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吉田真悟

【三國清三シェフの年表】改訂 参考:『三流シェフ』とWikipediaと一部のYouTube動画、TOKYO SPEAKEASY(2/7) ◆1954年8月10日、北海道留萌支庁管内増毛町に生まれる ・父:正(漁師)、母:亮子の7人兄弟の3男(現在68歳) ※父は鰊の闇取引で大損し、家屋敷を失っていた。幼少期から家は貧しく、父の刺し網にかかった海産物を売り歩く手伝いをしていた ◆1969年中学を卒業後、札幌の「佐藤米穀店」に配達員として勤める ・鶴岡学園北海道栄養短期大学に併設の別科、調理専修夜間部へ1年半通う ・札幌グランドホテルの青木靖男(西洋料理部課長代理、当時32歳)に出会い社員食堂で働きホテル側の洗い場で皿洗いや鍋磨きを始める その後、特例で準社員として採用される ・「原生林」のメインダイニングへ配属され1年後にはソースの味を決めるストーブ前の担当に ※この頃、料理長の代理でワゴンサービスを担当し、先輩達との軋轢が生じる。先輩からの説教の中で、帝国ホテルの村上信夫(総料理長)を知る     ◆1971年(18歳)斉藤総料理長から紹介状を書いてもらい、帝国ホテルの村上さんへ会いに行くが、オイルショックで不景気のため正社員ではなく洗い場のパートタイムとして働きだす(この時社員待ちが27名も前にいた) ・村上さんのTV収録時に手伝いを半ば強引に行い、先輩達から顰蹙を買う   (反骨心で、この頃から髭を生やしだす) ◆1974年(20歳) ・帝国ホテルの洗い場に入って2年が経つが、パートから社員への道が突然閉ざされる ・退職する12月までにホテル内18店舗の全ての鍋を磨こうと決める ・10月に村上さんから声が掛かりスイス・ジュネーヴの日本大使(軍縮担当)の公邸料理長に就任が決まる

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