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三上雅博

親父、有難う御座います。涙 僕には失敗談ばかり無数にあります。 いつか全て話せたら良いなと思います。 僕は自分の失敗をドラマティックに思っています。成功はすぐに忘れられるけれど、深く抉られた失敗は一生忘れないものです。 今思えばただただ馬鹿だったと思うことばかりですが、そんな失敗が無ければ今の自分にはなれませんでした。 そう考えると失敗して良かったと思うのです。 僕は子供の頃から怪我するからやめなさいと言われたら、さらに激しく行動するタイプでした。 きっと性格が天邪鬼なのですね。 そんな性格が災いして思えば失敗ばかりの人生です。 でも僕はずっと楽しかったんです。 そして今も自分の人生を全力で楽しんでいます!

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    大阪に来て雇われでお店をやっていた時は、大阪にほとんど知り合いもいない状況下だった事もあり、知人に勧められた異業種交流会に参加しました。

    毎週朝の6:30くらいからホテルに集まり1分間スピーチしたり、どれだけ会に貢献できたかを発表しあう。
    3回行って辞めました。

  • 三上雅博
    三上雅博


    「魚の声が聞こえる男、鮨職人三上雅博です」
    スピーチの時に言ってた言葉。笑
    今思うと恥ずかしい。

  • 三上雅博
    MiRAIMiRAI

     石原慎太郎さんは子供の頃、小樽に住んでいらっしゃた。5歳から12歳までの7年間。自我が確立するであろうデリケートな頃だ。葉山や逗子と同じ位、父親と過ごされた極寒の地、小樽に思い入れがあるに違いない。

     小樽・緑町の地獄坂。海陽亭。見城さんが石原慎太郎さんをmikami limited 50にお連れしたかったという気持ちを、私なりに追いかけている。毎晩切ない。押忍!

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕がよく手伝いに行っていた小樽の名店には、石原まき子さんのサインや写真が沢山飾ってありました。

    小樽には石原裕次郎記念館や西部警察のミニパークがありましたが現在は閉館しています。

  • 三上雅博
    三上雅博

    石原慎太郎さん裕次郎さんご兄弟が少年時代を小樽で過ごしてくれた事をずっと誇りに思っているのが生粋の小樽市民です。

    そして僕の弟の名前も字は違いますが「伸太郎」です。笑

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕には弟がいます。
    三上伸太郎。「しんちゃん」と呼んでいます。なんでこんなにも弟のことを愛おしく思うのか。自分でもわからないくらい可愛いです。

    まだ小学生なのによく飲みに連れていった。
    中学生になったら車の運転を教えた。
    高校生の頃になると学校に僕が電話して休ませては、海で潜って酒盛りしながらバーベキューしてた。

    しんちゃんは、ずっとこんな僕の後ろにくっついて歩いてたんだ。