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AKB48グループ新聞瀬津真也

高城亜樹さんについて 思えば長く取材してきました。 あきちゃの人の良さは、誰もがよく知るところです。 人が良すぎて、図々しくないのです。常に自分の立ち位置や置かれている立場を分かっている子でした。 それゆえに、人知れず、ずっと悩みを抱えていたようです。 JKT48へ移籍を決め、家探しで初めてジャカルタへ飛んだときに、同行取材をして、いろんな話を聞きました。 6期生のあきちゃは、いち早く正規メンバーに昇格し、総選挙でもファンの応援で早くから結果が出ました。ポニシュで初選抜入り。フレキス結成と、とんとん拍子でした。 でも、そのタイミングは、AKBの人気がブレークしたのと、全く同時期。すなわち、神セブンやメディア選抜は、完全に固定化された状況ということ。まだ、誰も卒業なんてするはずもなく、これ以上の上に上がるのは、(当時の)若手メンには、至難のことでした。 (ポニシュの選抜メンでは、きたりえ、みやお、あきちゃが「次世代エース候補」と呼ばれる若手選抜メンでした) 立ち位置が落ちることはなくても、上には圧倒的な壁があり続ける存在。時は流れていきます。2年後。思い切って、JKTへの移籍を決めたわけです。 「私は、ファンの皆さんのおかげで、すごく順調に来させていただいた。だからこそ、これ以上、どうにも動けない現状に、自分から何とかしなきゃと思ったんです」。 深い言葉でした。比較的、恵まれたアイドル人生の序盤を過ごしているからこそ、悩んでいたということでした。20歳の子の複雑で必死な心境が垣間見えて、こちらの胸もチクリとしたのを覚えています。 海外の48グループというのは、第三者が想像する以上に、いろんな問題に直面するようです。取材した私ですら、到底、すべてを理解はできません。あきちゃも、長く深く悩み、葛藤しながら、必死に走り続けていました。その頑張りは、彼女のこれからの人生においても、誇るべき、大きな財産だと、私は思います。 そういえば、フレキスが解散した直後。あるスタッフから私のスマホに電話がかかってきました。フレキスの慰労会の食事の席からでした。 まずは、もっちーが電話口に出てきて、「どうしても謝りたくてお電話しました」と切り出してきました。 要するに、もっちーの卒業記事が、日刊スポーツではない某紙から出たことについてでした(笑) たしかに、もっちーパパは、40年来の日刊スポーツ定期購読者で、もっちーが一人暮らしを始めたときも、わざわざ本紙を定期購読してくれていました。 ですが、自分の卒業記事は違ったので、それが心残りだったようです。 私たちにとっては、温まる電話でした。 続いて、あきちゃも電話口に出てきて、「今から私たちの打ち上げに来てくださいよ~。もっちーだけじゃなく、私も卒業したらソロで頑張るので、これからも取材してください」と話してくれました。 その瞬間、フレキス結成のスクープをしたときのことも思い出しました。成長して羽ばたこうとしている様子に、頼もしさを感じました。 AKB紅白の「桜の花びらたち」。震えているあきちゃの姿に、グッときました。 今、彼女の所属事務所担当は大友ですが、私も一緒に追っかけ続けようと思います。 優秀なマネジャーもついていますし、彼女も大丈夫だと、私は心からの祝福で送り出して上げたいと思っています。

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