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武田康平

私はあと2週間ほどで社会人になり、何かとおニューな出来事に触れ続ける毎日が予想されます。そのおニューな出来事を確実に吸収し、成長するための有効な手段の1つとして「ブログを書くこと」が挙げられ、私も積極的に書いていこうと(現段階では)思っています。 色々な方のブログを読んでいると、その走り書きに「学びを最大化するため」や「言語化し、血肉化するため」と、ブログの目的が書いてあります。「ふむふむ、それはもっともだ」とその時点では納得はしたものの、その後の内容を読み、なにか違和感を覚えることが何回かありました。 早速私のなりの答えを書きます。違和感の正体、それは「ブログの内容が、得ることのできた新しい情報や客観的なフィードバックの羅列でしかなく、その情報から何を考え、どう行動したか(しようとしているか)、行動したのなら、その結果がどうで、どう振り返ったか、が書かれていないこと」です。 学んだことをそのまま書くのは「備忘録」としては機能しますが、それはあくまでも「経験の陳腐化、劣化を防ぐためのもの」でしかなく、最大化、血肉化には繋がりにくいと考えます。所詮、情報やフィードバックなんてそもそも「言語化された」ものですから、それを改めて言葉にしたところでそこに「考える」という作業は存在せず、言ってしまえばただの「書き写し」です(僕も気をつけていないとこうなってしまいます)。 そうではなくて、たとえ間違っていても、座学を元に自分で考えた仮説検証のアウトラインを書く、動いてみてその結果を反省してみる、という筆者自身のアクションまで「言語化」することで学びが「最大化」され、「血肉化」されるのではないでしょうか。 全くブログを続けたことないので、このように語る資格はないのですが、勢いで書き始めて無駄なベクトルにエネルギー使うの嫌なので、「ブログを始める前のブログ」として書いてみました。建設的な批判であれば大歓迎です。 お読みいただきありがとうございました。

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電博殺しの武田
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