見城徹見城徹 スランプはどういう状態を指すのだろう?
やることなすことが全て想い通りにならない。
それがスランプというなら僕は今スランプだ。
圧倒的努力が足りないのかと自己検証してみる。
客観的なベストセラー表を見て、一番苦しい努力した出版社が1位になるとすれば、僕は明らかに努力不足だ。今までの圧倒的努力では通じないのだと思い知る。失望の連鎖。誰のせいでもない、僕のせいなのだ。ベストセラーだけではなく、幻冬舎の利益構造が時代に対応出来ていないとすれば社長である僕の責任である。今までは出たとこ勝負で何とか勝って来た。創業以来30年、それで戦って利益を出して来た。それが通じない。本が急激に売れなくなっているのは確かだが、僕の感覚の何かが狂って来ているのも確かだ。一番苦しい圧倒的努力をした人が1位になる。僕が繰り返し言って来たその原点にもう一度帰る。
755言葉集め
トーク情報いーじ いーじ 見城徹見城徹 いつも思うことがあります。何故、日本は会食をするとみんなお土産を持ち合うのだろうか?
僕はお土産を持って行くことは滅多にないです。相手が欲しいものを持って行ける訳がないからです。たまに、自社の相手の人が興味がありそうな本を持って行くだけです。
僕のように365日会食をしていると、お土産のお菓子や果物が毎日たまって行きます。3人と会食すると3つのお土産を自宅に持って帰ることになります。こちらが招待する時は、招待状に「お土産のご配慮は無用に存じます」と書き添えますが、大概の場合それでも先方は持って来ます。
かくしてお土産は家の中に毎日積み上がり、マンションの管理人の方々や、僕の社用車のドライバー2人、掃除サービスのお姉さんたち、その他の方々に渡ることになります。
中には秋元康さんのように、相手の喜びそうなものをそれこそ秘書の方と命懸けて探して持って来てくれるケースもあり、それは楽しみに自分で戴きますが、多くの場合は儀礼的なお土産です。お互い大変だし、いっそそんな習慣はなくした方がいいと思うのですが、やはり今日も続きます。
僕はこの習慣は無駄だと思いますが、このことがお互いの心の慰めになり、日本経済にも貢献していると考えると、声高にも否定出来ません。
僕の会社はお中元、お歳暮も数年前から廃止しましたし、僕は40年以上前から年賀状も出しません。贈りたいものがあればその都度贈ればいいし、伝えたいことがあれば、その都度手紙を書けばいいと思っているからです。つまり、儀式的な虚礼が嫌なのですが、そんな風に考えるのは僕だけなのかもしれませんね。
何だか書きたくなってしまった戯れ言でした(笑)。いーじ 削除されたユーザー削除されたユーザー 「たった一人の熱狂」の文庫を買って読んで。
以下、僕が755の見城さんと出会い、本を出し、幻冬舎に行くまでです。
すべての達成は、たった一人の熱狂から始まる
幻冬舎 第三編集局
箕輪厚介
僕が編集者を目指したのは、『編集者という病い』(見城徹著)を読んだからだ。
尾崎豊、村上龍を始め「僕が熱狂した作品は全てこの人が手掛けていたんだ!」と驚き、編集者・見城徹の伝説に憧れた。
数年後、双葉社で編集者になったばかりの僕は、見城さんが755を始めたのを知った。
見城さんのトークルームは、明らかに異質な空間だった。
過剰で濃密な見城さんの言葉は僕を含め多くのユーザーを次々と虜にしていった。
僕は仕事の時も、トイレの時も、ご飯の時でさえもスマホに噛り付いて見城さんの755をむさぼる様に読んでいた。
嫁には「スマホと結婚しろ」と言われたが、誰の声も耳には入らなかった。
次第に、この755の見城さんの言葉を元に一冊の本を作りたいと考え始めていた。
そして「本にさせてください」と書き込み、すぐに手紙を出し、見城さんに会いに行った。
見城さんとの編集作業はまさに熱狂の日々だった。
初めて見城さんにインタビューして以来、もう他の仕事は何も手に付かなくなった。
見城さんの言葉が脳の中で繰り返され、その言葉の前では、他のいかなる原稿もクソに思えた。
「野心なんて豚に食われろ」「癒着に染まれ」「金が全てだ」。
強烈過ぎる言葉と、その言葉を凌駕する凄まじい伝説に熱狂し、本というカタチに落とし込んでいった。
嫁に「見城さんと結婚しろ」と言われ始めた頃、『たった一人の熱狂』は双葉社から出版された。
その半年後、僕は結婚ではなく、幻冬舎に転職をした。
わずか3メートル先にいる著者が4つの新しいテーマを加筆し、見城徹が初めて幻冬舎から出す著書、『たった一人の熱狂』文庫完全版が完成した。
「文庫版のあとがき」と秋元康さんの解説も是非読んで欲しい。
たとえ幻冬舎をクビになっても、この本を出せただけで、もう後悔はないと言い切れる。