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トーク情報
  • てんあつ
    見城徹見城徹

    今夜は林真理子、藤真利子の[マリコーズ]と藤真利子、仲間由紀恵、高橋みなみなどの芸能事務所・プロダクション尾木の尾木徹社長、見城徹の[徹チャンズ]の定例食事会でした。

  • てんあつ
    すいぞうすいぞう

    見城さんへ。恐らく、読んでいただけると思うので、こちらに書きます。こんな事を書くのは恥ずかしいのですが。

    私は栃木県の私立高校で教師をしています。教師生活22年が過ぎるところです。教科は地理歴史。担任をもって20年。部活動は吹奏楽部を受け持っています。特に部活動には力を注いでいて、舞台での演奏活動に加えマーチングバンドとしての活動も並行して行っています。また、県の連盟や協会の理事もさせていただいています。自校の吹奏楽部のためだけでなく、大げさですが地域の吹奏楽文化を少しでも盛り上げていきたいと思い、本来の職務に加えて様々な行事の企画運営に携わっています。

    教育の世界は問題山積です。吹奏楽の世界も課題が山積みです。自分の勤める学校も課題や問題は多いです。変わらなければならない。変えなければならない。でも、自分一人の力でどう変わるものでもない。そう思っていました。
    それでも、自分なりに懸命にやってきた結果が去年あたりから出始めました。指導する部活動は全国大会や関東大会にも出ました。地域に愛されるバンドになってきました。自分の住む市の吹奏楽も20年前と比べればはるかに活発になりました。これでも、地元ではそれなりに知る人ぞ知る存在になっていると思います。学校内の様々な事も担当部署を中心に変えてきました。

    しかし、報われないと感じる事が多かった。いや、そう感じるということは、自分の中の傲慢さの現れでした。周りなんてどうでもいいのに。自分の信念を貫いて正面突破すればいいだけなのに。周りを気にしたり評価を気にしているうちはまだ熱狂していないということです。

    それに、もうここまでやったのだから、と自分を甘やかす気持ちがあったのも事実です。もう、楽してもいいでしょ?と、自分を逃がそうとしていたんです。


    755は最初は乃木坂46のトークを見るためにはじめました。当然、プロデューサーである秋元先生のトークもフォローしました。そのうち、755は愚痴やストレスの捌け口になりました。どこにもぶつけられない悲しみ、やり場のない苦しみ、怒り、虚しさ。それをほとんど見られていない自分のトークルームにぶち撒けようとしていたんです。

    ところが、乃木坂のメンバーは苦しみながらも正面からぶつかっている。秋元先生がトークに書き込む言葉や作詞された歌詞には困難にぶつかっていくことの尊さが綴られている。それを読んでただ感動して凄いなぁとだけ思っていたのですが、ある日秋元先生のトークで「見城さんのトークを見ろ」とある。いったい誰なんだ?と思いながらも、見城さんのトークをフォローしたのが始まりです。

    そのトークルームは、熱量が半端ではなかった。何者なんだ、この人は!やがて見城さんの事を調べ、著作を読み、その言葉に胸を突かれた。「憂鬱でなければ仕事でない」「小さなことにクヨクヨしろよ」「正面突破」「暗闇の中でジャンプ」「GNO」一つ一つの言葉が突き刺さった。同時に、自分の仕事への考え方や取り組みが如何に甘かったか思い知らされた。そして仕事に対する考え方が180度変わった。苦しさが楽しくなってきました。正確に言うと、苦しさを正面から突破した時の爽快感が楽しくなりました。更に不思議なもので、自分の考え方が変わると、関わる生徒も変わってきたんです。

    もちろん、一つ突破すると、また新たな壁。問題や課題は次々にやってきます。予期せぬ問題も起こります。はっきり言って憂鬱です。毎日憂鬱な事はおこります。以前の自分であれば、逃げ道を考えたのでしょうが、今は正面からぶつかっていけます。苦しくても正面突破します。

    周りには、少し休んだら?とよく言われます。でも、もっと熱狂したくなりました。それは見城さんや秋元先生、薮先生のおかげです。

    自分の力はまだまだですが、学校を変えたい。地域の吹奏楽を変えたい。本当の気持ちはここにあります。その為に、まだまだ熱狂しなくては!

    見城さん、薮先生には本当に感謝しています。正直言って、勝手にトークを覗いて勝手に刺激を受け取っていただけなんです。ほとんどヤジコメもしてきませんでした。でも、リトークまでしていただいて、黙っているわけにもいきません。感謝の気持ちをきちんと伝えさせていただきたかったんです。そして、これを書きながら、心の中には炎の様に何かが燃えているのを感じています。

    私は本を読んだり映画を見たりして感想を書いたりはしていませんが、とにかく、仕事に熱狂します。

    見城さんや薮先生の心の中に、こんな田舎教師がいたんだと、ほんの少しだけ残ってくれれば、それで十分です。

    これからもあまりヤジコメはしないと思います。自分のトークもそんなにたくさんは書かないかもしれません。でも、ずっと見ています。そして見城さんや薮先生の熱狂からお裾分けをいただこうと思います。

    薮先生。福島でも頑張って熱狂して下さい。応援しています。

    見城さん。最高にカッコいいです。自分が60歳を過ぎた時、見城さんみたいになっていたいです。これからも、勉強させて下さい。

    どうもありがとうございました。

    與儀和弘

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 珍しくスマホをいじりながら寝落ちしました。
    僕が憧れた職業の一つに地方の高校教師があります。美しい地方の風景に染まりながら、人生の始まりに様々な壁にぶつかる生徒たちと共に悩み、石坂洋次郎「何処へ」の伊能琢磨のように生きてみたい。特に加山雄三版の映画「何処へ」には影響されました。生徒や地元の人々を愛しながら、人知れず泣き、喜び、怒り、分かち合い、誠実に目立たない人生を全うする自分を想像したものです。
    長い文章を読んで羨ましく思います。学生時代の事件を経て、生き馬の目を抜くような世界に飛び込んでしまいました。
    人生にIfはないのは自明の理ですが、そうしたらどうだったんだろう?と時々思います。文章から手に取るように「たった一人の熱狂」が伝わって来ます。輝いています。
    すいぞう君、田舎教師、素敵です!

  • てんあつ
    てんあつ

    ↑2017年1月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

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  • てんあつ
    てんあつ

    寒暖差に身体が追いついて行かず、それに伴い気持ちのアップダウンも激しくなっています。
    季節の所為にはしたくは無いものの、異常な睡魔は春だからと惰眠を貪ってしまいます。

    なるべく心の平静を保たせられるように、芽吹きの時をやり過ごしています。
    一触即発。いつ気が触れてもおかしくない自分を封じ込めて。