
かれこれ13代目
トーク情報⑬ ジョージジョージ 仕事でも、友人同士でも、この仮想空間755でも、人間関係の交通事故に対し、どうするべきか悩む。
正しいなんてない。
僕はこう思うとしか言えない。
見城さんはご自身と全く違う人生に対して(誰に対してもだが)
何度も何度も何度も想像され、理解しよう理解しようと思われてきた事は間違いない。
どんな事にため息をついて、悲しみ、苛立ち、泣いているのか。
「そういった無名の人々の生活に僕の言葉や本があるのなら、僕は大切にしたい」と思われていたと思う。
ご自身の優しさが偏らない様に、一人一人のユーザーに優しさを変化させて与えて来てくださる。
会った事もない、顔もわからない、声も知らない、そうゆう方に対して、何度も何度も考えていた。
その思いは現実に接している方々に対してと全く同じだった事も記しておきたい。
その方が出家を志した時、僕に何度も「戒名を依頼する」と仰っていた。
だから、心底良い関係で保ち続けて欲しかった。
たとえ、一生会えなくとも。
これはその方に対してだけではないが、「おれだけは、私だけは特別に違いない」という驕った思いや、見城さんに頂いた嬉しい言葉を状況が変わっている事に気付けなくて、大切にし過ぎてしまうユーザーも多いと思う。
自分では気をつけていたつもりだが、僕もそんな風に人に思われた時期があった。
とても恥ずかしく思う。
見城さんの心を取り戻そうと、醜い心を露呈して、惹きつけようとするユーザーも何人か見てきた。
正直な意見かも知れないが、それはその方の生活がいかに孤独で、他者がないかを露呈してしまう。
見城さんに届く前に、他のユーザーに見下されてしまう。
何様的な発想は品位と敬意を欠く。
そんな事は賞賛されるわけはないのだから。
見城さんの優しさに感謝どころか、755ユーザーはみんなわがままになるなあと思う。
慣れても慣れるな
自分に対して、言い聞かせたい。⑬ ジョージジョージ 見城さんはご自身の努力で今の生活を手に入れた。
だから努力の辛さと強さが身体に染み込んでいる。
その事を僕達に強要した事があるだろうか?
ない。ないんだ。
一人一人の人生をいつも尊重されている。
一人一人の環境をイメージされている。
僕達無名人は卑怯だ。
僕はユーザー名を使い、ビジネスと755を分けている。
お客様から「755であんな事書いてましたね」というリスクから逃げてる。
仕事の顔と755の顔を使い分けてる。どっちも本当だけど、一貫性はなくなる。
だっせー俺、ずりい俺、いつもそう思ってる。
もちろん無名でも正々堂々本名でアカウントを作ってる方もいる。
そうゆう方々と比べ、ユーザー名を作っている自分の言葉の説得力は半分以下の効力だと思っている。じゃなきゃ、おかしい。
そうゆう僕達に、イーブンで接してくれる見城さんにリスペクトを忘れちゃダメ、絶対。
自分達が憧れの気持ちから近づいたんだから。
これまた自分に言い聞かす。
やべ、シャワー浴びないと💦