ログイン
詳細
下元景太

【皇紀二千六百七十六年皐月十三日金曜日 憲法Forum 2016 in Osaka】 昨日の夜は、KTV近くの大阪北区民Centerにて、明治天皇の玄孫の竹田恒泰先生の御講演に参加致しました。 竹田先生はYTVのそこまでいって委員會の収録後に駆け付けたみたいです。先ず挨拶に憲法改正の御話から始まりました。憲法改正はこれ迄軍國主義や右翼と言われ續けましたが今や時代が變わりつつあります。 「第一は我が日本國について」 憲法は普段の日常生活の中では自分とは関係ないと思いがちですが、これは重要であり未來子孫繁榮に欠かせない浪漫と未來Visionです。國家があれば憲法は存在します。憲法が解れば國の設計図や価値観が判明します。何処の國も第一條には國家民族の大切な事が書かれています。 一つの事例がUSAは自由の國、議會制民主主義、Lincolnが仰った人民の人民の為というのがあります。 二つの事例は中華人民共和國、一黨獨裁の國でこれは破壊してはならないとUSAとの大きな違いがあります。 では我が國の事例は如何でしようか。天皇とは象徴、日本國民の意思とあります。その喩えで櫻は春の象徴、富士は我が國の象徴という概念と同じなのです。我が國は法的概念です。天皇は日本の象徴とは凄い事です。 MacArthur元師が書いた現憲法の一條には多くの國民はと書かれています。 Louis14丗の御言葉 朕は國家なりも御紹介されました。France革命は國民國家と主役國家が重視される出來事です。 日本書記に宮崎県出身の神武天皇が奈良に來て、統一國家に発展したのが示されています。3、4丗紀、我が國が30ヶ國あつたのを一つに統一しています。これこそ大和朝廷なり。基本的に統一國家は戰爭跡がありますが我が國にはそんなものは存在しません。我が國は戰爭を止め様と古代から言い續けて來ました。先程のFrance革命も犠牲を払つての悲惨な事です。丗界の王は軍事力があり、城という軍事要塞を構えていました。支那の紫禁城もそうです。外國から國民から襲われない為に壁が存在します。 しかし我が都である平安京には全く壁が存在しません。 考古學的には必ず古代が判明するのです。 前方後円墳の上から見る様に。 「第二の憲法が無かつた時代」 明治維新前は、明治天皇御製の五箇條御誓文に従つていました。國民の為の政治は2000年前から存在します。主に古事記の内容です。 仁德天皇の民家から煙等の御話は私達の祖父母が學校で習つた事です。大御寶という意味には國民が幸せになつて欲しい、國民は天皇の寶という事があります。欧洲の民主主義には一般國民の参政権がなく貴族のみがあつたみたいです。 大日本帝國憲法には外國の憲法を参考にするのはいいが、そのまま明記するのは駄目だつたそうです。日本國憲法は守る部分と明け渡しの両方が存在します。 「第三の憲法前文について」 平和を愛する諸國民と明記されています。 大東亞戰爭時、日獨伊は枢軸國で米支英が聯合國と決め付けられました。 朝鮮戰爭、越南戰爭が起こつている事から平和の諸國民とは言つてられません。 憲法は人が作り、我が國が幸せになる為です。 我が國は戰後離婚率が高い事から平和とは言えないです。 Potsdam宣言後、天皇を残すか処刑にするかの計画がGHQにありました。USAでは天皇処刑の丗論が高かつたです。我が國は死ぬ覚悟、USAでは生きて帰る覚悟と精神の違いがあり、それが硫黄島で存在しました。 MacArthur元師は天皇を処刑にしたら我が國の憎惡が拡大し、復讐に因る日米戰爭を引き起こす為に我が國が共産主義國になれば脅威になるから、天皇が残つたという事です。 MacArthur Notesには天皇を残す 丗襲でなければならない、戰爭放棄し貴族廃止との内容が書かれているみたいです。 帝國憲法審議録は竹田先生が所持しています。 竹田恒泰先生、有り難う御座居ます!

前へ次へ
下元景太Official Talk 令和維新伝心
トーク情報