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従順にして不平屋のトーク
トーク情報
  • いっき
    見城徹見城徹

    [読書という荒野]に流れている通奏低音は吉本隆明の[マチウ書試論]である。[マタイによる福音書]を吉本隆明は自分の人生の問題として読んだ。僕は[マチウ書試論]を僕の人生の問題として読んだ。[読書という荒野]が読む者の人生の問題として読まれたらこんなに嬉しいことはない。読書とは当たり前だけど、人生を変えるものなのだ。

  • いっき
    見城徹見城徹

    [読書という荒野]がまだ売れている。最初は出版するのを躊躇した。箕輪の勢いに押されてバタバタと出したけど、出して良かった。見切り発車。あんなカオスの中でしか実現しなかったと今は断言出来る。考えていたってダメなのだ。旅についての章でゲーテの[イタリア紀行]について書くのを忘れたのが悔やまれる。50歳を過ぎた頃、ゲーテの[イタリア紀行]に沿ってイタリアを旅した。正に読書を実践した旅だった。あの旅のことをいつか書きたい。

  • いっき
    見城徹見城徹

    [初心に返る]とはよく言ったものだ。人は物事が上手く行き出すとどうしても何もなかった最初の頃の気持ちに戻れない。僕も幻冬舎を創業した時の悪戦苦闘の日々を忘れがちだ。自分一人の力でここまで来れたのではない。不安で押し潰されそうだった幻冬舎の旅立ち。旅は自分を初心に戻してくれる。北国を旅しながら自分に言い聞かせる。ゼロに戻せ。初心に返れ、と。

  • いっき
    見城徹見城徹

    [初心に返る]とはよく言ったものだ。人は物事が上手く行き出すとどうしても何もなかった最初の頃の気持ちに戻れない。僕も幻冬舎を創業した時の悪戦苦闘の日々を忘れがちだ。自分一人の力でここまで来れたのではない。不安で押し潰されそうだった幻冬舎の旅立ち。旅は自分を初心に戻してくれる。北国を旅しながら自分に言い聞かせる。ゼロに戻せ。初心に返れ、と。

  • いっき
    いっき


    来る三月二十五日、幻冬舎の最初の単行本が六冊刊行されます。六冊を見ていただければおわかりのように、幻冬舎は文芸作品中心の出版社です。衰退がいわれて久しい文芸本のジャンルにあえて切り込んでいくのには、それなりの覚悟があります。私たちは文芸が衰退しているのではなく、文芸を編集する側が衰退しているのだと考えています。すなわち、大手寡占状態の中で、出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますことなく本を送り出しているのではないか?血を流し、葛藤し、渇えている作者と読者のひとりびとりに対してあまりにもヌクヌクと生活しているのではないか?大手出版社というブランドに守られて、ひりつくような痛みとははるか遠い所でいつも安全な本作りをしている自分の姿を思い浮かべる度に、吐き気をもよおしていたことは事実でした。
    もう一度ゼロに戻したい。もう一度ひとつ間違えれば地獄へいく薄氷を踏んでみたい。そんな想いのなかで幻冬舎は出発しました。逆に言えば、幻冬舎の社員ひとりびとりの人生の問題として、今の自分に否定形の「NO」を言い続けるためにも、幻冬舎は設立されたのです。
    私達には今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよいことだと感じています。私達を縛る出版界の常識もありません。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことができます。
    その戦いのさ中で、読者の胸元にくっきりと届くものを送り続けます。そして、その集積でこの世界の何かを変えたいと願っています。
    文芸元年三月二十五日。幻冬舎は歴史に新しい楔を打ち込むことができるでしょうか。
    この「闘争宣言」は幻冬舎設立の翌春、一九九四年三月二十五日に最初の六作品を同時刊行した時のメッセージです。当社の出版に対する想いと決意を広く読者の皆さんに伝えたいとの願いから、創業者で代表取締役社長の見城徹が自ら執筆しました。
    私たち幻冬舎は、既成の概念にとらわれず、読者と作家の意見を尊重する事業方針を強くアピールすることからスタートしたのです。そして、この「闘争宣言」に共鳴、ご賛同いただいた表現者の方々から多くの寄稿をいただき、幻冬舎の船出はさらに追い風を受けることとなりました。
    三年後の一九九七年四月十日。当社は文庫本市場への参入を果たしますが、その規模もまた六十二作品・三五〇万部を同時刊行というかつてないものでした。
    見城徹以下、社員六名で荒海へ向けて船出した幻冬舎は、濃密な時を重ね、力強く総合出版社へと成長しています。

  • いっき
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 「月刊カドカワ」の2代目の編集長を引き受けた時、僕は2つのことを[極端]に変えた。1つはターゲットの年齢を40歳から20歳にした。もう1つは文芸誌だった「月刊カドカワ」を小説は減らさないで、音楽誌に見えるようにミュージシャンの内面の特集を組んだ。特集するミュージシャンを表紙にも起用した。負けている時は[極端]に振り切らなければ勝ち目は出て来ない。自分一人の[極端]な意思を押し通す。皆んなの意見を聞いたら[平均]になるだけだ。[平均]は勝っている時にしか意味がない。部数は1年で30倍になった。

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  • いっき
    見城徹見城徹

    個体の物語が匿名性を獲得した時、その物語は時代や空間を超えて流通します。つまり、神話や説話になるのです。秋元康が彼の詞で試みている深い部分はそういうことだと思っています。僕の青春時代の恋物語は単にセンチメンタルで思い出のままに発作的に書いているだけです。つまり、単なる自己陶酔が強い日記に過ぎません。背景も事情も書いていないので普遍的な一人の男と女の物語には程遠いですが、サエの言葉は嬉しいです。
    しかし、自分にはこう言います。
    「日記か自分のトークに書けよ、見城!」
    あっ、ここは自分のトークか(笑)。

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  • いっき
    徹の部屋徹の部屋

    次回の「徹の部屋」は、8月26日(日)の夜9時から!
    AbemaSPECIAL2チャンネルにて2時間生放送!

    トレーニングで肉体を鍛え抜くことに余念がないMC見城徹が、
    今回お招きするのはこのお三方!

    1人目は、27歳で新日本空手道連盟正道会館を創設し、1993年にK‐1グランプリを立ち上げ後、1997年には東京・大阪・名古屋で3大ドーム大会を成功させ、さらに2002年には国立競技場で10万人を集めて格闘技イベンド「ダイナマイト」を開催するなど、日本格闘技業界に数々の功績を残した、K-1創始者であり正道会館・宗師の石井和義さん(石井館長)。最近では、自ら原作を手掛ける空手漫画「どるから」でも話題に。
    2人目は、1992年にミス日本グランプリを受賞後、多くのCMに出演しCM女王として人気を集め、さらに女優として多くのドラマでも主演を務める他、「K-1」中継(フジテレビ)の司会や格闘技情報番組「SRS」(フジテレビ)のメインキャスターを務め格闘技業界を盛り上げた経験を持つ、格闘技に精通する女優・藤原紀香さん。
    そして3人目は、755でMC見城社長と出会い「たった一人の熱狂(双葉社)」を作り上げ、その後、幻冬舎に入社しNewsPicks Book編集長として多くのベストセラー作品を生み出し続ける他、先日の堀江貴文イノベーション大学主催の異種格闘技戦「HATASHIAI」では水道橋博士と対戦し格闘技デビューするなど常に話題を作り続ける、当番組でもお馴染みのヒットメーカー幻冬舎編集者・箕輪厚介さん。
    格闘技に熱い思いを抱く3人が揃い踏み。

    そんなお三方が今回、見城徹とトークで対戦!?
    人生を戦い抜く面々が伝える、珠玉のエピソードの数々!
    ワークアウト好きの大石絵理も思わず熱くなる!?
    さらには、箕輪さんのHATASHIAIの裏話も登場!?
    26日の夜は、人生を戦う者たちが届ける激熱2時間生トーク!

    是非、お見逃しなく!!

    https://abema.tv/channels/special-plus/slots/BfBujegAmHEjDR

  • いっき
    見城徹見城徹


    廃人の歌
    吉本隆明

    ぼくのこころは板のうえで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街でぼくの考えていることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でおわる ぼくはそれを考えている 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがいないあいだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひょっとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがいない 幸せはそんなところにころがっている たれがじぶんを無惨と思わないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうったえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはとく名の背信者である ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ
    ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしっているのに 沈黙をまもっているのがゆいいつのとりえである患者だそうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間でぼくの好きな奴は三人はいる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる

    「転位のための十篇」(1953年)より