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橋場日月

調べ物をしていて少し考えたことをメモ。 ペリーが浦賀に来航し将軍・家慶が没し、さらに長崎へプチャーチンの船団が現れた直後の嘉永6年8月8日(1853年9月10日)。 この日、吉田松蔭が兄・杉民治に宛てた手紙に 「この国難に対して我が長州藩が先頭切って一度大義を広く天下に示したいものだ、と石亀の地団駄」 としたためているのだが、最後の「石亀の地団駄」というのは〝雁が飛べば石亀も地団駄〟ということわざから採ったもので、翼を持たないことを自覚しない石亀が雁を真似て飛ぼうとすること、つまり身の程知らずに他人を羨む滑稽さを表す。 つまり松蔭は自分が井の中の蛙であり、藩を動かせるような大物でもないことを良く理解していたということになる。 だから松蔭はこの後まず密航によって外国事情を得ようと画策し、それが失敗すると実家の兄の屋敷で松下村塾を開いて、藩論を主導するような優秀な人材を育てようと務めた。 一見エキセントリックという印象を受けがちな松蔭だが、冷静に自分自身と周囲の状況を分析したうえでそれを打破しなければならない「やむにやまれぬ大和魂」に応えるために矯激な手段を採るしかなかった、ということなのだろう。 彼自身は前年に脱藩して東北遊学した際にも「自ら効(いた)す<自分が犯した罪は自分で償う>」と覚悟を示しているように、目的のための手段を客観的に批判する勇気を持つ漢だった。 自分自身の分析、検証、否定、批判を徹底し自己総括の覚悟を決めたうえで熱狂的な跳躍をした人生だったのだなぁ。

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橋場日月のトーク
トーク情報
  • 橋場日月
    てんあつ.てんあつ.

    誠意とはスピード。

    これを信条にファッション・チェックをさせて頂いているつもりです。それでいて正確さも徹底していたいがために神経を擦り切らす。「そんなことに!?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、御相手が見城さんだということをお忘れた無きよう、よろしくお願いいたします。

    時にギャンブルよりギャンブル。諸刃の剣の刃先に乗って勝負をさせて頂いております。

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  • 橋場日月
    橋場日月


    リトークさせていただきます。

    諸刃の剣どころか、七支刀が僕たちを膾のように切り刻む。誠意とは生死を賭けた決闘だ。決闘の場に立ちもしない鈍(なまくら)刀が、僕だ。

  • 橋場日月
    橋場日月

    本町でコールハーンのセールを素見(ひやかし)た後、北御堂のミュージアムを除き、そのまま心斎橋まで散策。
    廻転鮨銀座おのでらさんに寄って来ました。
    本家にはとても出入りできませんが、廻転鮨さんはアットホームで気軽に入れてとても良いです。
    開店1カ月、関西ではまだまだ知名度が低く、逆に本家を知っている人は敷居が高く感じ敬遠してしまうのかもということで、入りは今ひとつだそうです。
    逆に言えば穴場として楽しめるのは今のうち。
    酢が少し強めのシャリと、それに負けない極上のネタの存在感。至福のひとときが味わえますよ。

  • 橋場日月
    橋場日月

    福知山線脱線事故から19年。西梅田で会社のデスクに居た時に家人から安否確認のメールが入り、後からテレビでニュースを見て総毛立ったのを鮮やかに覚えている。
    突然命を失わされた犠牲者の方々に、今年も黙祷を捧げた。
    僕もいずれは祷を受ける身になる。
    それは今日かも知れない。