

ikutamaのトーク
トーク情報ikutama 幻冬舎箕輪 日報幻冬舎箕輪 日報 見城さんはあまり編集論を語らないのでガッツリ聞いてみたら、生き方の話になりました。
ヒットを出す人間は個体の掟を生き切ってる。ヒットを出せない人間は小手先で生きている。
編集者、クリエイターはもちろん、あらゆる起業家、ビジネスパーソンに刺さると思います。ぜひ。
https://youtu.be/G2KlD1IosWg?si=vnI8meU-XjWSl2F9- ikutama
ikutama 導入部分で話をされていた「政治の持つ残酷さ、政治の持つ宿命」。石原慎太郎さんが田中角栄を書いた[天才]。そのあとがきに書かれているゴルフ場で田中角栄が、自分を批判している石原さんにかけた言葉。
『ああ、お互いに政治家だ。気にするなっ』
この一言が持つ重みについて改めて考えさせられました。また、題名変更のエピソードでは、“野心”を超えた“天才”を信じたいという、政治に託す想いを汲み取っていただいたように感じました。
本編では、見城さんが常々言われている言葉が心に響きました。
『善良に、誠実に、正直に、真心を込めて生きる』。個体のルールで自分の命をぶつけて、自分の人生を生きること。そして絶えず自分の生き方を検証すること。「面倒なこと」「苦しいこと」に丁寧に対応すること。身体から湧き起こる熱狂とともに生き抜くこと。
まさに永久保存版と感じる内容でした。[敗者の凱旋]の出版、心待ちにしております。 - ikutama
ikutama https://youtube.com/watch?v=CEiiqdtNN_E&si=ER_84ON9tApCyF9P
YouTubeチャンネル【角川春樹のネバーギブアップ】[角川春樹の冒険]。
サンタ・マリア号の航海は、角川書店の冒険であり、角川春樹という人生の冒険でもあった。角川春樹さんが語る神かがり的な不思議な逸話の数々に、たまらない魅力を感じ、元気をいただきました。
『生涯不良、ネバーギブアップ!!』 ikutama 見城徹見城徹 ↑ 劇的に人生が変わるのは40歳からだ。少なくとも僕の場合はそうだった。30代で直木賞受賞作品を5つ出した。[月刊カドカワ]の編集長を引き受けて、部数を30倍にした。書き出せばキリがないほどの結果を叩き出して来たが、本当に人生が充実したのは40歳からだった。42歳でKADOKAWAの取締役を辞して幻冬舎を設立した。そこからだ。僕の第2の人生が始まったのは。それまでは準備期間に過ぎなかったことを実感することになる。
ゼロからの出発。暗闇の中のジャンプ。圧倒的努力。正面突破。たった一人の熱狂。岩が割れた。山が動いた。
30代は何をしていてもいいと思う。40代で全てをゼロに戻す覚悟さえあればそれでいい。疾風怒濤の30代を経てゼロに戻せるか?31歳はまだまだ若い。30代で無茶をやれ。無理を通せ。がむしゃらに生きろ。生きてさえいれば勝負の40代が来る。
ゼロから始める。人生はそこからだよ。- ikutama
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8月12日の見城さんのご投稿をきっかけに、日航機墜落事故と向き合い、『墜落の夏』を読みました。
事故に遭遇した人たちの命の記録に触れ、改めて、あの日何が起きたのかを考えました。
そして今、『航空安全とパイロットの危機管理』を読んでいます。
事故を知れば知るほど、それでも飛行機を飛ばし続ける人たちの姿に心を打たれます。
日航機墜落事故の後、航空業界は事故を徹底的に検証し、制度、技術、運航、そして組織文化に至るまで、改善を積み重ねてきた。
その最前線にいるパイロットは、自らの命を飛行機に預けながら、最後の砦として、刻々と変化するトラブルに向き合う。
生き残るために、考え抜く。
起こり得る事態を想定し、訓練し、仕組みにする。
そして最後は、自ら決断する。
危機管理とは、単に危険を回避する技術ではない。
過去の悲劇から学び、それを次の安全へとつなげ、人類が前に進むための仕組みなのだと思います。
『決断には基準も正解もない。何を守るかを決めること。それには責任と覚悟が伴う。覚悟とは、決断の結果として起こり得る全てを受け入れること。』
日航機墜落事故から41年。
失われた命と向き合い、そこから学び続けてきた人たちがいる。
その積み重ねの先で、今日も飛行機は飛んでいる。 ikutama ジョージジョージ 僕も[日本航空123便墜落事故]に取り憑かれた1人です。
本当の事故原因はなんなんだろう。
正直わかりません。
事故調査報告書は矛盾が多過ぎるし、青山透子は自覚なき詐欺師だと思っています。
僕は杉江弘さんの唱える
機長、副操縦士、航空機関士の3名が酸素マスクをしなかった為、数分間気絶してしまった説を信じています。
18時24分の爆発音から
圧力隔壁の損傷により大幅に垂直尾翼を失い、油圧操縦システムが全喪失した直後の客室写真が残っています。
酸素マスクが上部から垂れ下がっている様子がしっかりと写っています。
あの時
コクピットも客室同様気圧低下により、酸素マスクが必要だったのだと思うのです。
しかし、録音データを聞いても彼らが酸素マスクをして話している様子はないですし、コクピット内の会話は数分無言になります。
3名が気絶していなければ海上着陸が出来たのではないか?
実質、操縦していたのは佐々木副操縦士で、異変を感じた瞬間、高濱機長に操縦を変わるべきではなかったのか?
それでもあまり意味はなかったのではないか?
全てはたらればの話になってしまいますが、こんな事故、2度と起こって欲しくないですね。
コロナ禍の2020年
YouTubeでコクピット内の会話を100回ぐらい聞いてしまった為、僕は今でも飛行機に極力乗りたくないです。- ikutama
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倉本聰さんが語る父、戦争、テレビ界 自伝「破れ星、流れた」インタビュー|好書好日
https://book.asahi.com/article/14661347
『(欠点を)隠そう隠そうとするやつには、せこさの可笑しさがあるし、臆面もなく出すやつには大胆な面白さがありますよね。欠点を書くと、その人間の中身が書けるんです。』
755と『破れ星、流れた』のおかげで、自分にとって倉本聰さんが、特別な人になりました。
家族からの同情や哀れみを何よりも恐れた倉本さんの父。
その大きな背中に、歳月を経て気づき、自分自身の人生を再検証していく倉本さん。
そして、“荒野に残された廃屋”から始まる『北の国から』。
そこに込められた倉本さんの想いを抱きしめています。
