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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございま菅原貴子(清水市立第七中学校)の同級生。
    今朝もてんあつのリトークから。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 有難う。嬉しいけれど、吉田松蔭の「覚悟」と「実践力」には遠く及びません。自分の信念を貫き通すために現実の踏絵を踏み抜き続けた正に狂気の人。29歳で斬首刑。水平に飛んだ駒鳥は木に激突して早くに命を落とすのです。66歳まで生き永らえている僕は凡人です。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 1968年〜1969年の東大闘争で安田講堂を占拠し、立て籠もっていた過激派学生の誰かが壁に書いていた落書き。東大は大衆を抑圧するシステムとして機能しているのではないか?その強い自己否定が闘争を戦い抜いた学生たちの精神的支柱となった。1969年1月18日から始まった占拠した学生たちと機動隊との攻防戦。翌19日、落城。東大内での逮捕者600名以上。機動隊員たちはあの壁の落書きを読んで何か感じただろうか?その年の東大入試は中止が決定。静岡県清水市の高校3年生だった僕は攻防戦のテレビの画像を食い入るように観ているしかなかった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    涙が涸れた2日間だった。1970年11月25日、三島由紀夫自決。右も左も観念を実践する覚悟が問われた。やがて新左翼革命派の学生たちはゲリラ化して武装闘争に踏み切る。テルアビブ空港[リッダ空港]で26歳の命を散らした京大生・奥平剛士もその一人だった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    文章を書くということは自己検証し、自分を認識し、自分を突き詰める行為です。自分のその時の気持ちを出来るだけ正確に表現するために言葉と格闘してもがき苦しむからです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    一つの困難が終われば、また一つの困難が生じる。その繰り返し。終わりがない。
    歓喜もあるけど、絶望的な気分にもなる。
    そうやって生きて来た。これからも、そうやって生きて行く。
    辛いけど、ワクワクもする。
    死の安息以外に僕には安息がない。
    何という人生。僕の選び取った人生。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    先行する支配者のルールの中で戦っても勝者にはなれない。薄氷を踏み、顰蹙を買って、支配者たちを震撼させろ。自分のルールに奴らを引っ張り出せ。それが勝つ戦いの根本だ。
    新しく出て行く者が無謀をやらないで、一体何が変わるだろうか?

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    4月ももう19日。下旬の始まりの月曜日、朝。
    今日は朝から用事が有って落ち着いて聴けませんが、アベタクさんと皆さんのクラブハウス楽しみに、なるべく聴かせて頂きます。
    いつも有難うございます。宜しくお願い致します。