの諸事情が、原作と映像作品をまったく別のものとして考慮するべきかどうかという難しい理由につながっているのではないでしょうか
『鬼平』にしても、表面的にはオーソドックスな作品として認知されてはいますが、前述したようにある意味では必殺シリーズ以上に斬新なメソッドで制作された作品でもあったのです。そのことも忘れてはならないでしょう
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