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https://youtu.be/3eSBnrlCCsA?si=lgZzKjUD_rQ_ib91 ギターだけでも相当難しいのに、若干26歳にして歌いながら弾くんだから。。 どう弾いているかもサッパリ分からない。 若い頃は、海賊版を購入したり、YouTubeでチャーがカバーしている動画を見たりしてチャレンジしていたら、それっぽくは弾ける様になったけど、ここまでのクオリティは無理でした。

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    ダイニングたった1人だけのマイケル

    このラストシーンの余韻の中にフレドを思い出すのは、決して僕だけではないはず。

    パート1も含め、こういう美しくも切ない作品を通して人間を知るという体験を、幸運にも子供の頃に体験した。

    そう思うと、ゴッドファーザーが映画にのめり込むキッカケだったと思う。

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    酷評されているパート3のみ再視聴したが、そこまで酷い作品とはおもわなかった。

    オープニングはパート1同様に、ゴッド・ファーザーへの依頼事から始まる。
    ただ、パート1は友情を元にしていたが、パート3はバチカンの不正会計を背景にしているが、宗教的メッセージはさほど感じない。
    クライマックスの粛清だが、パート1の洗礼プラス敵対する人物の粛清と、オペラ観劇プラス暗殺という、中々エモーショナルな演出の対比は面白いのだか、一作目の殺しの方が確実性が高く、観劇中にライフルで狙うなどやや雑な印象も感じられる。

    本作では過去を悔いるマイケルが所々でフォーカスされている。
    しかしこの物語の重要なポイントは、本質的な罪の救済など出来ないという事です。
    コニーの「湖で〝溺れ死んだ″フレドは可哀想」という台詞もあったが、このシーンのタリア・シャイアは白眉。

    しかし、パート2からの大きな変化は、ケイとコニーが強い女性に変わっていることです。
    特にコニーには、ヒステリックでメソメソしていた面影はない。
    むしろ、マイケルよりも非情で落ち着いている。
    これが最後までしっかり効いている。

    正直なところ微妙な作品ではあるが、美しさと儚さを見事に融合させた静かなエンディングは、三部作を締めくくにはこれ以上ない出来だと思う。

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    山の幸編

    島根県邑久郡邑南町
    山の中腹にある、「縄文村」というオーガニックな惣菜屋

    山間の景色を眺めながら、山菜の天麩羅や煮ものを。

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    海の幸編

    広島県呉市 呉漁港
    店名忘れた。。

    名物の生シラス、小鰯の天麩羅、マナガツオの定食

    残暑と瀬戸内海特有の凪もあり、かなり蒸し暑かったけれど、瀬戸内の獲れたての魚は美味しかった。

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    某ブログで映画についての駄文を書いているが、今日調べてみたら500を超えていて驚いた。
    ただ、交流を広げたくないのと、「この作品、私も観ました!」的な内容の薄い人はフォロー申請されても…
    まぁ、こんな距離感で利用している。

    ただこのサイト、(この人、プロのライター?)と思う人や、ガチの脚本家や関係者もいるので、下手な映画サイトより奥深いレビューが多い。

    その中で、常にチェックしているユーザーが三人いる。
    一人は某劇団の作家で、ポッドキャストも運営されている方。
    彼のレビューは脚本と美術を中心に、監督の過去作なども交えながら全体的に論じている。
    だから、レビュー自体が作品を語るというより、美術館のキュレーターの様に、こういう側面から観るのもアリですという語り口。
    もう一人は、元編集者(多分、ぴあ)
    粗筋よりも、どう見て、どう感じたかの表現が秀逸。
    相当量の読書体験がおありの様子で引用も多く、レビュー読後は情報が多過ぎてヘトヘトになる。笑

    最後は、精神科医の女性
    この方、一日に一本を必ず観了されているようで、しかも観終わってすぐに投稿されている。
    職業柄だろうが、会話や仕草から予測される心理面の解説が鋭い。

    小説も映画も、情景描写/会話/心理描写の三つが上手く合わさって作品となるわけだが、この三名のレビューをミックスさせると様々な視点から一つの作品を楽しむ事が出来ます。
    評論家でも映画ライターでもない普通の人が、自分の内にある深い想いを…

    いやいや、そんな大袈裟な事ではない。

    知識の使い方をよく理解している人達であり、
    単に映画や小説、そして書く事が好きな人達です。
    自分をよく見せるためにSNSを利用している人達とは違い、創作物を心から楽しんでいる人達だと感じています。

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    修治修治

    2号店の方ですが順調な滑り出し。ぶっちゃけると1号店以上の売り上げ😅
    勝因は店のある場所・ロケーション。仕事というのは、自分の為だけに頑張るのは限界がありますね...
    自分も常にお客さんの満足の為に・スタッフの生活を豊かにしてあげたい...という気持ちで、自分の利益は最後に...という考えでやっているのが、良い結果に繋がっている様に感じる。
    1号店と貿易の仕事だけで、十分にやれているけれど、2号店がうまくいく事で利益が増えても、着るものは相変わらずUNIQLOやオッシュマンズ、ジーンズメイトで良いし、高級なレストランに行く気にもならない。
    そういう場所は20代の頃に散々行ったしね。
    お客さんが楽しめる場を、今後も育てていきたいものだ。

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    まずは二号店の無事オープン、おめでとうございます。
    そして「その店、盛況につき」は、オーナーの考え方がそのまま店舗に反映されている事は安易に想像がつく。
    だから今回の投稿には全てに共感しています。

    顧客満足とスタッフを豊かにしたい。

    高級店での食事も高い服も要らない。

    僕も同じくです。
    がむしゃらに働く事が美徳とされていた世代ですが、若い頃は多分ストレス発散と見栄がぐちゃぐちゃになっていたんだろうな。
    今回の引越しで高い服も殆ど処分したけれど、結果四十万くらいになったから儲けた気がする。笑

    まぁ今まで通り、のんびりやるつもり。

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    昨日はMLBワールドシリーズ第1戦を生中継で観ていた。
    注目していたジャッジは第一打席から変化球に対応出来ず苦労しているようだ。
    特に9回表、スライダー2球で追い込まれた場面は、全く合っていない。
    しかし、今日の二戦目は修正して来るはず。
    いい選手とは弱点を克服する能力がずば抜けている。
    それは当たっていない大谷も同じだ。

    第一戦は足を怪我していたフリーマンのサヨナラ満塁ホームランで決着したが、ヤンキースがフルスイング出来ないフリーマンと勝負するのは当然だが、足を引きずりながらホームへ向かうフリーマンを、苦々しく眺めるジャッジが印象的だった。

    そして、今日の第二戦
    ジャッジの第一打席
    今日もスライダーに合わせられず三振。
    ここまではドジャース投手陣のテクニックが上だろうが、このまま終わるはずがない。
    このシリーズは、そこからが面白くなるはず。

    スポーツを勝った負けたのみで語るのもいいし、プロ野球なんて面白くないと公言してもいい。

    楽しみ方は人それぞれだから、それはそれでいい。
    ただ僕は、野球中継をこういう風に楽しんでいると言いたいだけ。

    さ、今日はどんな試合になるのか。

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    “感性”とか“感受性”といった言葉や、賢い自分を主張してるような言葉は、自分を追い込むことになるので使いたくないんですが、そういうものが自分には決定的に欠けている、と常々感じている。
    だからこういう言葉を好んで使う人と接すると、間違いなくヘコむんですよね。
    めんどくさいな、と思ってしまって。笑

    でも、田舎の爺ちゃん婆ちゃんが、演歌や民謡を聴いて「この人、上手いねぇ」と語るは、技術的な事は解らなくても、直感的に理解してしまうあの感性は、以前森山大道がインタビューで「量を超える質はない」と語っていた事と合致する。
    観たり聴いたりして来た量が半端ないから「上手い」の基準がハッキリしているんだろう。

    先日糸井重里が、グーグルの社内規範に「邪悪になるな」という文言があると語っていたが、この邪悪の境界線っていうの中々難しい。 

    頭が柔らかくて想像力があって、たとえ自分が経験していないことでも感情移入できたり、心を揺さぶられるような“感性”や“感受性”があれば、量=経験が無くても邪悪か否かは解るんだろうなぁ。

    SNSでも現実でも「俺は解っていた」とか「前から思っていた」とか語る人が多いが、そんなサイキックな才能を持ち合わせているのなら他でも発揮して欲しいものだ。

    まぁ僕には到底無理な話だから、やっぱり量から質って事を続けていく。

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    昨日の投稿は、この映画を観て感じた事を書きました。

    映画製作の裏側もさることながら、タランティーノがどれほど多くの映画を観て、どれほど多くの役者と会って、話し、構想し、脚本を書き、一つの作品を仕上げて来たかが解りました。

    映画や小説、料理や写真など、あらゆる作品と呼ばれるものに「自分を込める」とはそういうめんどくさい作業だと思います。
    そして、映画の様に人と人が関わり合えば、そこに感情が生じる。
    人の感情を無視したりないがしろにすることは相手の心を踏みにじる行為でもある。

    僕がこの映画を「とっておきの作品になった」と感じたのも、タランティーノの〝感性”ではなく、人と人との濃密な関係性にフォーカスし、描いたものだったからなんです。