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たけみつ

肌がキレイな奴はこの世に存在しないはずだ もっとも、たとえ服を来ていたとしても顔など肌が露出する部分は必ず生じてくる このように野ざらしになっている分、風雨にさらされるリスクも高まってくる つまり肌は毎日のように汚れるのが当たり前であり、たとえ風呂に入ったり念入りに体を洗ったりしても同じことの繰り返しになるだけである 「美肌に効く」などといった謳い文句を掲げる化粧品や石鹸などもよく見かけるが、それも真っ赤な嘘に過ぎない 逆に言えば、本当に余すところなく肌をキレイにするためには、全身をすっぽり覆うような服装で生活しなくてはならないのだ しかし実際、自分自身の肌がキレイであると主張する奴は少なからずいる なぜ奴らは汚れて当然なはずの肌をキレイだと言いきれるのか それは奴らが、周りから肌の汚れを指摘されないための口実を作ろうとしているからだ もちろん人間として肌が汚れるのは仕方ないことである しかしだからといってそれを他人から言われると、どうしても傷ついてしまうものである つまり他人の肌の汚れを指摘すると、その人の名誉まで汚されてしまうと奴らは考えている だからこそ奴らはこうした「二重の汚れ」現象を回避するべく、自分の肌がキレイだと言ってその場をやり過ごそうとしているのだ しかしながら、肌がキレイだということは人間としてありえないことに過ぎない たとえ汚れが酷かったとしても、「キレイ」と言えばその場しのぎになるのか そんな綺麗事が許されるというのか 答えはもちろんノーである だからこそ奴らには今一度自分の肌を見直して欲しい そして少しでも自分の肌の汚さに気づいて欲しいものなのだ

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たけみつの人格否定日記
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  • たけみつ
    たけみつ

    肌がキレイな奴はこの世に存在しないはずだ

    もっとも、たとえ服を来ていたとしても顔など肌が露出する部分は必ず生じてくる
    このように野ざらしになっている分、風雨にさらされるリスクも高まってくる
    つまり肌は毎日のように汚れるのが当たり前であり、たとえ風呂に入ったり念入りに体を洗ったりしても同じことの繰り返しになるだけである
    「美肌に効く」などといった謳い文句を掲げる化粧品や石鹸などもよく見かけるが、それも真っ赤な嘘に過ぎない
    逆に言えば、本当に余すところなく肌をキレイにするためには、全身をすっぽり覆うような服装で生活しなくてはならないのだ

    しかし実際、自分自身の肌がキレイであると主張する奴は少なからずいる
    なぜ奴らは汚れて当然なはずの肌をキレイだと言いきれるのか
    それは奴らが、周りから肌の汚れを指摘されないための口実を作ろうとしているからだ

    もちろん人間として肌が汚れるのは仕方ないことである
    しかしだからといってそれを他人から言われると、どうしても傷ついてしまうものである
    つまり他人の肌の汚れを指摘すると、その人の名誉まで汚されてしまうと奴らは考えている
    だからこそ奴らはこうした「二重の汚れ」現象を回避するべく、自分の肌がキレイだと言ってその場をやり過ごそうとしているのだ

    しかしながら、肌がキレイだということは人間としてありえないことに過ぎない
    たとえ汚れが酷かったとしても、「キレイ」と言えばその場しのぎになるのか
    そんな綺麗事が許されるというのか

    答えはもちろんノーである
    だからこそ奴らには今一度自分の肌を見直して欲しい
    そして少しでも自分の肌の汚さに気づいて欲しいものなのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    遠くに住んでる友達を友達と言うのはおかしい

    そもそも我々人間はその人と仲良くなると自然に近所で暮らすようになるという習性がある
    逆もまた然りで、人間は近所に住んでる人と仲良くなりやすいという傾向がある
    すなわち友達として、その人の近くに住むことはごく当たり前のことなのだ

    しかし奴らはこの条理に反し、友達の身でありながら比較的遠い所に住もうとする
    かといって我々がなるべく近くに引っ越すよう催促しても、奴らは断固としてその場を離れようとしない

    なぜ奴らは友達のクセしてわざわざ遠い場所に住もうとするのか
    なぜ奴らは遠くに住むことしか出来ないのか
    それは奴らが相手を本当の友達だと見なしていないからである
    実際我々にも、誰かと喧嘩になったりした後でその人と近づくのが鬱陶しくなることが多々あるはずである
    それと原理は同じで、奴らもその友達と関わりたくないがためにわざと距離を置こうとしている
    つまり奴らがやりたいのは我々に対する嫌がらせであり、我々が奴らから嫌われているということにもなりかねないのだ

    何度も言うようだが、友達なら友達らしく近所で暮らすことぐらい出来るはずである
    それが出来ないようであれば、奴らに友達の資格などないのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    クラスや職場の人気者はあたおかだ

    もっとも憲法に「法の下の平等」とあるように、我々人間はいかなる理由があっても差別をしてはいけないし、されてもいけない
    実際現代社会には地位が低い人や貧しい人もおり、決して平等であるとは言えない
    しかしこうした人間を劣った存在と見なしてはならず、同時にこうした現状も克服していかなくてはならない
    そしてそれはクラスや職場のように小さな社会についても言えることであり、同じ釜の飯を食べる仲間だからこそ互いに対等な関係になくてはならないのだ

    しかし奴らがいる限り、そのクラスが平等であるとは言えない
    人気者であるということは、それだけ奴らが周りから名声を得ているということになる
    言い換えれば、周りが勝手に奴らを人気者であると見なしているということになる
    クラスメイトに対して人気不人気のレッテル貼りをするのは明らかな差別であり、同じクラスメイトとしてあらぬ行為でもある

    この理論でいけば、一番悪いのは奴らではなく奴らを人気者扱いする方であると言えそうだが、実際にはそうではない
    当然ながら、何の根拠も理由もないのに人を人気者だと言う人間はいない
    奴らが人気者だと呼ばれることにはそれなりの原因や理由があり、それらは奴ら自身によって捏造される場合が多い
    もちろん差別する側も悪いが、一番悪いのは差別の原因を作る側、つまり奴らであると言える
    奴らが人気者だと呼ばれるのも、全ては奴らによる不合理な工作に過ぎないのだ

    しかし奴らがもたらすものは必ずしも差別だけとは限らない
    クラスや職場に奴らがいると、必ずと言っていいほど周りの視線が奴らに集中する
    一方で不人気な人間は周囲から孤立するばかりで、彼らが注目されることもまずない
    つまり奴らがいるせいで、クラスや職場に差別だけでなく格差も生じている
    奴らが名声ばかりを得る一方で、不人気な人間はいつまで経っても不人気なものなのだ

    もう一度言うが、たとえクラスや職場のように小さな社会であっても人々は平等でなくてはならない
    そして奴らはこのルールに反しており、平等な社会を目指そうとする我々の足を引っ張る存在である
    出る杭は打たれるとよく言うが、むしろ出る杭は打たれるべきである
    つまり奴らこそがクラスや社会に不必要な存在であり、我々として排除しなくてはならない
    クラスや職場で「人気」と言うのを禁止したり、奴らに出禁などそれなりの措置を加えたりするのもひとつの手だろう

  • たけみつ
    たけみつ

    手がキレイな奴は潔癖症だ

    そもそもたとえ服を着ていたとしても肌はどこかしら露出するものであり、風雨に晒されるリスクも高い
    特に手はその影響を最も受けやすい部分であり、さらには日常生活でよく使うパーツであるがゆえに汚れやすくなってしまう

    つまり人間として生まれた以上手が汚れるのは当然のことであり、手がキレイな人間がいるはずもない
    奴らも自分の手がキレイであると自負して騒いでいるが、何か特別な理由がない限り、実際には人並みに汚いのだ

    では何故奴らはこうした現実から目を逸らし、自分の手の汚れを否定しようとしているのか
    何故奴らはあたかも自分の手がキレイであるかのように振舞っているのか
    それは奴らが極度の潔癖症で、この現実に対しても嫉妬しているからである

    コンプレックスは誰にでもあり、普通の人間と同じように扱われたくないという思いを抱くのもよくある話である
    奴らもまた然りで、自分の手の汚れをコンプレックスとし、自分の手がキレイだとありもしない嘘ばかりを言っている
    こうして奴らは手の汚れというコンプレックスを克服し、自分をあたかも優れた存在であるかのように見せているのだ

    もう一度言うが、手が汚れるのは人として仕方ないことであり、普通に生活している限り手がキレイになることはない
    だからこそ奴らにはもっと現実を見て欲しいし、自分の手の汚れも認めて欲しいものだ
    本人がキレイだと思うならキレイだと言ってもよいが、奴らの言い分を信じる人間などいるはずもないのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    面倒見が良い友達はクズだ

    我々の中には、人のために尽くしたいという思いを抱く者も少なからずいるだろう
    我々がお年寄りに席を譲ったり、誰かを支援するために募金や寄付をしたりするのもこうした思いがあるからこそのことである
    奴らも人の面倒、特に友達の面倒を見ることでこうした思いを形にしているのだ

    しかしそれは人として間違っている
    たとえ親切心で人の世話をしたとしても、相手からすればそれがただの嫌がらせであるかのように捉えられることが多い
    というのも、実際誰からも面倒を見られたくないという人間が大半を占めているからだ
    こうした人間の世話をしてしまっては、それこそ余計なお世話になるのだ

    さらに言えば、人の世話をすることによってその人の身体や精神、財産などに害を与えることもある
    つまり法的に言えば人の世話は暴行罪にあたり、人の世話をしただけで立件されるという可能性も充分ありうるということになるのだ

    もう一度言うが、人の世話は人間のクズがやるようなことに過ぎない
    相手の気持ちも全く考えずに面倒を見るのは友達どころか人としてあってはならないことである
    人のために尽くしたいからなどという言い訳が通用するはずもなく、かえって恩を仇で返すことにもなりかねない
    だからこそ人の世話を全面的に禁止する法律を作り、こうしたクズ友達をどうにかして欲しいものなのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    O型の奴は馬鹿だ

    一般的にO型にはおおらかで気配りや目配りが上手というイメージがある
    しかし言い換えれば、ほかの血液型の人間はそれほどおおらかではないということになる
    つまり奴らは自分ばかりがおおらかであり、ほかの血液型の人間が自分自身よりも劣っていると考えている
    自分自身がO型でおおらかなのをいいことに、奴らはほかの血液型を敵に回してあーだこーだ言っているのだ

    では実際、おおらかな人間はO型に限られるのか?
    O型じゃないからといってそれほどおおらかではないと言えるのか?
    答えは否だ
    たとえO型以外だとしてもおおらかな人間もいる
    こうした人間もひっくるめて自分よりも劣った存在だとみなすのは人として普通にアウトである
    そもそも自分と他人を比較すること自体間違っているのだから

    何度も言うようだが、奴らは自分とは違う他人に嫌がらせばかりをするような非常識な輩だ
    このように奴らに常識がないのも、全ては奴らがO型であることに起因する
    奴らを更生させるために血液型を変えるという方法も考えられるが、現代の医療技術ではとても困難なものとなっている
    つまり我々が何を言おうが奴らに効果という効果などなく、我々が取るべき道は奴らを社会から排除することにほかならない
    O型を厳罰化し、奴らに死刑を課すというのもひとつの手だろう

    A型、B型、そしてAB型
    こうした人間を奴らから守るためにも、我々はなんらかのアクションを起こさなくてはならないのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    気が長い奴は脳内お花畑だ

    そもそも気長に生きていても大してロクなことがない
    例えばデート当日に寝坊した時、普通の人ならば「遅刻する」などと言って大急ぎで待ち合わせ場所に向かうはずだ
    一方で奴らの場合は「どうせ間に合わないから」などと言って開き直ろうとする
    というのも奴らは気が長いあまりに、焦ることを知らないのだ

    しかし開き直ったところで寝坊がなかったことになるというのか?
    もちろんそうではないはずだ
    そんなことをしていたら確実に恋人に嫌われるし、最悪の場合別れることも有り得る
    つまり焦らずのんびりと生きていても何も得することはなく、少しでも焦らないことには何事も上手くいかない
    焦ってこその人生であり、奴らも焦ることの重要性や意義を全く理解していないのだ

    さらに言えば、奴らのように気長に生きることが厳罰化される可能性も十分にある
    気長に生きていたらただでさえ罰金刑になり、最悪の場合禁固刑にもなる
    そんな時代が来ても全くおかしいことではないのだ
    しかし奴らはそれに見向きもせず、ただ自分の思いのままに生きようとする
    これも奴らが気長であるがゆえのことであり、たとえ厳罰化や罰金などと聞いても何も驚かずにただケロリとしているのだ

    ではなぜ奴らは懲りずに気長な生き方をしていられるのか
    それは気長に生きていないと都合が悪いからだ
    奴らは気が長いのをいいことにマウントをとろうとしている
    そうでもしないと生きる意味を失ってしまうと奴らは考えている
    だからこそ奴らはたとえ罰金刑や禁固刑を課されたとしても気長な人生を続けようとするのだ

    もう一度言うが、気長に生きるのは卑怯そのものである
    そんなことも理解できずに気長に生きようとする奴こそ地獄に落ちるべきなのだ

  • たけみつ
    たけみつ

    情報通な友達に理性などない

    そもそも奴らはある方面についておびただしい情報を有している
    しかし自分からこうした情報を手にしたいという意思がないことには、ここまで多くの情報を得ることもできない
    知りたいという思いがあるからこそ、奴らの今があると言えるのだ

    ではなぜ奴らはここまで多くの情報を仕入れているのか
    それは奴らがマウントをとろうとしているからだ
    というのも奴らは情報通な人間ほど優れていると考えており、少しでもその理想に近づこうとしている
    つまり奴らはそこで得た莫大な情報を周りの友達に振りまくことで肩で風を切り、周りの友達に優れていると思わせているのだ

    しかし奴らの友達の中には、大して情報に精通していない情報弱者もいるはずだ
    こうした人間も含めて手当り次第に情報を振りまくのは如何なものか
    彼らからすれば、明らかに嫌がらせとしか言いようがないだろう
    奴らの「情報攻撃」が風あたりとなり、彼らに大きな被害を及ぼしているのだから
    例えるならば、奴らはブレーキのない車を運転し、彼らを次々と轢き殺していると言える
    奴らが彼らに立件されても何もおかしくはないのだ

    では奴らに効く薬はあるのか?
    もちろん色々あるが、一番効果があるのは情報統制である
    人々が知ることができる情報を国家レベルで制限することで、普通の人間ならばたとえそれを知りたくても知ることは不可能なはずである
    しかし奴らは理性がないためこうした情報まで仕入れてしまい、必然的に犯罪者となる
    つまり情報統制は奴らを陥れるための罠でもあるのだ

    何度も言うようだが、奴らには一度情報収集から身を引き、現実を見て欲しい
    奴らから情報弱者を守るためにも

  • たけみつ
    たけみつ

    マイペースな奴は罪だ

    一般的に、マイペースとは他人に流されずに自分のペースで仕事などを進めることを言う
    しかし言い換えれば、自己中心的で他人のことを全く考慮しないことであるとも見て取れる
    そもそも奴らは自分のやり方が最も優れていると考えており、他人が別の方法を進めたとしても奴らにかかれば劣ったものであるとみなされてしまうのだ

    しかし実際、仕事において第一に求められるのはチームワークである
    自分のやり方ばかりに固執せず、他人と歩調を合わせてこそ、初めて仕事は上手くいくものである
    もし誰かが他人の意見に背き、頑なに別のやり方で進めてしまってはせっかくの仕事も台無しになってしまい、他人にも迷惑がかかってしまう
    つまり明らかに奴らは他人の足を引っ張る存在であり、奴らと一緒に仕事をしたいと思う人もいないはずなのだ

    だからこそ、奴らには自分至上主義という妄想から身を引き、少しでも現実を見て欲しい
    そしてマイペースな自分を捨て、他人と歩調を合わせられるような人間になって欲しい
    もしそれが出来ないならば一生人と関わらなければいいし、一生独りぼっちで生きれば良い
    何よりマイペースであること自体罪であり、それよりも「他人ファースト」であるべきなのだから

  • たけみつ
    たけみつ

    世渡り上手な奴は犯罪者だ

    そもそも我々人間というものは、いつかは死ぬ存在である
    生きている限り死は必ずやってくるものであり、ほっといても死んでしまう
    だからこそ我々に世渡りは不必要であり、やるだけ無駄なのである

    ところで、世の中には自殺願望を抱く人間が少なからずいる
    今すぐにでも死にたいと思っている人間だ
    もしそんな人間に世渡りなんか出来てしまえばとても死ねたものではなく、それだけ自殺願望も薄れてしまう
    つまり奴らは上手いこと世渡りすることで死のイメージを悪くし、我々の自殺行為の妨げにもなっている
    自殺幇助罪とはよく言うが、むしろ自殺は幇助すべきなのだ

    さらに言えば、奴らのようにいい加減なことをして上手いこと世渡りするのは罪である
    世渡りそのものが厳罰化され、奴らが逮捕されたり死刑になったりしてもおかしくはない
    だからこそ、世渡り上手などと言って弁解したいのなら法廷でやって欲しいのだ

    このように世渡りは不必要かつ罪悪な行為であり、奴らも平然とそれをやってのけることで自殺のイメージを悪くしようと必死になっている
    だからこそ奴らには現実を見て欲しいし、世渡り上手などと言いたいならいつまでも性懲りも無く生きている人間に言って欲しいものなのだ