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見城徹

1970年11月25日は晴れていた。両親と妹が静岡県清水市の小糸製作所の社宅から神奈川県相模原市に買った小さなプレハブ住宅に引っ越して来て、僕も東京都目黒区柿の木坂の下宿を引き払って合流したばかりだった。僕は慶應義塾大学法学部政治学科の2年生だったが授業には殆ど出ることはなく、鬱々とした日々を実家で過ごしていた。三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して自決。衝撃的なニュースをテレビが映し出していた。呆然としてテレビに釘付けになった。その後のことは覚えていない。翌朝、自転車を飛ばして小田急相模原駅の売店で新聞全紙を買い、駅構内にある[箱根そば]のスタンドで「コロッケうどん」を食べたのだけは何故か鮮明に記憶に残っている。1970年11月25日は衝撃的な日だった。行為することは死ぬことだ。漠然とそう思った。 1972年5月30日。奥平剛士、安田安之らがイスラエルのテルアビブ空港を銃撃。空港警備隊に蜂の巣のように撃たれながら自分の足元に爆弾を投げて自爆した。この2日で僕の青春は終わりを告げた。僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだのだ。三島由紀夫の死から54年。世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている。

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