湊奥
トーク情報- 凪華
凪華 記事の通り、私もアイドルに興味のある人間ではなかった。
私が彼女達の活躍を追い始めたのは、好きな芸人バナナマンさんとの絡みが多かったからだ。
そこで出会った彼女達の愛くるしくて、どこか儚げな存在感に惹かれた。
そして試しに曲を聴いてみると、自分の心に深く干渉してきた。
CDを買い、個人PVを見ると女優としてのメンバーがそこに映っていた。メンバーによっては本職の俳優と遜色のないものもいれば、全然及んでいないメンバーもいる。だけどもメンバーは皆、監督らと同じクリエイターとしての輝きを放っていた。
決まり手は映画、エンディング曲「悲しみの忘れ方」、そして2015真夏の全国ツアー神宮ファイナルのキャプテン桜井、これらは今までアイドルや芸能人に興味のなかった私を彼女達の虜にした。
どこを取っても魅力的な彼女達に、もっと早く出会いたかった。
感動をありがとう。
希望をありがとう。
未来をありがとう。
あなた達は私の光です。 凪華 七色息子七色息子 茫漠の彼方に大事なモノを預けて、自分らしさを犠牲にして、そうやって命だけは守っていた。
僅かの光すら見えない一寸先も真っ暗な場所で、誰に導かれるでもなく、自分で一歩踏み出して、気づいたら傾斜の上にいた。
今まで感じたことのない重力がそこにはあって、今まで感じたことのない悔しさと口惜しさに襲われて、もう闘わずにはいられなくなった。表現という自由な武器の存在を知ってしまったから。自分らしさ って、きっと、そうやって手に入れるものなんだ。
目を瞑ることも耳を塞ぐことも許されず、ただ口だけを閉ざされ、全霊が傷つく。
自分の代弁者などいない。嘆き、怒り、祈り、叫ぶ。様々な悲鳴が全身の内幕で発止と轟く。
共有された既視感の中で、盤石な既成概念の中で、なにを覆せる。変わりゆく自分の音を捕らえることで精いっぱいの彼女たちに、なにを望む。いたずらに手足撃ち抜かれても、踊るように崩れ堕ちても、手を差し伸べられても、再びバラバラにならざるを得ないほどの強い衝動を、誰が理解できる。
孤独を照らすスポットライトなんていらない。傾斜がもたらす 共感という憐れ を躱しながら、それらに高揚する意志 すべてを振り払いながら、ただ一心に自分らしさを求め高め行く、その先が見たいのは、他の誰でもなく、彼女たち自身なんだと、昨日のSONGS-欅坂46を見て、「不協和音」テレビ初披露を見て、強く思った。ひたすら悲しくなって、ひたすら切なくなったけど、彼女たち一人ひとりが本当に素晴らしかった。いろんな感情を覆されても、好き、だけが最後に残る、そんな儚さを初めて感じた。彼女たちはもういない、ずっと、新しい、好きとの、出逢いです。