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見城徹のトーク
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  • 見城徹
    見城徹

    会食が終わって、[二代目はクリスチャン]の劇場へ。終演にギリギリ間に合い、お客様たちをお見送り出来た。今、帰宅。さて、これから忙しい。

  • 見城徹
    吉田真悟吉田真悟

    【石に齧りついても(横内謙介)】
     演劇はコロナウィルスと相性が悪い。燃える、泣ける、キマル、つかこうへいスタイルは特に絶望的だ。つか流の激しいセリフ回しは、客席に向かって唾を飛ばしてナンボのものだ。さすがに2021年の秋なら終息も見えているだろうと思い、昨年末に予定していた公演を延期してこの時期に移した。その見通しも甘かった。引き続き感染拡大と闘いつつの、油断できぬ公演となる。
    とは言えやる以上、しかも6回目となる幻冬舎プレゼンツシリーズとしては最もタイトル名の知られた「二代目はクリスチャン」を満を持して放つからは、せめて精神の濃密、魂の濃厚接触だけは今まで以上に過剰に究めたものにしようと思う。
    今回は、石田ひかりさんをゲスト主演としてお迎えする。名作「初級革命講座飛龍伝」のヒロインを演じ、つかこうへい氏の世界を肌で知る最高の女優と、劇場が笑いに揺れ、興奮で燃え上がっていた、つかが切り拓いた熱い季節の芝居を甦らせたい。例によって単純な復活ではなく、私なりの新解釈、リライトを加えた扉座版を創作する。オリジナルストーリーの20年後の後日譚となる予定だ。
    この公演もこれまで5回と等しく幻冬舎社長・見城徹さんより多大なご支援を賜って実現する。ただ今年は状況が大きく違って、世界中がコロナ禍で苦しんでいる最中だ。出版界も例外ではない。しかるにご自身の苦難については微塵も語られず、挫けるな、立ち向かえ、と我々を叱咤激励して下さる、その熱き愛情に対して、石に齧りついても傑作に仕上げ、恩返しを果たさねばならぬと決意を新たにしている。
    見城さんが座右の銘とされている「絶望しきって死ぬために」というアンドレ・ジッドの言葉がある。実はこの詩句には前段があり「私は心中で望んでいたものをことごとく表現したうえで満足して、或いは、絶望しきって死にたいものだ」が全貌だ。見城さんは潔く、絶望から始められるが、我々はまだずっと手前のあがきの中だ。
    あがき苦しみ、ことごとく表現する。今、この時代、この状況下にあって、それを我々の目指す境地としたい。


    【幻冬舎Presents劇団扉座6回目の公演は『二代目はクリスチャン』である。(幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹)】
     本当は去年の12月に新宿紀伊國屋ホールで上演される予定だったが、新型コロナウイルスの為に延期せざるを得なくなった。
    つかこうへいの全盛期は1975年から1980年までだと僕は思っているが、その舞台を再現するのは不可能だと諦めていた。2012年6月、すみだパークスタジオ倉で横内謙介作・演出の『つか版 忠臣蔵』を観た。涙と笑いで劇場が揺れていた。つか芝居の全盛期の感動と興奮がそこにはあった。その時僕は、つかこうへいへのオマージュとして横内謙介作・演出による幻冬舎Presentsを劇団扉座と毎年演っていくことを決めたのだ。
    『つか版 忠臣蔵』『郵便屋さんちょっと』『無謀漫遊記』と、つか芝居の聖地、新宿紀伊國屋ホールで演って来て、今回は『二代目はクリスチャン』にすると横内謙介が決めた。僕に異論はない。志穂美悦子主演で映画にもなったこの長編小説は、僕が角川書店(現・KADOKAWA)の文芸誌『野性時代』の編集者として手掛けたものだ。それを最後に僕は『月刊カドカワ』に編集長として異動した。『二代目はクリスチャン』は芝居には一度もなったことがない。そのつかこうへいのタイトルを借りて横内謙介が縦横無尽に想像力を駆使した舞台になる。
    客席でひしめき合って観るのが、つか芝居観劇の流儀だから、思い切って今回は新宿紀伊國屋ホールを諦めた。新型コロナウイルス感染対策のため紀伊國屋ホールだと間隔を空けて座らなければならないからだ。
    今回のすみだパークシアター倉は『つか版 忠臣蔵』を初演したすみだパークスタジオ倉を改装して名前を変えたものである。その原点に戻って40年以上前の熱狂を再現する。勿論、感染対策には余念がない。
    主演は、つかこうへいによって抜擢され『飛龍伝94 いつの日か白き翼にのって』の舞台で絶賛を浴びた石田ひかりである。扉座の役者たちに伍して、どんな熱狂が出現するのか考えただけで待ち遠しくてたまらない。
    横内謙介とは彼が新宿紀伊國屋ホールに初進出した『夜曲-放火魔ツトムの優しい夜-』をアシストして以来の付き合いである。
    横内謙介の才能に惚れ続けている僕は、例によって金は出すが口は出さない。演劇はこんなにも面白かった。そうだ、これこそが演劇だ!横内謙介よ、それを見せつけてくれ。震えながら待ってるぜ。つかこうへいは今回も劇場のどこかで観ている。

    https://theatertainment.jp/japanese-play/85939/

  • 見城徹
    見城徹

    光が見えたのはつかの間だった。また、暗い道だ。上場をやめたのは、三四半期ごとに業績を開示しなければならないため、どうしてもビジネス戦略が短期の視点になってしまうためだった。短期で一喜一憂するのをやめる。今はプロセスだと考える。やるべきことは全部やる。結果はもっと先だ。改めて胸に刻む。

  • 見城徹
    見城徹

    時間が出来たので[二代目はクリスチャン]マチネーの最後に間に合うように劇場へ。
    初対面の[ちゅーそん]に会った。初日は[グリーンマン]にも会ったし、初対面の755の方々も来てくれているんだね。

    1
  • 見城徹
    ちゅーそんちゅーそん
    投稿画像

    扉座[二代目はクリスチャン]を見て参りました。
    喉が締め付けられるほど涙しました。
    生まれて初めての種類の涙。
    キャストの魂のぶつかり合い、迫力に圧倒されました。飛び散る唾、唾が溜まり泡となる口、眼球の色と水分、皮膚の血流量の変化、伝わる振動、窒息してしまう程の一息でのセリフ量、キャストの口から吐き出される魂は、かけ算となり無限大に膨らみ、その魂は、すみだパークシアター倉に充満し膨張し続けました。
    横内健介さん演出を初めて経験したのですが、この感情のスイング幅の大きさ。笑い、哀しみ、苦しみ、愛しさ、あらゆる感情が高品質で観客に浴びせられます。
    息をつく暇がないアップテンポな展開で、あっという間に終幕まで進みました。

    幸いにもあと一度観る機会があります。ぐつぐつ煮込まれた[二代目はクリスチャン]を楽しみしております。
    また、このような機会をお作り頂きました見城様に御礼申し上げます。

  • 見城徹
    大石絵理大石絵理

    本日は、見城徹様、幻冬舎様プレゼンツ、扉座"ニ代目はクリスチャン"観劇させていただきました!!
    ネタバレしてしまうので、これから見る予定の方、飛ばしてください🙇‍♀️


    今回も、舞台の幕が開け、今日子さんが光を浴びながら登場するシーンから、ダイナミックなインパクトでした。
    みなさんが登場してきて、その眼差しに情熱が溢れていて、はじまりから興奮しました。
    家族のいない登場人物たちが、人に出会い、大切に思い、一つの家族になっていくというストーリー、とても胸に染みました。
    今日子さんがお父さんの奥様だったところには驚きましたが😂そんな予想外な展開も、面白かったです。
    さぶちゃんのフィアンセが指を切り落とすシーンも、びっくりして思わず目を伏せましたが、そのあと涙がジーンと溢れました。
    絶対に裏切ることない信頼し合える人に出会える、そうゆう事ですごく幸せ、胸を張って言う今日子さんにも、胸が熱くなりました。
    ヤクザとクリスチャンの組み合わせもギャップがあり面白かったです。
    つかさん、横内さんの舞台はいつも胸が痛くなるくらい心に響きます。
    ストーリーがいいだけではなく、生の舞台で、俳優さんと観客の心が通じ合えるからだと感じました。
    エンディングも、皆さんが深々と頭を下げている姿に、こちらが下げなければいけないと。本当に素晴らしかったです。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 内容が判ってもいいのでどんどんアップして下さい。命懸けの舞台はそんなことでは色褪せません。この世あらざる空間はそんなことでは揺るがないのです。

  • 見城徹
    森貴代江森貴代江

    今日は幻冬舎PRESENTS "二代目はクリスチャン"を観に行きました!すごく今日を楽しみにしていました。


    扉座の舞台は、観せていただく度にとてもつもないエネルギーを吸収でき、力が漲ってくるのを感じます。
    今回の”二代目はクリスチャン”も最初の幻冬舎フラッグからエネルギーの塊を受け止めてしまい、ドキドキ胸が熱くなっていきました。
    この腐りきった世の中に、仁義の筋を通して風穴を開けよ!
    というセリフに、心を射抜かれてしまいました。

    途中コミカルな部分もふんだんに有り、その緩急がまたさながらジェットコースターのようにも感じました。(ジンベイ組長がインペルダウンにいる?!え!ONE PIECE?!とまさかのセリフにびっくりしてしまったり笑)

    そんな笑いを味わった後の、伝兵衛さんのこのセリフ・・・

    「人間っていいな・・・・」

    これはもうその言葉で一瞬にして世界が変わったように感じました。
    人間を使い捨てにするな。この言葉も胸にズシンときました。

    血のつながりがなくとも、親子と言える関係。
    盃を酌み交わしたいと互いに想いあえる関係。
    仁義・道理を通す。
    責任を取る。諦めない。

    この舞台を通して感じたものを羅列してみると、見城さんに教えていただき、いま私がとても大切にしていることが見えてきます。
    そして伝兵衛さんのように最後死んでいきたい。私はそう思いました。

    伝兵衛さんが最後力尽き死んでいく姿は、何も意識せず勝手に涙が溢れてきました。

    140分という時間の中で私の感情は乱高下しとても忙しかったですが、扉座の舞台でしか感じることのできないとっても貴重な時間でした。

    このような時期にどれほどの苦労があって、こんなに素晴らしい舞台を上演されたのか。
    やはり演劇は私たちの生活に必要だと改めて強く感じました。
    本当にありがとうございました。

  • 見城徹
    上田洲裕上田洲裕

    見城さんのお許しを得て内容について書きます。

    最初は石田さん演じる今日子のしっとりとした出所から始まり、あれ今回はわりと落ち着いているのだなと思っていたのも束の間、やはりなんと言っても扉座の舞台はこう出なくっちゃと劇的な幕開けの口上に胸打たれ始まりました。これまでヒロイン役を拝見してきた砂田桃子さんがよもやリーゼントで登場するとは夢にも思わなくてびっくりしましたが、若手たちのハカなどなんのその。(目があったと思うけれど多分勘違い)釘付けで聞いておりました。そして岡森さん演じる木村部長登場。のっけから痺れます。
    そして叫ばれるアンドレ・ジッドの「地の糧」の訳詩。コロナ禍とそれに付随する猛烈な不条理に対する強烈な皮肉であり、本編を通じて貫かれるテーマ。
    エンタメに、演劇に、世俗の正義を持ち込むなんて野暮なことはしない。僕は上演中、任侠の目にもなり、警察の目にもなり、そして木村部長の目にもなり…。実際これらは皆いずれも圧倒的な力と悲劇的な運命の前に抗い倒れてゆく小さな市井の人々であるからして僕と同じだ。エンタメはなんでもそうであるが、演劇は時間と空間を共にするが故に、その役柄に没入して自らを投影して共に生きる。孤独、無力感、切なさ、そして欲望…めくるめく込み上げる濃縮された感情の渦を自らにも巻き起こす。劇作家、演出家との共演、あるいは真剣勝負だ。刹那的にもエゴイズムを許して、その時間に酔う。だから僕はこの2時間の間に被曝して白血病にもなり、結ばれぬ片想いの相手の盃も受け、愛する人を危機に晒し、間抜けな部下を落命しても育て、そして腹を括る。無礼を承知で申し上げると、役者はまだ皆硬く、噛むし、殺陣も甘い。でも、僕が着目したいのはそういうことじゃない。そんなことを跳ね除けるぐらいに胸に突き刺さる、荒々しく息づいた芝居。これが全てだ。
    ラストシーン、二代目を継承した今日子が一家を引き連れて扉を開け、それこそ熱海殺人事件のごとく「立派な犯人」として報道陣の前に立つ。ここで拍手が少し起きたがそうじゃない!この芝居は木村部長がドーンと倒れ、熊田に抱え込まれる、これで完成する。それを予期しないのは客として無責任な拍手である。ああ、木村部長、漢前だ!こう思って僕の中では幕となった。木村部長はきっと絶望しきって逝った。満足しきってではないか?と言われるかもしれないが、僕は絶望だと思う。

    僕たちはそれでも今日を生きていかねばならない。幕を下ろした後の立場は今日子なのだ。