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斉藤徹

昔の僕は、与えられたら返す人ではありましたが、自分から先に与える人ではありませんでした。相手が与えてくれる人だと分かってから返す。 あるいは、与えてもらってから返す。そんなスタンスでした。振り返ると、その姿勢が自分の成長をどこかで止めていたのだと思います。 あるとき見城さんに言われました。 お前のそのクールでドライなやり方でも、ここまでは来たよな。その計算高さで、10億の利益までは出せた。でも、もし100億の利益を出す世界に行きたいなら、その計算高さは捨てた方がいい。 クールでドライであること。そして計算高さ。 これは経営の初期ではむしろ強い武器です。 合理的に判断し、損をしないように意思決定をしていけば、会社はある程度の規模までは成長します。ただ、ある段階で壁にぶつかる。 人がついてこない。応援されない。大きな流れが起きない。 そのときに必要になるのは、計算ではなく信頼なのだと思います。 見城さんが言った「計算高さを捨てろ」という言葉は、計算するなという意味ではなく、損得より信頼を取れ、ということだったのだと思います。 最初は正直ドキッとしました。でもその言葉を受け入れることができたのは、見城さんが100%僕のことを思って言ってくれていると分かっていたからです。そこにはすでに信頼関係がありました。 だからこそ、自分の考え方を変えようと思えました。今は、できるだけ自分から先に与える人でありたいと思っています。 もちろん人間関係は一方通行では続きません。ただ、まず自分が与える側でいる。その方が、人も集まり、物事も大きく動く。最近はそんな実感を持つようになりました。 信頼は、計算の先には生まれない。 先に差し出したものの上にしか、生まれないのだと思います。そして振り返ると、自分が一番苦しかった時に手を差し伸べてくれた人たちは、誰も計算していませんでした。 だからこそ今は思います。与えるということは、誰かのためであると同時に、自分の人生の幅を広げることでもある。そしてそれを続けるには、覚悟がいるのだと思います。

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始めたばかりです。
トーク情報
  • 斉藤徹
    斉藤徹
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    今週、お世話になっている先輩の誕生日に、イチローのサインユニフォームを贈ることにした。
    本当は自分の部屋に飾るために頼んだものだった。
    でも、小学生で野球をやっている息子さんの部屋にあった方が、きっと意味がある。
    そう思えた瞬間、もう自分のものではなくなっていた。

  • 斉藤徹
    斉藤徹
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    容易に越えられる壁に、魅力はない。険しさがあるからこそ、人生を懸けて登りたくなる。人の生は一度きり。だからこそ、この性を背負って生きる定めを引き受けたい。
    今朝は、いつもと違う場所でモーニングMTG。
    少しだけ、景色が変わる。

  • 斉藤徹
    斉藤徹
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    沈みゆく光を見ていると、人生の終わりについて考える。一昨年、父をがんで亡くした。闘病の末、父が最後に残した言葉は、「幸せな、良い人生だった」その一言だった。人生の価値は長さではなく、納得して生き切れたかどうか。その言葉が、私の人生観を変えた。
    人は終わりが来ると知りながら、それでも今日より明日を良くしようと前へ進む。その姿にこそ、人の尊さがあるのだと思う。
    私は24歳で起業し、19年。多くの苦しさを経験したが、ここまで来られたのは人に恵まれ、運に支えられてきたからだ。それは決して当たり前ではない。だから人生の後半は、支えてもらう側ではなく、支える側として生きていきたい。

  • 斉藤徹
    斉藤徹

    最近、強く思う。人は、誰の言葉を信じるかで、人生の方向が変わる。視点が変わり、失敗の意味が変わり、選ぶ未来が変わっていく。
    気づけば、周囲の基準が自分の基準になっている。
    人は一人では世界を理解できない。だから判断の軸を外に置く。だからこそ、どんな人と歩いているかが人生を決める。今の環境に、心から感謝。
    環境は選べる。人生もまた、変えられる。

  • 斉藤徹
    斉藤徹
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    潰れそうな瞬間、鎧は剥がれ、本音と現実がぶつかる。逃げずに立ち止まり、目を逸らさず、自分の意思で選び直す。そのとき、人生は初めて自分のものになる。自問自答しながらの workout。
    限界を越えたいわけじゃない。次の限界に向かって、刃を研いでいる。派手さはいらない。前に進めているか、それだけだ。

  • 斉藤徹
    斉藤徹

    昨日から即成院への参拝で京都に来ています。
    大切な打ち合わせのため、本日から大阪入りです。
    打ち合わせが終わったら、食べ歩きを楽しむ予定です。瓶ビールやホッピーを飲みながら、久しぶりのチートデーにします。

  • 斉藤徹
    斉藤徹

    人生の質は、結局「誰と時間を過ごすか」で決まると思っている。だから社内外を、できるだけ良い人で固めたい。
    僕にとっての良い人とは、与えられたことにきちんと感謝できて、いつか返そうとする人。
    僕自身は与える側でいたい。
    ただ、感謝ができない人や、もらうことを当たり前にする人とは距離を置く。
    人間関係はボランティアではない。
    互いに与え合える関係だけが長く続くと思っている。

  • 斉藤徹
    斉藤徹

    昔の僕は、与えられたら返す人ではありましたが、自分から先に与える人ではありませんでした。相手が与えてくれる人だと分かってから返す。
    あるいは、与えてもらってから返す。そんなスタンスでした。振り返ると、その姿勢が自分の成長をどこかで止めていたのだと思います。
    あるとき見城さんに言われました。
    お前のそのクールでドライなやり方でも、ここまでは来たよな。その計算高さで、10億の利益までは出せた。でも、もし100億の利益を出す世界に行きたいなら、その計算高さは捨てた方がいい。
    クールでドライであること。そして計算高さ。
    これは経営の初期ではむしろ強い武器です。
    合理的に判断し、損をしないように意思決定をしていけば、会社はある程度の規模までは成長します。ただ、ある段階で壁にぶつかる。
    人がついてこない。応援されない。大きな流れが起きない。
    そのときに必要になるのは、計算ではなく信頼なのだと思います。
    見城さんが言った「計算高さを捨てろ」という言葉は、計算するなという意味ではなく、損得より信頼を取れ、ということだったのだと思います。
    最初は正直ドキッとしました。でもその言葉を受け入れることができたのは、見城さんが100%僕のことを思って言ってくれていると分かっていたからです。そこにはすでに信頼関係がありました。
    だからこそ、自分の考え方を変えようと思えました。今は、できるだけ自分から先に与える人でありたいと思っています。
    もちろん人間関係は一方通行では続きません。ただ、まず自分が与える側でいる。その方が、人も集まり、物事も大きく動く。最近はそんな実感を持つようになりました。
    信頼は、計算の先には生まれない。
    先に差し出したものの上にしか、生まれないのだと思います。そして振り返ると、自分が一番苦しかった時に手を差し伸べてくれた人たちは、誰も計算していませんでした。
    だからこそ今は思います。与えるということは、誰かのためであると同時に、自分の人生の幅を広げることでもある。そしてそれを続けるには、覚悟がいるのだと思います。