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修治さんのトークきっかけで、昨夜[セーラムズ・ロット]の映像版を観ました。 これは、テレビ用に製作されたものを編集した作品でしたが、原作を読んだ事のある人なら満足出来ると思います。 原作は結構ボリュームあるんですが、上巻の冒頭からゾクゾクする緊張感が途切れる事のない、とにかく怖い作品。 わかりやすいほどの古典的ホラーを題材に、宗教、コミュニティ、家族関係、最終的には自己批判までを盛り込み、暗い結末ながらも後味はスッキリしている。 単に怖がらせる作品ならば、[学校の怪談]の様に幾らでもあるだろうが、キングの場合は〝ソレ″の正体が分かるまでの、不安感、違和感、緊迫感の密度が異常に濃い。 比較する意味でクーンツなど後進の作品も幾つか読んだけれど、僕はあまり熱中しなかったなぁ。 最近、池井戸潤原作のドラマをTVerで観たんですが、スランプに陥った小説家が子供の頃に住んでいた町に移り住んで… 途中までしか観ていないけれど、住民や街の様子が変化していく設定が似ていました。 キングも池井戸潤も、作家として伝えたい「恐怖とは何か」が明確だと思う。 一言で言うなら「絶望」という恐怖。 セーラムズ・ロットであれば、恩師や幼い頃の知り合いに救済を求め、ハヤブサであれば編集者や彼女や仲間に求めているように、登場人物の殆どは、絶望を通じてでしか愛情表現が出来ない。 ただ、この作品もそうですが、子供を純粋無垢なものとして登場させる事で、ほんの僅かな希望を感じさせる作品も多い。 シャイニング/キャリー/ペットセメタリー/炎の少女チャーリー/イット/キャリーなどがそうだ。 これらは、暫定的な幸福や安定を、得体の知れない邪悪なものに破壊されるプロセスで絶望を表現し、邪悪なものと純粋なものが戦うことで救済を表現している。 まだ短編は読んでいないので言い切る事は出来ないけれど、キングの紡ぐ作品は必ずしもハッピーエンドではない。 人生で経験した絶望を反権力であったり反父権という形にしているが、暗喩とかテクニック的なものを抜きにしても、キングの言いたい事には共感出来る。

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    「キリマンが2、モカが1、ブルーマウンテンが5だ」
    「5か?」
    「4だ」
    「4か?」
    「3だ」
    「3だな?2度と間違えるなよ!」

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    パティ・スミスが自身の仕事机を写したものをインスタにアップされていて、そこに芥川龍之介のポートレートが飾られていました。
    芥川の作品は現在世界40の国で翻訳されている。
    知っているのは当然としても、元祖NYパンクのデスクに、子供の頃から慣れ親しんでいる作家の写真を見つけた時は何だか嬉しかった。

    ちなみに、海外ではどの作品が受けているんだろう。

    そこで、土曜日に図書館へ行ったら、新潮社刊行モノで外国人が編集した短編集を見つけたので読みました。
    まず構成が面白い。
    四部構成だったが、日本人が編集したら選ぶであろう
    「河童」「トロッコ」「蜜柑」などが載っていない。

    その中に『馬の脚』という作品があった。
    聞いたことがなかったので読んでみたが、カフカの『変身』やゴーゴリの『外套』のようなシュールな作品でした。
    芥川ってこんな作品も書いていたのかと思い調べてみたら、岩波とちくま文庫の全集にしか見当たらない。
    海外の人には芥川の野生的な一面が見える作品だと感じられて珍しかったのだろうか。。

    ただ「蜜柑」が選ばれていないのは残念。
    他人への憎悪の感情が、一瞬にしてかき消える瞬間を「そうして刹那に一切を理解した」と表現した一文が好きなんですが、海外では違うんだろうなぁ。

    並外れた感性と知力で名作短編を数多く残したのは確かだから、海外で評価され多くの国で翻訳されているのも、当然と言えば当然なんですが。

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    [ボヘミアン・ラプソディ]の展開に似ているのは愛嬌で済ませても、新規ファンを取り込むには、余りにあっさりし過ぎていた気がします。
    遺族が製作にも名を連ねていたけれど、闇の部分の描写がないのはそのせいなんだろうな。
    だって、ライブのバックコーラスに愛人と本妻を並べてハーモニーさせたり、子供達の母親だって。。

    マーリー&ウェラーズを聴き始めたのは、中3の頃に友人から薦められたのが始まり。
    [Live!]と[Babylon by Bus]、共にライブ盤から。ゆったりしたカッテングに、鼻にかかった歌声、ティンドラムと分厚いコーラスの虜になるのに時間はかからなかった。
    特に[No Woman,No Cry]
    トレンチタウンという地名も、「泣かないで」がdon't cryではない理由も知らなかったけれど、この曲は学校から帰ると毎日聞いていた。

    ボブやトム・ウェイツは、全く売れてない頃に自身の曲をビッグネームにカバーされ、そこから火がついたミュージシャンです。
    埋もれた才能をいち早く見出したクラプトンやイーグルスの才能も凄いけれど、一連のカバー曲を聞いてもオリジナルのクオリティを超える事などないとわかる。

    ギターをかじった人と、そうでない人では、聴こえて来る音や情報が違うのは当たり前。
    色んなジャンルの音楽を知っている人も同じくだけれど、たった四つのコードで構成された曲を40年近く飽きずに聴けるって中々ない。

    この作品の良さは、楽曲を余す所なく流し続けた事に尽きるし、知らない人には申し訳ないがファンは満足したと思う。
    何より「オリジナティ」って人間力と佇まいなんだなぁと感じた作品でした。

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    昨夜は[蜜柑]と梶井基次郎の[檸檬]を読んでいました。
    いわゆるフルーツもの(笑)

    [檸檬]については、この小説の世界観が好きで、実際に西京極から丸善まで歩いた事があります。
    まぁ20年ほど昔ですが、当時の営業担当エリアが京都市だったので、半分はサボりですし若かったというのも理由です。
    でも結構遠回りで2時間、いや、もっと掛かったかなぁ。

    今は知らないけれど、当時の美術書コーナーには檸檬の文庫本が平積みしてあったり、「お客様へ ここへ檸檬を置かないで下さい」という粋な注意書きがあったりで楽しかった。

    [蜜柑]についても、地元の高校生が横須賀線のどの辺りで蜜柑が投げられたのかを、当時の地図を元に特定する調査をしていました。
    テイストは違えど此の二作品には、救いやカタルシスだけで終わらせない、恒久的純粋さがあると思います。

    しつこい様ですが、ジェイ・ルービン編の芥川短編集には[蜜柑]もなければ[河童]や[トロッコ]も載っていない。
    [河童]はベンジャミン・バトンやツァラトゥストラを内包する傑作だと思っているし、[トロッコ]はメタファーだらけの短編だけれど、三島の『午後の曳航』同様、子供が屈強な大人を見て感じる無力とか不安に共感しました。

    二つとも自分は大好きな作品です。

    しかし、(しつこい様ですが)選ばれていない。
    何でやねん。。。

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    パティ・スミスのインスタに、今度は[河童]海外版の画像がアップされていた。
    書斎のポートレートといい、彼女は芥川が大変お気に入りの様だ。
    パティ・スミスについてはAL[ホーシズ]だけは何度も聴いたけど、今度は詩を読んでみようと思う。

    本格的に梅雨入りしたようだし、インスタ画像も件もあったので、今日は図書館で芥川に関する書籍を探す事にした。

    漱石、啄木、芥川の研究者である平岡敏夫著書の『ある文学史家の戦中と戦後 戦後文学・隅田川・上州』が目に入り、目次を開いてみたら[蜜柑]の話があったので読んでみた。
    タイトルは「芥川作品をアメリカで読む」
    その中に、アメリカ東部の大学生達と[蜜柑]を読み合った内容が書かれていた。

    「暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた」(原文)

    この部分のレポートを提出した学生の殆どが、驚いた事に「神のご加護」若しくは「天の恵み」と捉えている。
    僕が日本人だから、って訳ではないだろう。
    何故「空」の前に「神」や「天国の(ヘヴンリー)」が入るのだろう。

    読み進めると、著者の平岡さんは「仮にヘブンリーがなく「空」だけでも、宗教心のある敬虔なアメリカ人なら、そこに「神」を見る事になるのだろう」と記されていた。

    国によって蜜柑の受け取り方も様々なんだ。

    おあとがよろしいようで。

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    頑固で身勝手な評論を書く人がいないなぁ。
    ある時期から週刊誌や新聞でも貶す評論が載らなくなり、コンプライアンスに適応出来るライターが大手を振っている。
    コンプライアンスが悪い訳ではないが、つくづく時代って便利な言葉だと思う。

    荒井晴彦さんや[福田村事件]の森達也監督の映画批評は、携る側だからこその視点で書かれていて面白い。
    脚本や美術などの手抜きや甘さを指摘し、自分ならこうするという修正案で悪口の責任をとっている。
    例えるなら、現場の、現場による、現場からは以上です的な批評。
    しかし、読み終えると確実に愛情を感じる。
    「映画会社の宣伝部のような映画ライターはいても、昔の様な映画評論家はいない」という一文には特に共感した。

    村上春樹の系譜的に語る「雑学」としてのジャズ論も楽しい。
    中には小説より面白いものもある。
    一般的なジャズ論は、難解な音楽論と単なるの取扱説明書に二極化されていったが、これらとは一線を画しているのは素人の僕でもわかる。

    インテリ気取って知識をひけらかすって意味もあれば、上に媚びて下に横柄な人という意味もある『スノッブ』

    承認欲求はあるが、何が何でも守りたい「美意識」というモノが欠如している人種である事に変わりはない。

    感想や評論にマナーは不要だ。
    僕が読みたいのは書き手の生き様。
    と、体言止めで言い切りたいところだが、成熟した大人になる為に黙っておく。

    めんどくさい。

    画像はピアニスト山中千尋の本音(らしい)笑笑
    しかし、山中さんの書くコラムは面白い。
    昨日から上毛新聞に連載が始まりました。
    楽しみです。

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    修治修治
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    ふと観たくなって自分が加入しているストリーミング・サービスを調べたら、どのサービスでも観れない…どころか現在、配信しているストリーミング・サービスは皆無らしい。

    こんな名作をどこも配信してないなんてどうなってんだ?!Amazonで4000円前後で販売されてるから、それ買うか...と、思ったらなんとYouTubeで観れた😅
    ただし字幕対応していないのでロシア語版しか無いけれど。

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    アイドル主演の漫画実写化や、救いのない人間ドラマならいくらでも配信サイトにあるのに、どうして自分が観たい作品はレンタルか、4,500から10,000円のセルDVD、下手すると海外版DVDしか見当たらないものもあり、非常に切ない思いをしている。

    こちらの作品は『誓いの休暇』というソビエト映画らしく、友人は三年ほど前にレンタルで観たことあるといっていた。
    うーーん、観たい。

    他にも
    『いちご白書』
    ベルイマンの『秋のソナタ』
    タルコフスキーの『ストーカー』や『惑星ソラリス』
    オーソンウェルズの『黒い罠』
    アンジェイ・ワンダの『灰とダイアモンド』
    などなど

    Nも、AからZ、日本一を誇るUなんちゃらにもない。
    近所のツタヤは閉店したし、残るはWOWOWのリクエストかBS-NHK待ちしかない。

    国会図書館でも国立映画アーカイブでもいいから、そろそろサブスク始めて欲しいんだけど、でも無理だろうな。