ログイン
みつお
トーク情報
  • みつお
    みつお

    武甲山の惨めな姿。山頂は発破で5〜6m縮んだとか。今ならこんなこと出来ないね。

  • みつお
    みつお

    清水の次郎長一家には、「癒着」という博愛と人道主義のお花畑にいる現代人には全く理解出来ないことがまかり通っている。だから、子分が「告げ口」という はしたないことをしても、たしなめられるどころか、一家は全力でこのチンピラを守る…しかし「癒着」を上回るものがある。それは「個体の掟」と呼ばれるもので、チンピラはこれに抵触してしまい、残念ながら破門されてしまった。

    また、これは絶対的なまさに「掟」である。この掟の前には大政も小政も、いつ破門されてもおかしくない。

    以上、今回の出来事を理論的に解明してみました、チャンチャン(笑)

    3
  • みつお
    みつお

    破門されても自殺する必要ない…でも、次郎長一家が今後どうするのか、非常に興味ある。詫び状を受け入れ、盃を交わすのか?否々、ヤクザじゃないのだから、そんな言い方ないね、仲間に戻してやるんだろうね。それでこそ、「個体の掟」!一般市民にはアンビリバボーだ。

    3
  • みつお
    みつお
    投稿画像

    金沢駅を出て大宮へ帰るところです。小松市に用事があったので、飛行機で行くしかないと思ってたら、新幹線で大宮駅から金沢駅まで2時間。神奈川の現場に行くのと同じ時間。

  • みつお
    みつお
    投稿画像

    今朝7:45の新幹線で大宮駅を出ました。用事が終わって、直ぐに帰ろうと思ったのですが、昼食に海鮮丼を食べてきました。

    やりきれなさを、美味しかった海鮮丼を思い出して紛らわせよう。

  • みつお
    みつお

    吉本隆明著「マチウ書試論」批判-1
    『註 聖書のテキストは、"La Sainte Bible Louis Segond"を用いた。日本語訳聖書も対照したが、あの文語体の、荘厳で暖昧な一瞬の名訳を引用する気になれなかったのである。』

    吉本氏は、日本語訳を言外に批判している、バカにしていると言っても良い。代わりにフランス語訳聖書を用いているが、何故原典のギリシャ語聖書を使わなかったのか?試論とはいえ、考察を世に出すにあたって、原典から研究しないなら、フランス語訳を使おうと日本語訳を使おうと何ら違いはない。

  • みつお
    みつお

    吉本隆明著「マチウ書試論」批判-2

    フランス語聖書を使った理由が分からないと先に述べたが、当時(1950年代)においてもマチウはマタイ、ジェジュはイエスと普通に用いられていた。それを何故誰のことか分からないフランス語直訳名を使ったのだろうか?
    さて、吉本氏は最初に「ジェジュ(イエス)はマチウ書(マタイ傳福音書)の作者が史観を凝集してつくりあげた象徴的人物に外ならないと言える。」と断言しているが、イエスが実在の人物で有るかもしれないと疑わなかったのだろうか?そもそも研究書を読んだのかどうか疑わしい。イエスと同時代人のヨセフォスという人が書いた「ユダヤ戦記」にイエスについての記述があるが、それも知らなかったのだろうか?知らなかったのだろう。「ユダヤ戦記」にあるイエスについての記述が後の時代になって加筆されたという主張があることは知っているが、現在の研究成果は明らかにヨセフォス自身の記述であるという結論に落ち着いている。

    つまり、最初の「マチウ書(マタイ傳福音書)の作者が史観を凝集してつくりあげた象徴的人物」だという大前提が崩されてしまうので、吉本氏のこの後の主張も勝手な考えを、無駄に長く分かりにくく述べて居るということになる。文学なら何を言ってもいいということは無い。マチウ書(マタイ傳福音書)を読んで、私(吉本氏)自身の生活、環境から感じることがあったので、それをこれから述べますというくらいの記述から始めるべきだった。つまり、これは試論などというものではない、単なる随筆だ。

  • みつお
    みつお

    吉本隆明著「マチウ書試論」批判-3

    「ユダヤ教に対する原始キリスト教の憎悪のパトスと反逆の倫理を追求した出世作『マチウ書試論』」と帯にある。実際、作者も「…ユダヤ教にたいする敵意と憎悪感…」と書いている。
    何言ってるの⁈ ジェジュ(イエス)はユダヤ人だよ!弟子もユダヤ人。ユダヤの都にあるイスラエル教会の伝道の対象はユダヤ人、周りにはユダヤ教徒しかいないから当然そうなるよね。憎んでいる者に伝道など出来ない。
    どうも吉本氏は「マチウ書(マタイ傳福音書)は西暦200年以後に書かれたと思っているらしいが、実際は西暦100年以前には現在の形に成立している。ここが決定的に間違っているので「憎悪」云々と書き、しかもそれが本書の中核を成しているので、全くのデタラメ、ナンセンス、勘違いの書と断言せざるを得ない。