七色息子七色息子 SparkCall48『世界には愛しかない』人に対して、世界に対しての絶対的肯定。私も中高生の頃、そういう真っ直ぐさを持っていた気がします。世界には愛しかない、自分はそう信じるという真っ直ぐさ。その青くさい真っ直ぐさは、純粋で危うくて魅力的ですが、自分は昔からそういうのが嫌いです。
その真っ直ぐさは、人も、世界も、本当は微塵も肯定していないから。
ただ目を瞑って、騒いで、その場から動こうとしない、駄々っ子です。泣き叫んだって何も変わりません。
信じる、ということを、願い や 期待、に変えてはダメなんだと。
信じる、ということは、傷つく ということ、涙を流すということだと、分かってなきゃいけない。
アイデンティティと、リアリティ、その すべては、信じて受けた傷と、信じて流した涙、です。
みんな大なり小なり傷ついたことがある。だから、みんな怖いんです。だから、鼻で笑うんです。再び傷つくことを恐れて、新たに傷つく者を安牌にして、信じることを後回しにしてる。大人とか子供とか関係なく、みんな。
愛に触れると、ホント傷だらけになります。裏切られ、踏みにじられ、笑われ、忘却に怯え、、、
その姿を想像し、消し去ることなく受け入れ、傷だらけになって、その上で、「世界には愛しかない!!」と叫んで、真っ直ぐ愛を求める姿こそ、それこそが絶対的肯定なのだと、と自分は、欅坂46「世界には愛しかない」を聴いていて改めて思いました。それが青春と重なる詩世界は、物凄いパラドクスを含んでいて僕は好きです。
まぁ、今言ったすべては、「世界には愛しかない」という言葉が、肯定的な意味だとするならばの話、なんですけどね(笑)
じゃりんこ**のトーク
トーク情報ましゆ ましゆ 七色息子七色息子 世界は悲しいんです。悲しいからこそ、愛しかないんです。
殺伐とした現実に生きているんだから、殺伐とした思いにもなるでしょう。それでいいんです。
もともと生きている意味なんてない。だから、世界は悲しいし、だから、世界には愛しかない。
悲しみを埋めるため、その悲しみの数だけの愛がある。
殺伐とした空模様は、ただの自分。愛に触れて、傷つき涙流す、心の空模様。愛のワンピースが底に落ち着くまで、長い長い間、全世界は敵。時間すら、味方には なってくれない。
それでも「世界には愛しかない」と歌うんです。
それがセンチメンタルに見えますか?綺麗事に感じますか?
いたいけな少女たちが、その覚悟を歌う、このパラドクスに、目頭が熱くなります。
ちょっとクールダウンしたい(笑)ましゆ 七色息子七色息子 茫漠の彼方に大事なモノを預けて、自分らしさを犠牲にして、そうやって命だけは守っていた。
僅かの光すら見えない一寸先も真っ暗な場所で、誰に導かれるでもなく、自分で一歩踏み出して、気づいたら傾斜の上にいた。
今まで感じたことのない重力がそこにはあって、今まで感じたことのない悔しさと口惜しさに襲われて、もう闘わずにはいられなくなった。表現という自由な武器の存在を知ってしまったから。自分らしさ って、きっと、そうやって手に入れるものなんだ。
目を瞑ることも耳を塞ぐことも許されず、ただ口だけを閉ざされ、全霊が傷つく。
自分の代弁者などいない。嘆き、怒り、祈り、叫ぶ。様々な悲鳴が全身の内幕で発止と轟く。
共有された既視感の中で、盤石な既成概念の中で、なにを覆せる。変わりゆく自分の音を捕らえることで精いっぱいの彼女たちに、なにを望む。いたずらに手足撃ち抜かれても、踊るように崩れ堕ちても、手を差し伸べられても、再びバラバラにならざるを得ないほどの強い衝動を、誰が理解できる。
孤独を照らすスポットライトなんていらない。傾斜がもたらす 共感という憐れ を躱しながら、それらに高揚する意志 すべてを振り払いながら、ただ一心に自分らしさを求め高め行く、その先が見たいのは、他の誰でもなく、彼女たち自身なんだと、昨日のSONGS-欅坂46を見て、「不協和音」テレビ初披露を見て、強く思った。ひたすら悲しくなって、ひたすら切なくなったけど、彼女たち一人ひとりが本当に素晴らしかった。いろんな感情を覆されても、好き、だけが最後に残る、そんな儚さを初めて感じた。彼女たちはもういない、ずっと、新しい、好きとの、出逢いです。ましゆ 七色息子七色息子 とっても広い場所で欅ちゃんたちが手を繋ぎながら行進しているのを見ていると、ほんと普通の女の子だなぁ☺って思う。
平手ちゃんが、堤防で女の子たちとすれ違うシーン。あのまま彼女たちについて行けば、あの一瞬で、平手ちゃんだって普通の女の子に戻れる。それがさ、良いことなのか何なのか、って、かなり複雑な気持ちになった。
だって、まだ1年だもの。いろんな思いがあるだろ。揺らぐ気持ちがあるだろ。まだ、自分に嘘をついてまで頑張る必要なんかないよ。地平線のように、その境界は、行けども行けども曖昧だ。
でも、ここで、1番の歌詞を思い返して、この詩が涙で滲んだ。
同じ目をしたみんながいる、生きることに不器用な仲間がいる、手を繋いで 迎え入れてくれる誰かがいる、その場所が自分の居場所なんだね。一緒に歩いて、どんなに過酷でも 一緒に坂を上って、確かめたい景色があるんだね。
仲間っていいなあ。
ずっとずっとみんなで一緒にいてほしい。そう願わずにはいられないMVでした✨✨✨感動!!ましゆ 七色息子七色息子 「不協和音」のMV見た!こんなに満遍なくメンバーそれぞれのカットが、違和感なく間延びもせずに曲の疾走を損なわず、映り続けるMVなんてあるの!?愛ゆえに詰め込めるだけ詰め込んだっていうよりも、凄惨ゆえに詰め込めざるを得なかった、って感じだ。あまりにもメンバーの表情が、孤独な戦いに身を投じているから。今、この21人を映さなきゃもったいないっ!そんな緊迫感すら感じた。必死だ。このMVは必死だ。
統率の取れた掛け声すら耳障りに感じるほど、彼女たちのバラバラな命は ぶつかり合いながら共鳴してる。圧倒を奏でるダンス。最後「僕を倒してからいけよ」と、平手ちゃんが少しだけ微笑む。そうか、欅坂46は、ここで微笑むんだ。挑発的でもあり、ちょっと弱気でもある、そんな命を受け入れる歌なんだと気付く。その瞬間、死が少しだけ現実味を帯びる。本当に必死だと思った。そんな彼女たちがとんでもなく素敵!!