No fun
トーク情報- No fun
No fun 右の「ユリイカ」は、先週Amazonで購入。
何度か見かけた事はあったけど、状態可でも一万円越えばかりで、中々手が出せなかったものが千円!
詩や批評が中心の雑誌なので不安はあったけれど、掲載されている内容は満足出来るものでした。
ケルアックが『路上』を発表する前の作品が多く掲載されていて、ブレイクする前の、ホーボーだった頃の日常を知ることが出来ます。
因みに、今月の『ユリイカ』はポール・オースター。
ヒップスターやカットアップなどの言葉を現代の作家で使う人はいないだろう。
佐野元春の歌に「ヒップな稲妻に、心うちふるわせて」という一節がある『ハート・ビート』という曲があるが、当時は「お尻の様な、ふくよかな稲妻」だと思っていた。
村上春樹の小説『スプートニクの恋人』も、三島の短編『月』もビートニク(昭和42年頃はビート族と呼ばれていた)に影響されて書かれたものだが、どちらも好きな作品です。
というより、偏っているんです。趣味が。
先日、常に文庫を持ち歩いている若い社員に、『幽霊たち』を薦めてみた。
オースターが亡くなった事も知らない彼女は早速読んだらしく、「村上春樹っぽいですね」との感想だった。
いやいや、逆だよ。
ビートニクを知らない世代も、この彼女の様に、知らないうちに読んだり聴いたりしている。
元春を聞いていた中学生が『路上』を読んで目の前の霧が晴れた様に、真のオリジナルが広く認知されたらいいのになぁ。
そうすれば、絶版のままの『禅ヒッピー』やコーソの詩集なども再販されるだろうし。 - No fun
No fun Netflixで話題の[地面師たち]を一気観した。
「地面師」という言葉を初めて知った事件をベースにしていたので、配信前から期待していた。
何故大手住宅メーカーが60億も騙し取られたのかが、当時はニュースを見ながら不思議だった。
結果は予想以上の面白さだった。
特に刑事役のリリー・フランキーを地面師の豊悦が追い詰めるシーンの恐ろしさは圧巻で、この物語の登場人物全てに当てはまる「正義という感情が殆ど無い人間」を象徴しているシーンでもある。
「人が追い詰められた時は、実にいい表情をしますね」
知らないうちに他人の心に入り込むテクニック
信じてしまう、という一線を越えた被害者側にも問題はある。
これは宗教も少数のコミュニティも同じ。
だが、そこから引き返す事だって出来る。
そのためには対象を観察する事と、(大した事ではないが、どうしても気になる)という些細な違和感を信じる事だろうなぁ。
ということで、
お盆休みの22:00
人のいないジムで、自分で自分を追い詰めます。 - No fun
No fun バニシング・ポイント
中学生の頃に観たはずなのに、広大な土地をダッヂが白煙を上げて疾走するシーンと、素っ裸のバイカーしか憶えていなかった。
でも、それで正解の作品。
最後のシーン
パワーシャベルの隙間に一瞬見える夕日。
昏れの景色と爆発が重なり悲しくなる名場面。
主人公コワルスキーの逃走劇を観終わった観客は、時折挿入される回想シーンを反芻しながら、何が彼を暴走させたかを余韻の中で整理すればいい。
そんな作品ですね。
ただ、タランティーノを筆頭に、様々な作品に影響を与えている本作だけれど、つまらなく感じる人もいるだろうとは思う。
大空港
当時のスターが大勢出演しているだけで満足。
ストーリーは大雪の空港で旅客機が脱輪する事から始まるが、騒音問題や無賃搭乗など、中々風刺の効いた凝った作りになっている。
空港長役のバート・ランカスターや、気性は激しいが空港長が絶大な信頼を寄せているジョージ・ケネディ、ジーン・セバーグ演じるクレバーな秘書など、個々のキャラクターがしっかりしているので、パニック映画というより群像劇として観た方がいい作品。
ツイン・ピークス
若い頃に熱中した作品がアマプラにあったので。
日本のドラマでもモノマネ作品が幾つか作られたが、これを超えるものはなかった。
リンチお気に入りのマクラクラン主演でも、ブルー・ベルベットよりわかりやすいし、ストーリーに花を添える山間の街の「変人」を観ているだけでも楽しめる。
というより、ブルー〜は今観てもサッパリお手上げ。
話は逸れるが、難解ではあるけれど中毒性の高いマルホランド・ドライブの4Kが来月公開されるらしい。
ベティとリタ、最初に現れる老夫婦、現実なのか妄想なのか、ファンタジーなのかサスペンスなのか。
ララ・ランドのリンチ版
こちらも楽しみです。
他人の意見に左右されず、少しでも気になる作品があれば観た方がいい。
蓮實重彦さんなどのトップレベルの評論家だって、口を揃えて、「何も考えず、ただ観るだけでいい」って書いているのだから。 No fun 修治修治 ゴッドファーザーpart2ラストの回想シーン。初めてコレを観た時にコッポラは天才だと思ったな...
〝疑心暗鬼になり、図らずも自らの手でファミリーを壊滅状態にしてしまったマイケル〟を観てきた観客達は...まだファミリーが結束しており平穏であり、皆が幸せだった頃のシーンをラストに観させられる事で、物語の悲劇性と残酷さを再認識させられ、強い印象を心に刻まれる。
ヴィトーの誕生日のケーキ🎂を運んで来るのは、ドンの青年期からの盟友であるにも関わらず、バルジーニに寝返り身内に粛清される事となるテシオだ。
コニーの主人だが、ファミリービジネスに加えてもらえず、心の内に不満を抱えている事を敵方に見抜かれ利用され、コニーには暴力をふるい、コニーの兄ソニーには痛めつけられ、ファミリーを裏切りソニーが死ぬ原因を作り、最終的にはマイケルに粛清されるカルロは...このシーンではソニーの友人として、パーティーに幸せそうに加わっている。
ヴィトーに愛されつつも、短気で短絡的な思考から、ドンの器としては今一つの評価だったソニーは、道路の料金所でマシンガンで蜂の巣にされて死ぬ。
マイケルが自らの意思で徴兵される事を選んだ事を、家族の中で唯一〝お前の事を誇りに思う〟と認めてくれたフレドは、あろう事か、ドンになったマイケルの手によって湖上で射殺される。
そしてファミリーを守ろうとするあまり、多くの身内を失い、手にもかけ、憔悴しきってラストでは沈痛な表情でベンチに腰掛けるマイケル。
このドンの誕生会のシーンをラスト間際に差し込む事で、ゴッドファーザーpart2は一作目をも越える圧巻のエンディングになったと思っている。- No fun
No fun 酷評されているパート3のみ再視聴したが、そこまで酷い作品とはおもわなかった。
オープニングはパート1同様に、ゴッド・ファーザーへの依頼事から始まる。
ただ、パート1は友情を元にしていたが、パート3はバチカンの不正会計を背景にしているが、宗教的メッセージはさほど感じない。
クライマックスの粛清だが、パート1の洗礼プラス敵対する人物の粛清と、オペラ観劇プラス暗殺という、中々エモーショナルな演出の対比は面白いのだか、一作目の殺しの方が確実性が高く、観劇中にライフルで狙うなどやや雑な印象も感じられる。
本作では過去を悔いるマイケルが所々でフォーカスされている。
しかしこの物語の重要なポイントは、本質的な罪の救済など出来ないという事です。
コニーの「湖で〝溺れ死んだ″フレドは可哀想」という台詞もあったが、このシーンのタリア・シャイアは白眉。
しかし、パート2からの大きな変化は、ケイとコニーが強い女性に変わっていることです。
特にコニーには、ヒステリックでメソメソしていた面影はない。
むしろ、マイケルよりも非情で落ち着いている。
これが最後までしっかり効いている。
正直なところ微妙な作品ではあるが、美しさと儚さを見事に融合させた静かなエンディングは、三部作を締めくくにはこれ以上ない出来だと思う。 - No fun
No fun 某ブログで映画についての駄文を書いているが、今日調べてみたら500を超えていて驚いた。
ただ、交流を広げたくないのと、「この作品、私も観ました!」的な内容の薄い人はフォロー申請されても…
まぁ、こんな距離感で利用している。
ただこのサイト、(この人、プロのライター?)と思う人や、ガチの脚本家や関係者もいるので、下手な映画サイトより奥深いレビューが多い。
その中で、常にチェックしているユーザーが三人いる。
一人は某劇団の作家で、ポッドキャストも運営されている方。
彼のレビューは脚本と美術を中心に、監督の過去作なども交えながら全体的に論じている。
だから、レビュー自体が作品を語るというより、美術館のキュレーターの様に、こういう側面から観るのもアリですという語り口。
もう一人は、元編集者(多分、ぴあ)
粗筋よりも、どう見て、どう感じたかの表現が秀逸。
相当量の読書体験がおありの様子で引用も多く、レビュー読後は情報が多過ぎてヘトヘトになる。笑
最後は、精神科医の女性
この方、一日に一本を必ず観了されているようで、しかも観終わってすぐに投稿されている。
職業柄だろうが、会話や仕草から予測される心理面の解説が鋭い。
小説も映画も、情景描写/会話/心理描写の三つが上手く合わさって作品となるわけだが、この三名のレビューをミックスさせると様々な視点から一つの作品を楽しむ事が出来ます。
評論家でも映画ライターでもない普通の人が、自分の内にある深い想いを…
いやいや、そんな大袈裟な事ではない。
知識の使い方をよく理解している人達であり、
単に映画や小説、そして書く事が好きな人達です。
自分をよく見せるためにSNSを利用している人達とは違い、創作物を心から楽しんでいる人達だと感じています。