#吉野彰
"カーボンを負極として使うことでLiイオン電池の原型が完成すると、製品化する上での致命的な課題がないかをまず確認することにしました。検証すべきことは山ほどありますが、まずはここから始めないと意味がありません。致命的な課題は「燃える」ということです。電解液に高い性能を得ることと引き換えに、非水系で燃えやすい有機溶媒を使っていることによります。もし、燃えれば致命的な欠点があるために使えません。安全性を主張するには比較対象が必要で、選んだのが金属Liを使った1次電池です。これは市場に出ていました。様々な条件で実験を繰り返しました。その結果、燃えることはなく、致命的な課題はないということになりました。30数年前の実験で、もし炎が出ていれば、今のLiイオン電池はこの世に生まれていなかったでしょう。本当の意味でLiイオン電池が誕生したのはこの瞬間だと思いました。ここから残りの課題解決に取り組みました。しかし、事業化までには旭化成社内で議論がありました。我々は化学メーカーであって電池メーカーではない。どうやって事業化するのか。1989年ごろから1990年にかけて議論しました。3つの方向性がありました。(1)単独で開発したのだから単独で事業化する、(2)パートナー企業と組んで合弁企業で事業化する、(3)事業は電池メーカーに任せてライセンス事業に専念する。最終的には東芝との折半で合弁会社を1992年に設立、事業化に踏み切ります。これは8年間ほど続き、やがて東芝が単独で事業をすることになります。我々は材料事業に取り組むことになります。中核部材のセパレーター材料は大きな事業に育ち、今でも稼ぎ頭の1つです。ライセンス事業の方は、最終的にはほとんどの国内外のメーカーにライセンスを供与しています。"、このシリーズの記事は無料会員(・有料会員)限定記事ですが、基本的には他のメディアが出してる話題もあるので、引用はパート4のみ。↓
『吉野氏が語るLi電池開発秘話(4)、「真の“誕生”は安全性を確認したとき」--- 日経XTECH』 https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/01023/101000015/ #吉野彰 #日経XTECH