ゆうちゃんのトーク
トーク情報ゆうちゃん 秋元康秋元康 静岡から帰って来る時に、予定より一時間早い新幹線に飛び乗った。仲間の一人がチケットを集めて、車内で乗車変更してくれたのだが、そのまま、チケットを返してもらうのを忘れていた。品川駅で降りてから、そのことに気づいた。彼は東京駅に向かう新幹線の中だ。仕方ない。静岡から品川駅までのチケット代を払おう。グリーン車に乗って来たことも正直に言おう。財布を手に精算所で、そのことを話すと、「そのチケットを持っていらっしゃる方とは連絡が取れますか?その方が、東京駅の駅員にそのチケットを見せれば大丈夫ですよ」と、丁寧に教えてくれた。「あと3分くらいで着くはずです」しばらくして、僕がチケットを預けたままの仲間から携帯に電話があった。「秋元さん、すみません。僕、チケットを持ったままで…」詫びる彼の言葉を遮って僕は言った。「そばの駅員さんに替わって!」精算所の窓口からスマホを渡して、品川駅と東京駅の駅員さん同士で話してもらった。「はい。確認できました」品川駅の精算所の駅員さんはやさしく笑った。
ええーっ!こんなことってあるの?ほっこり話やん!品川駅の新幹線の精算所の駅員さんも、東京駅で仲間の携帯に出てくれた駅員さんも。
みなさん、ありがとう。- ゆうちゃん
ゆうちゃん 福島県平市 (現在のいわき市) 生まれ。平市立平第一小学校、いわき市立平第一中学校で学ぶ[3]。
同平第一中学校3年の時、父を亡くす。その後、東京都内の中学校に転校した。1973年、日比谷・三田・九段高校の都立高校学校群第11群を受験。九段高校に進学した際には、3人の兄が学費を負担してくれた[4]。同校卒業後、二浪して東京大学文科二類(教養学部)に入学[5]。
1982年、東京大学経済学部卒業、大蔵省入省[6]。入省同期に片山さつき (自民党参議院議員)、福田淳一 (財務次官)、迫田英典 (元国税庁長官) ら[5][7]。
1984年、大阪国税局調査部[1]。
1987年、名古屋国税局高山税務署長[1]。
1998年7月、近畿財務局理財部長[8]。
2001年、塩川財務大臣秘書官[1]。
2004年、財務省主計局主計官[1]。
2008年、主税局総務課長[1]。
2010年、財務省大臣官房審議官(主税局担当)[1][6]。
2011年7月1日、内閣官房内閣官房副長官補付内閣審議官、東日本大震災復興対策本部事務局次長[9]。
2012年2月10日、復興庁統括官付審議官[10]。
2013年6月28日、大阪国税局長[11]。
2014年7月、国税庁次長[2]。
2015年7月7日、関税局長[6]。
2016年6月17日、理財局長[12]。
2017年7月5日、国税庁長官(第48代)[13][14]。
2018年3月9日、麻生太郎財務大臣により懲戒処分(減給20%3ヶ月)[15]。同日、依願退官[16]。
出身地いわき市の「いわき応援大使」を務めている[3]。