見城さんのトークは圧倒的で、些細な事も見逃さず、細部にまで心を配る。
リトークされれば必ずその先のトークを読みに行くし、吹き出しの会話まで読んでいる。
私が見城さんに引かれるのは、圧倒的に苦しい状況に自分を追い込んで、そこから生まれた感情や想いを言葉に変えてきた人生。
69年間生きて紡いでる言葉。
それを755で惜しみなく出してる。
常に己と戦い、他者にそれを強要する事もない、ちゃんと他者の良い所を見て、その人に合った事柄を提供してる。
極端で圧倒的な人のトークルームで、何を期待してるんだ?
仲良しをしたいなら、それぞれ自分のトークルームですれば良いじゃん。
叩かれていると感じているなら、その人のトークに言って、「何故」「どうすれば良いのか」伝えれば良いじゃん。
少なくからず、見城さんのトークをリトークして自分の意見を言ったんだから、覚悟を持つのは当たり前でしょう。
見城さんのトークは私にとって無くてはならない場だけれど、24時間現実の中には入れてないよ。
それは、子供や、友人、職場の人に伝えたって、理解されない事だから。
極端なトークに極端な意見や状況が生まれるなんて当たり前じゃん。
誰かを悪者に仕立てあげるなんて、当たり前に、ちょっと良いこと書けばすぐ出来るじゃん。
極端な人の極端なトークルーム。
「同調意見」
「集団いじめ」
「裸の王さま」
去る人もいるけど、突き抜けて結果を出してる人もいる。
私は突き抜けたいから、見城さんの意見に同調して、そこから生まれる感情を大事にしてる。
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