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三上雅博

原点回帰。 あの職人は今どうしてる。 あいつは死んでしまった。 そんな話をしながらもその人は74歳になった今も寿司を握り続ける。 また別の店の親方はリンパの癌で入院し、退院したその日に仕事をしていた。 その店は自分の持ち物件で二代目の息子が切り盛りしてるから親方がお店に出なくても回るのにそれでも立ち続ける。 二代目はその姿を間近で見せられている。 みんなそれぞれ必死に足掻いてる。 僕はまだまだひよっこだ。 この街で何百人というの寿司職人を見せてもらえたことが本当にありがたい。 子供の頃歩いた海岸まで続く道。 今、歩いてみた。 全てはもう生まれた時から決まっていた。 寿司職人になるのは運命だったのだ。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 優しい言葉を有難う。しかし、違うんです。ここは正確に言わねばならない。僕は尾崎豊から解放されたかった。地獄の道行きはもう沢山だ。尾崎がいなければどんなにか楽だろう。毎日、七転八倒しながらそう考えました。僕が死んでもおかしくない。そんな日々でした。だから、自分のためにホッとしたんです。
    しかし、28年経ってこう思います。
    生きている限り毎日は地獄だ。それが当たり前だと思って生きるしかない。地獄を引き受ける。忍びて終わり悔いなし。I Will Go to War!
    哀号。押忍!

  • 三上雅博
    三上雅博三上雅博

    僕がステージに立っているというよりも、僕の視界に広がるカウンターの向こう側がまさにステージだ。主役は全くもって自分では無い。
    僕はレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐的な、まるで美しい絵画を見る様にカウンターの向こう側を見ている。
    だからその刹那にどんな表情をしてもらいたいか考える。
    今日もこの目に映る情景が
    美しくある様に全力を尽くすだけ。

    その情景を美しい絵画の様にできるかどうかは己次第なのだ。
    努力を怠るな。押忍。

  • 三上雅博
    BLEUBLEU

    三上さんは寿司を握っているのではない
    その手を通して作り上げられるものは
    彫刻であり、芸術であり
    "美"である。

    それはカウンターの向こうを彩るさまざまなお客さまの表情や仕草、ため息まじりの会話、その驚嘆を通して完成されるひとつの芸術作品です。

    感受性を深く刺激される"美しい世界"