見城徹見城徹
【『栄光のバックホーム』への軌跡 M E S S A G E/製作総指揮 見城徹】
7 4 歳まで生きてきて、人生の王道は、善良で、正直で、真心と感謝があるということだと思う。
生き抜くということは、愛し抜くということは、駆け引きしたり、裏表があったり、狡猾に誤魔化したり、そういうことではない。
そんなことをしていたら、その場は上手くいっても、結局は続かない。
善良 、正直 、真心 、誠実 、感謝 、そして謙虚であることこそが王道だ。
圧倒的努力で正面突破した者こそが 、真っ当だと思って生きてきた。
横田慎太郎がひたむきに生きる姿。
それを支える家族。
それを引き受けたチーム。
それに寄り添った友人たち。
それを見つめた想い人。
横田慎太郎の人生と、それを支えた人たちには、小さくても本物の正面突破がある。
それをフィルムに焼き付けたかった。
横田慎太郎は最後の最後に微笑んだ。
これは個人的なロマンチズムかもしれない。
だけど、そう思いたいし、そう信じている。
誰もが、頑張って頑張って、一生懸命やっても報われない人生を生きている。
でも、その人たちに「それでいいんだよ。そのようにして生きることで人生最後に微笑むことができるんだよ」
そう伝えたい。
その人たちと抱き合いたい。肩を押したい。無言で見つめ合いたい。
そういう映画にしたかった。
それを秋山監督が実現してくれた。
映画はこんなにも濃密で本源的で心に刺さる。
『 栄光のバックホーム』は少しでもあなたの人生を変えるだろうか?
この映画を、懸命に今を生きる全ての横田慎太郎に捧げたい。
製作総指揮 :見城 徹
岩井 千明のトーク
トーク情報岩井 千明 岩井 千明 見城徹見城徹 削除されたユーザー扉座の『郵便屋さんちょっと』ムリしてでも、観に行こうと思っています。 僕は、どうしても見城さんや、周りの方が熱狂したという、全盛期のつかこうへいさんの舞台が観たかったのです。芝居は生ものなので、もう観れませんが。横内謙介さんが、『つか版 忠臣蔵』でその原色を作り上げる偉業を成し遂げていたのなら見逃したことを後悔しています。『郵便屋さんちょっと』で観せると宣言されてるなら、どこまででも観に行きます。ちょっと心配なんです。稽古も観ていないし、開くまで、ドキドキです。「つか版 忠臣蔵」は完璧に近かったけど、そのレベルまで行っているかどうか?「つか版 忠臣蔵」はつかこうへいは一回も舞台にしていません。テレビ東京でドラマにしただけでした。ですから、舞台は横内謙介のオリジナルのようなものでした。全てがつかこうへいでありながら、つかこうへいを突き抜けるという大技が見事にキマッた舞台でした。
「郵便屋さん ちょっと」もつかこうへいが初期の初期だけやって、封印してしまったものですので、横内謙介のオリジナルに近くなると思います。
全盛期のつかこうへいを再現できるのは数多いる劇作家、演出家の中で横内謙介しかいないと僕は確信していますが、初日まではドキドキです。岩井 千明 秋山純秋山純 【イベントレポート】草川拓弥「栄光のバックホーム」大ヒットに思わぬ反響?「遠藤記者が踊ってるって…」監督の“推しコーデ”に照れ(音楽ナタリー) - Yahoo!ニュース 【イベントレポート】草川拓弥「栄光のバックホーム」大ヒットに思わぬ反響?「遠藤記者が踊ってるって…」監督の“推しコーデ”に照れ(音楽ナタリー) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/08ad67c5318cfdd435bdcd998ce0f5ffbf8c172b
岩井 千明 見城徹見城徹 秋元康僕も人脈を作ろうとする人が苦手です。無理に紹介してもらって、名刺を交換して、人脈ができたと勘違いする人と友達にはなれません。やじコメをくださった方が勘違いなさっているのは、僕は“意図しない出会い”から付き合いが始まるということを表現する時に、「ドミノ倒し」を使ったのだと思います。“意図しない出会い”の連鎖を、人は客観的に人脈と言うのでしょう。「意図しない出会いの連鎖」が僕も強いて言えば「人脈」です。自分がこの世間で影響力のある結果を出してさえいれば、ドミノ倒しのように出会いは連鎖して行きますよね。正に実感です。こちらから求めて作る「人脈」など豚に喰われろ、と思います。パーティで名刺を配り、もらいまくる姿は見ていて吐き気がします。表面的な会話など何も生み出しません。だから、「人脈交流会」などは愚の骨頂ですね。自分のキラーカードと相手のキラーカードが交錯し合うそこにこそ「出会い」はあります。意図しないところでそれは成立します。嫌な言い方ですが、一流同士とはそういうものです。秋元に引き合う一流であるために、僕は実力を溜め込みます。
岩井 千明 見城徹見城徹 秋元康僕も人脈を作ろうとする人が苦手です。無理に紹介してもらって、名刺を交換して、人脈ができたと勘違いする人と友達にはなれません。やじコメをくださった方が勘違いなさっているのは、僕は“意図しない出会い”から付き合いが始まるということを表現する時に、「ドミノ倒し」を使ったのだと思います。“意図しない出会い”の連鎖を、人は客観的に人脈と言うのでしょう。「意図しない出会いの連鎖」が僕も強いて言えば「人脈」です。自分がこの世間で影響力のある結果を出してさえいれば、ドミノ倒しのように出会いは連鎖して行きますよね。正に実感です。こちらから求めて作る「人脈」など豚に喰われろ、と思います。パーティで名刺を配り、もらいまくる姿は見ていて吐き気がします。表面的な会話など何も生み出しません。だから、「人脈交流会」などは愚の骨頂ですね。自分のキラーカードと相手のキラーカードが交錯し合うそこにこそ「出会い」はあります。意図しないところでそれは成立します。嫌な言い方ですが、一流同士とはそういうものです。秋元に引き合う一流であるために、僕は実力を溜め込みます。
