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わけわかめのトーク
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  • わけわかめ
    山崎怜奈| Rena Yamazaki山崎怜奈| Rena Yamazaki
    削除されたユーザー
    前から思ってたことだけど、外仕事はずば抜けて多いけど、乃木坂46としての、仕事は、何もしてないなぁ!ただ乃木坂の名前だけ借りてるだけなんだよ。だったら個人としての、仕事をしたほうが、いいよ。だから選抜メンバーに選ばれないんだよ。アンダーで十分だよってほざいてるれなち。方向性考えたほうが良いよ。

    ご意見ありがとうございます。

    アルバムやシングルを引っ提げて乃木坂46が出演する歌番組や、乃木坂46の冠番組に、私はほとんど出演しておりません。

    乃木坂46メンバーとして私が参加している活動では、アンダーライブや東京ドームなどのライブに毎月立たせていただいていることや、毎週末オンラインミート&グリートへの参加、グループがリリースしている楽曲やアプリゲームへの参加、グループの代表として警察庁のイベントや勉強会に参加させていただくことなどがあります。

    責任と敬意を持って務めていますが、こちらの力不足でその活動を伝えきれていない部分も多いですよね。伝わってないのであれば、やっていないも同然だというのは理解できます。

    来週も、生田さんの卒業コンサートに出演させていただきます。また、楽曲に参加しているアルバムのリリースに向けたキャンペーンにも、各所参加しております。

    私がグループのためにできることは僅かですが、約9年間在籍させていただいていることへの感謝を込めて、盛り上がりの一助となれるように努めます。これからも乃木坂46をよろしくお願い致します。

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  • わけわかめ
    高架線のカフェテリア高架線のカフェテリア

    ようやくひと息。

    チーム日向坂として、この3年間本気で走って来て。先日の東京ドーム公演を経て、いよいよ乃木坂の背中が見えて来たと思っていました。
    でもそれは蜃気楼で、本当はもっとずっと遠くに居たんですね。そんな心地よい勘違い。

    それは卒業生サプライズがなくたって
    きっと同じ感想であったと思います。
    メンバーとスタッフの想いの強さを感じました。
    10年間の歴史とこれからの未来の可能性
    とても語り切れませんが、
    感動と満足感のキャパオーバーです。

    やっぱり、乃木坂にはこれからも先頭を走っていて欲しい。心からそう思います。

    ほんと夢のような時間でした。
    乃木坂46おめでとう。そしてありがとう。

  • わけわかめ
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    ゆうくん
    普段のこぼれ話から、いつもマスターはゼロからの制作が多いと思うのですが、アイデアはどのように考えられているのでしょうか?

    なるほど。私の場合は0→1にするというより、メンバーがヒントをくれるのでその0.1→1にしてる感覚かもです。そっちの方が上手く行く事が多い気がして。

  • わけわかめ
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    #1585『山崎怜奈論 Break a leg』前編

    2022年6月13日(月)13:01
    TOKYO FMの生放送にて
    山崎怜奈、乃木坂46卒業が発表された。

    彼女がその決断に至る迄の3年間を振り返ると共に、これからの山崎怜奈の航海にエールを。

    (2021.9月改訂版)

    人気アイドルグループ『乃木坂46』を大きく2つに分けると、それは「選抜・アンダー」という枠組みになるだろう。「選抜」という存在は主に「メディア組」でTVのレギュラー番組、そして音楽番組に呼ばれる組のこと。そして「アンダー」はそれ以外での活動、または選抜の代打出演を担当する。だが、その根底を覆したメンバーが居る。それが山崎怜奈である。これまで「選抜=メディア組」であった定説を、アンダーである彼女がひっくり返したのだ。彼女は如何にして今のポジションへと辿り着いたのか。その歴史を紐解いて行く事にする。

    そんな山崎怜奈は約3年前、
    乃木坂46を辞めようと決意を固めていた。


    山崎怜奈。1997年5月21日(25歳)
    東京都出身。慶應義塾大学卒業。
    乃木坂46第2期生。れなち・ザキさん。
    2022年7月17日を以て乃木坂46を卒業。

    2013年3月、乃木坂46第2期生オーディションに合格。だが当時は研究生からのスタート。自分のキャラじゃないけど客観的に人気が出るのは「アイドルらしく」居る事。その為の努力は何でもした。時に同期から「ザキはあざといね」と言われる程に。彼女もまた王道アイドルを目指していた。そして2年後に正規メンバーへと昇格出来たものの、アンダーでの恒例のポジションは3列目の一番端。それでも頑張ろうと思った。大好きな勉学もちゃんと努力すれば頑張った分だけ結果は必ず付いてくる、そう信じてたから。そして2017年3月、念願だったアンダー初フロントに選ばれた。握手会でも全30部をフル完売する事が出来た。ようやく乃木坂の活動に少しだけ自信を持てた瞬間であった。

    そんな矢先のこと。

    2018年1月アンダーベストAlbum「僕だけの君」の個別握手会。その全会場で全完売を達成したのは寺田蘭世・山崎怜奈の2名であった。そして、同年4月の20th.Single「シンクロニシティ」にて寺田蘭世は選抜復帰。だが、山崎怜奈の名前は呼ばれる事は無かった。乃木坂に入って、初めて完全に心が折れた。自分に出来る事は何でも取り組み、握手会で結果も出したのにその努力は報われず目の前のボーダーを越える事は出来なかった。何が正解か分からなくなった。ただ思うのは「私は乃木坂に必要のない人間なんだ」という自己否定。同期の渡辺みり愛に泣きながら相談した事もあった。眠れぬ夜も続き、悩んだ末に出した答えは「卒業」の選択肢だった。それを運営にも伝え許可を貰い、当時大学3年生であった為、一年後の就職活動に向けて情報収集や資料を集める程その決意は固まっていた。そして2019年、乃木坂46の4th.Album「今が思い出になるまで」ではいずれの収録曲にも呼ばれず。その頃には悔しさより「参加してないのに宣伝だけしてる私って何なんだろう」と虚しさだけが漂っていた。そして気付いた。私は乃木坂でもなくアンダーでもない"じゃない方"なんだと。

    だが救いの糸が舞い下りる。2019年5月、ひかりTVにて初の冠番組「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」がスタートした。この番組の話がなかったら、卒業発表していたと語る。趣味にしていた歴史の番組MCを担当出来る喜び、そして何よりこんな私を必要としてくれる番組スタッフへの恩返しがしたいと、一回一回の収録の準備を寝る間も惜しんで取り組んだ。番組は一年に渡って続き、終了後も同スタッフと共に「乃木坂46山崎怜奈とおはつちゃん」がスタートし徐々に山崎怜奈=MCとしてのイメージが定着する。

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

  • わけわかめ
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    #1586『山崎怜奈論 Break a leg』後編

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

    2022年現在。山崎怜奈の現在のレギュラー番組はTOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」が週に4本、CBCラジオの箱番組「乃木坂46山崎怜奈の推しの1コマ」、テレビ朝日「春菜ザキさんのただの通販じゃねーよ!」、そして準レギュラーとも言えるテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」。つまり週7本のレギュラー出演をこなしており、まさに乃木坂のメディア組筆頭とも言える存在になった。加え2021年2月には初の書籍「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」を発売。6月には27th.Singleのアンダー楽曲「錆びたコンパス」で初のアンダーセンターを担当。そして8月Hanako.tokyoにてエッセイ「乃木坂46山崎怜奈の言葉のおすそわけ」、2022年1月幻冬舎plus「山崎怜奈と「学ぶ」を考える」の連載を開始した。筆者はこの経歴を書きながら改めて感じた、今の山崎怜奈はどう考えても「売れっ子」のスケジュールであると。


    それでも彼女は一度も"選抜入り"を果たせなかった。では何故、アンダーであった山崎怜奈がここまでの大躍進を成し得たのか?それは、彼女の「愚直なまでの好きという趣味への"探究心"」と「圧倒的な"準備力とレスポンス力"」の2点であると考えられる。今ここに辿り着いた山崎怜奈は、新たな武器を見つけ磨き上げ独自路線を開拓したというより、元々あった「歴史・クイズ・ラジオ」という趣味に傾倒する道を選んだという言い方が正しいのかもしれない。より等身大を曝け出す事で。勿論、ここに辿り着くまでには多くのトライ&エラーを繰り返した。多い時で週25番組をチェックする程のラジオ好きな彼女はリアルタイムでトークアプリ755を更新し、それがきっかけとなり番組に呼ばれる機会も増え、それらの点は線となり、気が付けば昼ワイドのパーソナリティーを任され、今では多くのレジェンド達にも認められる程にラジオ界をザワつかせる期待の新星となっている。

    多人数グループであるが故の宿命「選抜=勝ち組」というこの15年の習わし。それは乃木坂46も例外ではなく「選抜メンバーとして運営に認められ活動し広くに顔と名前を売り、それがきっかけで個人としての仕事に繋がって行く」がこれまでの方程式であった様に思う。だが山崎怜奈は「決して選抜だけが、夢を叶えられる道ではない」と新たな生き方を提示してくれた。そんな彼女の功績は大きい。

    乃木坂46加入から9年半。今の山崎怜奈を見ていて思うこと。大切なのは、自分以外の何かになるのではなく、自分の持っている何かを追求する事。そして彼女の生き様は教えてくれる

    「立ち止まってるより 前へ進め」

    "かつての"じゃない方
    バナナマン設楽、オードリー若林
    南キャン山里、博多大吉、麒麟川島....
    今では揺ぎないポジションを確立しており
    寧ろ業界を牽引する存在にすら成っている。

    もしかしたら、彼女もまたそんな存在へと成り行くのではないだろうか。もしかしたら選抜、いやセンターが世間に与える影響を、今の彼女の活躍は成し得ていたのではないだろうか。私はそう確信している。

    山崎怜奈とは、下町の万華鏡。
    流行りじゃないけど価値あるもの
    多面性があり、色んな角度から見ると
    その本当の輝きに気付く。

    そしてその魅力は常に変わり続ける
    彼女が覗く景色は、きっと美しい。

    相変わらずめちゃくちゃ不器用でも
    どこにいようと何歳だろうと関係なく

    そのコンパスの先は、彼女らしく輝く。

  • わけわかめ
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    #1587『影山優佳論 beyond the past』

    影山優佳。日向坂46第1期生。
    2001年5月8日(21歳)東京都出身。
    筑波大学附属高等学校卒業。
    趣味はサッカーと勉強、クイズ研究。

    小学生の頃から地元の少年サッカーチームで男子に混ざりプレーしていた。ポジションはキーパー以外はどこでも熟せるマルチな選手だった。そんな趣味が高じて小学生で審判4級を取得。さらに偏差値78の筑波大学附属高等学校に合格、クイズ研究会に所属していた。
    そんな影山優佳がアイドルになったのは中学3年生の時だった。昔から淡い憧れはあったものの実際「ひらがなけやき(けやき坂46)」に合格して以降、グループは順風とは呼べない紆余曲折を辿っていた。そんな折、学業専念の為2018年6月1日から2020年5月26日まで約2年間の活動休止期間に入る。
    その最中2019年3月27日。ひらがなけやきから改名した日向坂46は「キュン」でSingleデビューを果たし、大晦日には「NHK紅白歌合戦」に初出場。更に翌年には念願の「東京ドームライブ」の開催(※当時)も発表されていた。まさに日向坂46として大ブレイクを果たしていた。

    時は流れ2年間の活動休止から帰って来た時、メンバーのみんなは歓迎してくれたが、アイドルとしての自分に完全に自信を失くしていた。その原因の一つが、大学受験の失敗であった。原因不明の体調不良に見舞われ、自分の武器であり大好きな勉強を最後までやり遂げられなかったという喪失感と、沢山の想いを一身に背負って頑張って来たのに何も形に残せなかったという恐怖で、彼女は輝き方を忘れた。そんな私がこの日向坂46に居てはみんなの迷惑になる、ここに居ちゃいけない。日に日にそう思う様になった。

    だけど、そんな彼女を救ってくれたのは応援の声だった。沢山の励ましの声だった。
    もしかしたら、私が過去の葛藤や後悔を笑顔に変える事が出来たら、同じ境遇の人へのささやかなエールになるかもしれない。あの日の悲劇はいつか喜劇になるかもしれない。彼女の迷いは晴れて行く。

    以降、アイドル活動と並行して趣味に邁進した。ステイホーム期間中には「世界遺産検定2級」「ニュース時事能力検定2級」「不動産知識検定」「薬学検定1級」「歯科助手」「心理カウンセラー」の6つの資格を取得。そして現在では、多忙のアイドル活動の中その圧倒的な知識量を活かし、サッカー番組やクイズ番組に呼ばれる機会も増えて来た。

    影山優佳とは日向坂46のサイドバック。
    後列に位置するが、その戦術でゲームを決める。

    さあ、試合開始だ。

  • わけわかめ
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    個人的にですが今日は嬉しいニュースがありました。

    以前マンボウやしろさんが仰ってた
    「ラジオをやる時、全国のリスナーに聴いて欲しい思うのではなく、先ず目の前の1人に自分の本音を届ける」
    という言葉が大好きで。それは先日のオールナイトニッポン特番でもそうだった気がします。だから本当に面白かった。

    今の世の中、本当に息苦しいです。何か世間が騒つかない平均点エンタメを作らないと行けない風潮さえあります。でも私が好きだったTVやラジオはもっとごった煮でした。子供ながらにその大人のギリギリ感は時にスリリングで、時に置いてけぼりで、でも惹き付けられるものがありました。

    エンタメに正解はないと思います。だからこそ迷走もしますし失敗もあるでしょう。でも正解があるとすれば、それは視聴者の1人でも「笑顔になれた」「元気が出た」と思って貰える事。その為にまた明日からも早朝バラエティー頑張れそうです。

    関係者の皆様、心よりおめでとうございます。

  • わけわかめ
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    #1592『山下美月論 Day by Day』

    どんなスピードで追いかけたら
また君と巡り逢えるだろう....
    今、彼女の日々を振り返る。

    山下美月。1999年7月26日生まれ(24歳)東京都出身。2016年9月4日「乃木坂46第3期生オーディション」に合格。2024年5月12日の東京ドーム公演を以て乃木坂46を卒業。

    小学3年の頃からアイドルに興味を持ち始めた。その夢への一歩とレッスンを始めたのは中学1年生の頃。だが思っていた以上に過酷なレッスン。自分は向いてないと気付き13歳の彼女は女優系の事務所に所属した。演技レッスンと並行し何百回もオーディションを受けたが結果は出せないまま、気が付けば中学3年になろうとしていた。夢は諦めようと事務所を辞め高校進学に備えた。だが2年間の芸能活動分の学業を1年で取り戻す事は容易では無く高校受験に失敗した。何もかも中途半端な自分自身が嫌いだった。かつ芸能活動をしていた事が学校で噂となり人間関係は破綻した。気が付けば完全に孤立していた。ある日の放課後目にした教室の黒板には「悪意の寄せ書き」その光景は絶望だった....
    第二希望の高校へと進んだ彼女は無個性を演じた。目立ってまた「生意気」と思われないよう集団の中の一人であろうとした。もう絶望は見たくないから。そんな彼女が唯一くつろげるのは大好きなアイドルのYouTubeを見てる時だった。そんな普通の学生生活。でも時に「私大丈夫かな?」と不安に駆られた。ふと鏡に映る姿を見た時「今楽しいのかな?」と思うようになった。自分の色を消して生きている本当の心は泣いていた。もしずっと憧れてたアイドルになれる事が出来たら人生変えられるかもしれない。二度目の夢を叶えるべく高校2年の彼女が最後のチャンスと応募したのが「乃木坂46第3期生オーディション」だった。決め手はその数ヶ月前に開催された「オーディション希望者セミナー」での白石麻衣の「乃木坂は新しい自分に出会える場所です」という言葉だった。

    私は、ここで生まれ変わるんだ....

    そんな覚悟で挑んだ乃木坂46第3期生オーディションは総数4万8,986人の中から12名が合格。17歳の彼女は乃木坂46になった。翌朝の芸能ニュースでも話題となったが同時に不安になったのが学校での評判。だが実際の教室での反応はごく普通で寧ろ乃木坂の話題が上がる事はなかった。後日乃木坂の活動の為に転校する事になった。その時初めてクラスメイトから沢山のエールを貰った。そうあの日の無反応は彼女を気遣ってのものだった。みんな分かっていた、みんな応援していた、アイドル山下美月を。

    乃木坂46の活動が始まった。長年描いて来た夢はここにあった。だが「本当の私は何色なのか?」と模索する日々が続く。どうすれば愛されるアイドルになれるのか、どうすれば理想のアイドルになれるのか。同期の3期生たちと切磋琢磨しながら試行錯誤の日々が続いた。体調を崩し3ヶ月の間乃木坂の活動を休業した事もあった。正直辞めようかとも考えた。そんな時、自分を心配してくれる多くのファンの手紙が届いた時、涙が溢れた。
    もっと誰かに頼ってもいいんじゃないか
    もっと弱音を吐いてもいいんじゃないか
    どんな自分も受け入れて生きて行こうと
    私は支えられて生きてる、そう思えた。

    乃木坂46では表題曲センターを3度経験した。アイドルの活動と並行して演技の仕事も増えて行った。特に2023年は体力的に極限のスケジュールに追われる日々だったが、アイドルと役者業の両方を熟す日々は精神的にはバランスを保てた。アイドルは自分の色を見てもらう一方、役者はその色を消して役の色に染まる仕事。そんな真逆の日々は彼女に生きがいをもたらした。毎日映画を観る様になった。合間で演技のワークショップにも通った。ドラマの撮影が終わっても居残り他の共演者の立ち振舞いを学んだ。もっと多くの作品に呼ばれる役者になりたい、次の夢を描いた。
    2020年辺りから卒業を考える様になった。でもこれからは私達の世代が中心になり頑張って行かないといけない。だからそれは直ぐにではなくタイミングは事務所と相談し決めようと思った。2023年に2冊目の写真集の話が来た時は断ろうと思ったが翌年の卒業に向け取り組む事にした。今年に入り乃木坂の活動がより一層愛おしくなった。3期生がグループの先頭となり沢山の後輩も出来た。悔いはないと心から思える様になった。色んな事があったけど乃木坂46の自分は大好きだった。そして心から思える、こんな私を好きになってくれた全てのファンの皆さんありがとう。

    山下美月の7年8ヵ月と9日。
    彼女が歩んだアイドル人生は、
    どれだけの時が流れても
    永遠に過去形にならないヒロイン。

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