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hananoのトーク
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  • hanano
    吉田真悟吉田真悟

    産みの苦しみ中の中山先生へその2

    2017/05/15-18
    見城先生の一連の投稿を勝手に編集

    『自意識、自己満足との格闘に必要なものは自己嫌悪、自己検証、自己批評そして他者への想像力である』

    自意識を垂れ流すだけなら日記に書けばいいんです。自己満足で誰も文句は言いません。しかし、自意識を作品化するためには厳しい自己批評が必要ですし、他者からの評価にも晒されます。日記ではないので他者が読んで触発されたり、感動したりするものになっていなければなりません。それが「普遍化」です。自意識から出発して自意識を否定する。そんな作業も必要です。自己救済から始まった「表現」への欲求を「普遍化」出来た時、それは自意識を離れて「作品」として成立しています。

    自意識から出た軽はずみな言動は自分を後悔に導きます。破滅すらさせます。僕は何度も経験しました。自戒しても自戒しても自意識は吹きこぼれてしまう。生きるという営みは自己認証を求める自意識との闘いでもあります。その度にムクムクと頭をもたげる自意識を一旦立ち止まって自己検証する。それを繰り返すしかありません。

    ですから「普遍化」と「作品化」は「自意識」と対を成すキーワードなのです。

    そのために先ず「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」なのだと僕は思っています。

    自分は思い込んでいないか?
    自分は勘違いしていないか?
    自分は楽な方に流されていないか?
    自分は面倒なものを避けていないか?
    自分は自己満足に陥っていないか?
    日々、自己検証です。

    「他者への想像力」と「自己検証」がない人は百万語を費やしても、いや、費やせば費やすだけ無意識に自己恍惚の虜になって行く。結局は自己承認欲求の垂れ流しです。

    自意識を作品化、普遍化出来る人だけが結果を叩き出せます。そのためには苦しくて切ない「自己批評」が必要です。「成功」という言葉は嫌な言葉で僕はあまり使いたくないのですが「大きく成功した人」は皆さん自意識の処理がキチンと出来ています。自意識との苦しい格闘の末に今があるんですね。

    貴方は何故、仕事で突き抜けないか?それは自己検証と自己批評のない思い込みで仕事をしているからだと僕は考えます。それは井の中の蛙の自己満足に似ています。それでは客観的な結果は出ません。貴方は何故、モテないか?それは他者への想像力がないからだと僕は思います。ルックスなんか関係ありません。自己満足の井の中から出ようとすれば否応なく外部の風に晒されます。自分の言葉や貨幣が通じない外部。そこで初めて蛙は自分の真の姿を思い知ります。つまり、己を知るのです。己を知った時、人を想像することが出来るのです。自己検証と自己批評。大事です。自己満足という井の中から早く出ることです。

  • hanano
    見城徹見城徹

    ⬆︎ ボクサーのこういうところが大好きだ。自分がリングに這いつくばるかも知れないという恐怖心と不安感を持って、自分を追い込んで行く。だから、圧倒的な練習をする。自分が一番だ、最強だと思い込めるまで努力する。それでも消えない恐怖心と不安感。それを打ち消すために「言葉」が必要になって来る。ボクサーが試合前に絞り出す赤裸々な「言葉」。それに僕は痺れる。ボクシングは最高にメンタルなスポーツだ。ボクシングは人生そのものだ。

  • hanano
    見城徹見城徹

    夕暮を、一日がそこに死んでいくのだと思って眺め、朝あけを、万物がそこに生まれてくるのだと思って眺めよ。
    君の眼に映ずるものが刻々に新たならんことを。
    賢者とはよろずのことに驚嘆する人を言う。

    ーーアンドレ・ジイド[地の糧]

  • hanano
    黒田倫史黒田倫史

    「人生の勝算」を読むと、前田さんの熱量が半端でないことが分かります。そして、何度も玉砕しながらも必ず起き上がる。負けても負けても繰り返す。現代では忘れられているか、ダサい価値観になぜか考えられているケースが多い 諦めずに頑張るという行為の大切さを説いてくれています。そして西野さんの「革命のファンファーレ」には王貞治さんの「報われない努力があるとするなら、それはまだ努力とは呼ばない」とあります。見城社長の言う圧倒的努力をこの二人はしてきただろうし、今後もするだろうし、西野さんがディズニーを、前田さんがGoogleを超えるのがもしかしたら可能なのではないかという期待感を冗談抜きに感じさせてくれますね!我々もとにもかくにも頑張るとしましょう

  • hanano
    見城徹見城徹

    僕と藤田晋が講談社から出した共著の文庫本タイトルは、

    「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」

    だった。圧倒的に熱狂しなければ、絶望しきることは出来ない。絶望しきるほどの熱狂ーー。それは「いつ死んでも後悔する生き方」と同義である。
    ビートルズの4人も、いつ死んでも後悔する熱狂を生きた。人は必ず死ぬ。それだけは全ての人が平等だ。人生は一夜の夢。ならば、狂ってこそ、人生。平和な日々は送らない。悲痛の日々を生きる。

    絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ!

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  • hanano
    見城徹見城徹

    イギリスの不世出の名ラガーといわれたある選手が、ある大試合でタイムアップぎりぎりに逆転のトライを挙げた。大観衆は総立ちとなって歓声を上げたが、レフリイの無情のホイッスルが鳴り、寸前に反則がありトライは認められず、そのままノーサイドとなって試合は彼のチームの負けとなった。
    しかし試合後も、あの時のレフリイの判定が正しかったかどうか、しきりに議論の的になったが、当の選手は、
    「ラグビーの試合ではレフリイは神に等しい」
    と一言いっただけで、彼は一切ものをいわなかった。当時のこととてビデオテープもなく、判定が正しかったかどうかは遂に判定されずに終ったが、人々はその惜敗に奮起して次のシーズンの彼の活躍を期待したが、第一次大戦が始まり、世の中はもはやラグビーどころではなくなった。

    その戦争の最中、ある激戦地の野戦病院で、ある軍医が重症を負った一人の兵士を看護した。兵士の認識票を見て、医者は驚いた。ラグビー気狂いだった医師にとっては忘れ難い名前、かつてのあの大試合のヒーローが、この重症の兵士だった。
    それを知って医師は看護に専心したが、傷は重く、遂にその兵士は死んだ。
    彼の臨終の際、すでにファンと選手として相識る中になった医師が、かつての名選手に、何かいい残すことはないか、と尋ねた時、死に際の懺悔の聴聞を終った後、件の選手はかすかに唇を動かし、聞きとり難いほどの低い声でいった。
    「あの試合のあのトライは間違いがなかった。レフリイが間違っていたのだ」と。
    一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか。

    ⬆︎ これが石原慎太郎[男の世界]の中の《男の言い訳》の文章です。
    僕はこれを読んでラグビーを生涯やることを決めました。

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  • hanano
    見城徹見城徹

    石原都知事の豊洲移転の決断は正しかった。安全性も問題がなかった。しかも築地の土地を売った金を豊洲に充てるため都税は使われない計画だった。小池百合子はデマを流し続けた上に、議会にも諮らず豊洲移転を延期。税金が垂れ流された。追い詰められて結局は豊洲移転を決めたが、都議会選挙を睨んで築地再開発という訳の解らない決定をしたために更に莫大な税金が豊洲に投入される。石原都知事が苦渋の末に民主主義的な手続きを経て決定した豊洲移転は本物の政治家の仕事だった。何故、石原慎太郎は百条委員会までかけられなければならなかったのか?財政再建、羽田空港のハブ化、排ガス規制、東京マラソン、東京五輪等々、石原都政は劇的に東京を変えた。豊洲移転を小池百合子の独断で長期間延期したために東京五輪のための道路ももう間に合わない。小池百合子は何をしたのか?全てが思い付き。全てがスタンドプレー。全てが自分のため。都民ファーストが聞いて呆れる。テレビは小池百合子を検証することを何故しないのか?小池百合子の尻馬に乗って石原批判を繰り広げたからか?コメンテーターたちもよくもあそこまで石原慎太郎を叩いたよね。叩いたコメンテーターはメモしてあるが、彼らは今、何と自分の発言を総括するのか?石原慎太郎を連日叩き続けたテレビは自己検証すべきである。