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夏目漱石

※自分のために書いているため乱文で申し訳ございません。 見城さんのトークルームを拝見していると、深く、深く、考え抜かれた思想と想いの言葉たちが沢山出てくる。人生が垣間見える。 そのため私も深く、深く考えることになる。 トークの中には30歳の私にはよく分からない事も時々ある。 でもそれでもいいと思う。だからこそ学びがあるのだから。 一方経営者という立場で、社員を少数ながら雇っている立場でもある。 少なからず、私の周りにいる人たちは必ず幸せにしたい。だから学びの多い、感性に響く言葉を日々探している。経営者である私が1番学び、人間性を厚く、感性を研ぎ澄ましていないといけないからだ。 今まで私が雇われ社員だった時は一匹狼で、周りが遊んでいる時も仕事をしていた。 おかげで営業成績はトップになり、会社のギネス記録も更新した。しかし、後から気付くのだが、そこには仕事の実績と、経験しか残らなかった(お金は全部使ったため残っていない) 気付いた時にはもう遅い。周りに人がいなかった。華々しい実績も、業界から1歩出れば、私はただの凡人。 当時、私はそんな事も分からずイケイケのまま独立した。 大手企業で働いていたため、貴重な看板が無くなった。そのため、コネ無し金無し学歴無し状態。 一匹狼でやってきた後悔を背負いながら、1年目は1人で頑張った。 上記の想いから、2年目は稼いだお金で従業員を雇いたいと思った。 それに多くのお客様のお役に立ちたいと純粋に思ったのもある。そして1人では寂しかったのもある。 有難い事に予定通り2年目には社員を雇うことになる。 1人目の社員は親友。 私は起業するつもりで学生時代から生きていたため、親友を地元静岡の商社から引っ張り、私の前職に紹介し、都内に引越してもらった。 私と同業界で経験を積んでもらい、私が独立した時に一緒に働こうと話していた。 実際親友を雇う時が来た。凄く嬉しかった。長年の夢が叶ったからだ。 中学校3年からの親友であり、命の恩人でもある。私の結婚式は親族だけ行われたが、唯一呼んだ大親友だ。 また学生の時のように、一緒に人生を楽しめると思っていた。 ただ親友は3ヶ月で退職してしまい、音信不通になった。小説のような話が自分に降りかかった。 仲間の大切さを身を持って分かる。 もうすぐ独立してから4年。 社員を雇っては、辞めて、雇っては辞めてを繰り返し、今は社員3名。 やはり仲間の大切さを身を持って知る。 自分の未熟さを改めて知る。 金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流。 見城さんを拝見していると、本当にこれを感じる。 こんな大物なのに、そしてオーラもあるし、一見怖そうで近付きにくいのに、多くの人を残している。 覚悟も感じる、向き合う人にはとことん向き合う。 これだけではないが、だからこそ人を残しているんだと思う。 言葉では簡単に言えるけど、簡単には出来ない。自分を律し、失うものも多くあるから。 凡人である私は、日々目に見えない何か、もしくはまだ起きてもいない物事に恐れている。 一方見城徹さん。見城さんも人間であるため、恐れや不安、失敗からの悲しみなどがあるように感じる。非常に人間らしかったのだ。ただそれでも覚悟を決め、前に突き進む姿。 ここに私が目指すべき姿があった。 そして先日、そんな見城さんからコメントやリトークを頂いた。 多忙を極める中、私のような凡人で、言葉も無礼な事が多い私を見てくださっているのかと、どこまでこの方は大きいんだと思い知らされた。 こうやって私は見城さんワールドに引き込まれていった。本当に面白い世界だ。 感謝。ありがとうございます。

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夏目漱石のトーク
トーク情報
  • 夏目漱石
    夏目漱石


    ずさりと心に来る言葉。言葉の1つ1つ、行間からメラメラと燃える炎が見える。

    やはり覚悟だ。それも生半可の覚悟じゃない。血の滲むような努力と覚悟だ。

    まだまだな自分に惨めになるが、のびしろしかないとも思う。

  • 夏目漱石
    見城徹見城徹

    自分に自信と魅力がないと人は見栄っ張りになる。それはしょうがないとしても、見栄を張るにしても、チャーミングな見栄っ張りであって欲しい。嘘を交えた見栄が最悪だと思う。他者に見える自分を嘘を交えて演出しても、満足しているのは自分だけで、周りには見透かされていることを胸に刻んだ方がいい。誰も何も言わないけどね。[見栄]はその人の背伸びで[痩せ我慢]はその人の美学だ。[見栄]と[痩せ我慢]の間には実は遥かな距離がある。

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  • 夏目漱石
    見城徹見城徹

    僕の嫌いな[夢]について初めて少し語ります。
    18歳と27歳の時、中学時代からの夢が実現しました。しかし、若さ故の意気がりか、ようやく手に入れたその夢を自分から手放しました。そこに安住したくなかったのです。今でも時々、後悔します。そして、34歳の時、熱狂の末に手に入れた夢は年を追うごとに色褪せました。つまり、それらは実現してみると自分の生きるモチベーションにはなり得なかっだのです。勝手なものです。
    今、僕は幾つかの夢を実現したと思っています。しかし、それらは実現した後、そうか、これが自分の夢だったんだと気付いたのです。僕には今、果たし得ていない夢が3つほどあります。一番大きなものは僕が生きている内はに実現しないでしょう。現実は苛酷で、一つを得るためには一つを失わなければなりません。残りの年月を考えると
    切なくなりますが、どれを優先するか?は覚悟を決めた選択の問題になります。人生は長いようで短い。73歳になってそのことが胸に沁みます。
    今日の絶望を明日の苛酷に。夢は実現した後にそれが本当に自分の夢だったのか吟味して語るものです。結論はきっと人生の最後の日にしか出ないものかも知れません。

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  • 夏目漱石
    見城徹見城徹

    静岡新聞の僕の連載コラム[窓辺]の第6回目です。
    『エド』(2019.2.11掲載)

    20年程前、熱海に温泉付きリゾートマンションの1室を持っていた。
    最上階の角部屋で地中海と見紛うような景色が見渡せて、一目で気に入った。
    森村誠一さんが「人間の証明」で人気絶頂の頃から各社の担当編集者が集合する会が年に2回盛大に熱海で催され、毎回出席していたので土地勘もあった。週末は熱海で過ごすことが多くなった。中華の「壹番」、フレンチの「カフェ・ド・シュマン」、洋食の「スコット」、しゃぶしゃぶの「はまだ」等によく通った。
    丁度、エドと名付けたシェットランドシープドッグを飼い始めたところだったのでエドとよく街を散歩した。フランス・ニースの海浜公園を彷彿とさせる海岸沿いをトレーニングも兼ねてエドと走った。子供の頃、飼い主夫婦の夫だけに喋る馬が主人公の「アイ・アム・ミスター・エド」というアメリカの連続ドラマがあって、大好きだった。だから馬に似た犬種で、いつか喋ってくれるという期待を込めて名前もそこから頂いた。走り終わった後、海を見ながら海浜公園のベンチに座って、傍らのエドに仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。エドはついに喋ることもなく15歳でこの世を去った。
    マンションは6年程で売り払ったが、何人かの作家が熱海に住んでいることもあって時々、熱海を訪れる。
    海岸に足を伸ばす。ベンチに腰をかける。あの頃、エドは僕を励ましてくれる一番の親友だった。目を閉じると熱海の海にエドの姿が浮かんで来る。

  • 夏目漱石
    夏目漱石

    こちらの見城さんの投稿、全く他人事ではない。私も今、犬を飼っている。唯一の大親友でもあり家族だ。

    熱海での情景が浮かび、見城さんの想いも痛いほど分かり泣けてくる。

  • 夏目漱石
    夏目漱石

    これが本物か。自分はまだまだすぎる。なんなら今までの人生で、ここまでやった事があるだろうか。。。言葉では簡単に言えるけど、相当な覚悟と努力が必要。
    自分が恥ずかしい。でも私は口だけ男になりたくないから、やるぞ。

  • 夏目漱石
    見城徹見城徹

    僕は講演が苦手です。講演というのは結局は自分はどうやって「成功」したかを話さなければならない。又は、「成功」するにはどうやったらいいかを話さなければならない。でも、僕にとって「成功」という言葉ほど嫌いなものはないんです。「夢」よりも嫌い。僕は著作でも書いているように「成功」に価値を一切置いていない。自分の人生の価値は自分が決めるものであって他人や世間が決めるものではないと思っています。自分に恥ずかしくない生き方をする。そのことがどれだけ大変なことか?世間的な「成功」を目指すなんて豚に喰われろ。僕はそれを母校の後輩たちに伝えたい。そうすると講演は難しくなるんです。だから憂鬱です。

  • 夏目漱石
    見城徹見城徹

    [成功]って一体何だ?総理大臣になること?金持ちになること?有名になること?
    ままならない人生を圧倒的努力で誠実に生きる。その思わぬ結果として[成功]があるなら、それはそれでいいけどね。

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