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ケント

見城さんの高校時代の思い出を読んでいるうちに、忘れていた私の淡い思い出が蘇ってきた。 高校3年生の時に付き合い始めた彼女は病院のお嬢さんで、彼女は東北地方の歯科大学に合格した。東京の大学に合格した私と、大学に入学までの春休みは毎日のように会って、ただ喫茶店で取り留めもなく話し続けていた。会っているだけで楽しい日々だった。いつも、その頃流行っていたコモドアーズの曲が流れていた。そして、入学で別れる時彼女は手紙と湯呑み茶碗を私にプレゼントしてくれた。たしか、日本茶とコーヒーどっちをよく飲むのと聞かれて日本茶と答えて、彼女は湯呑み茶碗を選んでくれた。彼女はお母さんと一緒に東北の大学へ行く電車の中でずっと泣いていたと手紙をよこしてくれた。そして、大学が始まってからも毎週末彼女は私の東京の部屋まで訪ねてきてくれた。しかし、私は大学でできた仲間とサーフィンに夢中になり週末もサーフィンに行きたくて、彼女が東京に来ることを、何度か断っていた。彼女から別れようと切り出された時には、私には東京で出会った彼女がいた。きっと彼女も彼氏ができたのだろうと勝手に想像していた。 そして、相当の時が過ぎ、彼女のお母さんが亡くなられたということを人伝に聞いて母親思いだった彼女のことを思い出した。そして、彼女の名前で歯科クリニックを ネットで検索したら同姓同名の歯科医が都内でヒットした。私のオフィスからも近くだったので、一度予約して治療に行った。診察室にいたのは大人のキャリアウーマンの女医の姿をした彼女だった。私のことも気がついてどうしてここがわかったのと驚いていた笑。彼女はもう泣き虫のか細い少女ではなく、色々な人生経験を経てきた逞しい女性に変貌していた。それから、歯の治療で診療所で会うだけの関係が今も続いている。お嬢様だった彼女が東京で一人?たくましくクリニックを経営しながら生きている姿を見続けていきたいと願っている。今もコモドアーズのメローな曲が流れると彼女との淡い青春の日々が甦る。

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ケントのトーク(他者への想像力を駆使した言葉で考える!)
トーク情報
  • ケント
    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第7回目です。
    『清水南高』(2019.2.18掲載)

    高校からの下校途中、西折戸から乗ったバスを新清水で途中下車し、清水銀座の戸田書店によく立ち寄った。50年前の清水銀座は賑わっていて戸田書店は人で溢れていた。小田実「何でも見てやろう」、柴田翔「されどわれらが日々―」、五味川純平「人間の條件」、高橋和巳「邪宗門」等は戸田書店で買い求めた。
    僕は本の巻末に買った日と書店、読了日を書く癖がある。蔵書を整理すると日記を付けていたせいもあり、あの頃の自分の心情が蘇ってくる。
    「お前は何のために生きているんだ」
    受験勉強に追われながら毎日そんな問いを自分に突きつけていた。
    本を読む度にその世界に圧倒され、打ちのめされた。決して楽しい読書だったとは言えない。しかし、振り返ってみると高校時代の読書は今の僕を形成しているとハッキリと思う。大学に入って学生運動にのめり込み、挫折し、廣済堂出版に就職後、角川書店に移り、やがて幻冬舎を作った。
    その原点は清水南高の風と空と海、初恋に涙し、友人と議論し、読書に入れ上げた3年間にあると思っている。
    「月刊カドカワ」の編集長になった33歳の頃、親しかった楠田枝里子を清水南高や三保の松原、日本平に案内した後、高校時代によく通った清水銀座の「富士」という喫茶店に連れて行ったことがある。そこで紅茶を飲みながら彼女が言った言葉が忘れられない。
    「なるほど。この町であなたは今の見城くんになったのね」
    あの頃の僕を抱きしめたい気持ちだ。

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  • ケント
    ケント

    歳を重ねると、くんと呼んでくれる人、名前で呼んでくれる人、呼び捨てで呼んでくれる人がめっきりと少なくなる。そして、そういう呼び方をしてくれる人が益々愛おしくなる。

  • ケント
    ケント

    情けない徹夜仕事💦
    でも、まだまだ徹夜できるんだとまぶしい朝日の射すオフィスで一人755を見る(^^)

  • ケント
    ケント
    投稿画像

    ながいさん訪問(^^)
    早く食べたくて肝心のパスタの写真撮り忘れ💦
    グリーンサラダも野菜シャキシャキでドレッシングも美味でお勧めです❣️

  • ケント
    ケント

    見城さんの高校時代の思い出を読んでいるうちに、忘れていた私の淡い思い出が蘇ってきた。
    高校3年生の時に付き合い始めた彼女は病院のお嬢さんで、彼女は東北地方の歯科大学に合格した。東京の大学に合格した私と、大学に入学までの春休みは毎日のように会って、ただ喫茶店で取り留めもなく話し続けていた。会っているだけで楽しい日々だった。いつも、その頃流行っていたコモドアーズの曲が流れていた。そして、入学で別れる時彼女は手紙と湯呑み茶碗を私にプレゼントしてくれた。たしか、日本茶とコーヒーどっちをよく飲むのと聞かれて日本茶と答えて、彼女は湯呑み茶碗を選んでくれた。彼女はお母さんと一緒に東北の大学へ行く電車の中でずっと泣いていたと手紙をよこしてくれた。そして、大学が始まってからも毎週末彼女は私の東京の部屋まで訪ねてきてくれた。しかし、私は大学でできた仲間とサーフィンに夢中になり週末もサーフィンに行きたくて、彼女が東京に来ることを、何度か断っていた。彼女から別れようと切り出された時には、私には東京で出会った彼女がいた。きっと彼女も彼氏ができたのだろうと勝手に想像していた。
    そして、相当の時が過ぎ、彼女のお母さんが亡くなられたということを人伝に聞いて母親思いだった彼女のことを思い出した。そして、彼女の名前で歯科クリニックを ネットで検索したら同姓同名の歯科医が都内でヒットした。私のオフィスからも近くだったので、一度予約して治療に行った。診察室にいたのは大人のキャリアウーマンの女医の姿をした彼女だった。私のことも気がついてどうしてここがわかったのと驚いていた笑。彼女はもう泣き虫のか細い少女ではなく、色々な人生経験を経てきた逞しい女性に変貌していた。それから、歯の治療で診療所で会うだけの関係が今も続いている。お嬢様だった彼女が東京で一人?たくましくクリニックを経営しながら生きている姿を見続けていきたいと願っている。今もコモドアーズのメローな曲が流れると彼女との淡い青春の日々が甦る。