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#五木寛之

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    読書日記19「蒼ざめた馬を見よ」五木寛之著/文春文庫/表題作100ページ、全体307ページ

    先日テレビをつけていたら
    ある女性作家が、新刊を書いた背景について

    「デマが多く、真実が見分けられなくなっている時代だ」

    と社会を形容していた。

    それを聞いた私は一種の胸の詰まりを感じた。

    そもそも真実って?

    Aさんがある事をデマと定義し
    一方で真実を認識しているらしいとき、
    その真実はBさんとっても真実か?

    結局のところ、2024年の今の社会は、
    1966年発表のこの小説と変わらないじゃないか。

    ある側にとって真実と思っていたことが別の側からはデマで
    ある側にとってのデマの中には別の側の真実がひそんでいる

    フィクションの中には真実が織り込まれ
    ノンフィクションの中にもデマが混じる

    めくってもめくっても
    新たな真実(見解)が
    尽きることなく現れる

    そういうものではないだろうか?

    そしてそれは今も昔も変わらない。

    ただ、

    インターネットやSNSの流布によって
    ある人の思う真実と別の人の思う真実の
    ぶつかり、ないしは集合が、
    起こりやすくなった、第三者からも見え易くなった、

    というだけではないだろうか?

    ”言論は無条件で自由でなければならん”

    とは小説のはじまりのシーンにおいて
    主人公が畳み掛けられるセリフだ。

    なければならんもなにも、
    もともと言論は自由なのだ。

    がんばって不自由にしてみたところで、
    元が自由なのだから、制限したところで限界がある。

    人間の思考に本来制限がないのだから、
    その思考の発露たる言論も当然に自由だ。

    生物は、自己をかたちづくるために
    一定の規則、すなわち不自由を定めるが、

    定めた自己が陳腐化しないように、
    どんな環境でも生き延びるために、

    我々はいつも
    “厄介な好奇心”を抱え、自由を求め、破壊を求める。

    思考も、言論も、その生命の営みから外れることはできない。

    秩序と破壊を抱えて生きる、
    それが生物というものであり、
    人間は特にその”厄介さ”において群を抜いているといえるだろう。

    #五木寛之

  2. Akihiromau5△

    五木寛之さんの「燃える秋」、集英社文庫版(角川版もありますが出品元が少な過ぎるので中々手を出しにくいですかね...)は出品元数がそこそこ多いのでどうでしょうかね(分かる方には分かる投稿シリーズ)。↓
    『五木寛之/燃える秋(集英社文庫) --- Amazon』 https://www.amazon.co.jp/dp/4087495027/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_fcQZCb2XRBRZR #Amazon #AmazonCoJp #集英社文庫 #五木寛之 #燃える秋