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TETSUO

「世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れている。世界はどうあっても存在しなければならないからだ!しかし、なぜ?  なぜなら、迷界としての世界が存在することによって、はじめて悟りへの機縁が齎されるからである。世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であったのだ。  それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、という問いに対する、阿頼耶識の側からの最終的な答えである。 もし迷界としての世界の実有が、究極的な道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる阿頼耶識こそその道徳的要請の源なのであるが、そのとき阿頼耶識と世界は、すなわち、阿頼耶識と染汚法の形づくる迷界は、相互に依拠していると云わなければならない。  なぜなら、阿頼耶識がなければ世界は存在しないが、世界が存在しなければ阿頼耶識は自ら主体となって輪廻転生をするべき場を持たず、従って悟達への道は永久に閉ざされることになるからである。最高の道徳的要請によって、阿頼耶識と世界は相互に依拠し、世界の存在の必要性に阿頼耶識も亦、依拠しているのであった。しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保障する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の交わる一点に存在するのである。ここに唯識論独特の同時更互因果の理が生じる、と本多は辛うじて理解した」   三島由紀夫『豊饒の月』 第三巻『暁の寺』阿頼耶識論

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てつおの部屋
トーク情報
  • TETSUO
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    松岡正剛さんの合宿‥参加したいなぁと思ったら、参加費130万円だった(笑)

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    自分を憎む者のために祈れ。
    自分を理解しない者の
    ために死力を尽くせ。

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    賢い人に聞いてみたい!
    世界の捉え方は無限にあると思う。十人十色でその人がいかに世界を認識するかによって世界がつくられているんだと思う(他自然論)ただそれすらも一つの捉え方であってどう捉えるかは本人次第。そしてその個人というものも場所や環境に依存するから自分ではコントロールできないものだとも思っている。
    常識は時代(時間)や場所によって変わる。5年前の常識は今の非常識だったりする。江戸時代の武士は人を斬るのが生業だったし、100年前の結婚は家同士の契約を指し恋愛は現代の不倫に相当する。当座の常識をハックして今を自分の捉え方で生きるしかないのか。この世に正しい生き方なんてあるのか?

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    地元新聞社の取材!
    若い女性の記者さんのコミュニケーションスキルが高い。さらに些細な疑問点をそのままにせずしっかりと掘り下げて聞いてこられるその貪欲な姿勢が素晴らしい。
    「なぜいま白いアジサイなのか?」
    対話を通じて商品に対するイメージが言語化でき鮮明になっていく。
    多様化した需要に応えられる品種、花を飾る背景を選ばないシックな色合い、伸びやかに咲く個性的な大輪の装飾花…
    良い機会をいただきました。

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