この件について、既に何年も前から私は言って来た。天才的な企画・原案屋さんのお得意の突飛な構想に、これぞ金のなる木とばかりに様々な団体が飛びついた。お粗末なのはそこには国の外郭団体から地方自治体まで、我等が血税をクソとも思わぬ頭の空っぽの連中が多数いたことだ。しかも、事もあろうに、結果として失敗や破綻や大損失した場合の責任の所在を押し付け合いうやむやにしてぼかしてしまうという、彼等にとっては実に都合の良い結果になった。これを一言で要すれば誰も責任を取らなくて良いという体制を初めから取ることが出来たということだ。各団体が出資した法人を責任者として空中分解させて仕舞えばなにもかも終わりというわけだ。
しかし無論、事はそう単純ではない。あのどうにも始末の悪い巨大なお荷物が、船という巨大な物体が「おれをどうしてくれるんだよ?」と言わんばかりに岸壁にへばりついたままである。嘗て私はここで「該当出資地の納税者はなぜ怒らないのか?」と書いた。まるで矛先を逸らすように時あたかも新潟県・新潟市が、納税者ではない無関係な多数から鬼のように責任追及をされることになった。責任者は一目瞭然なのに、だ。現場での決定権を有し、メンバーに直接指示を出していた支配人、それを監督していた取締役と社長。
ではSTU48とSTU48号の始末は誰がどのように責任分担分をそれぞれ果たすべきなのか?外側からは全く見えて来ない。と、思っていたが、ニュースによれば、全国的には聞いたこともない小さな市がなんだか骨を折って下さっていたらしい。がそれも無理だった、ということだ。
法的にはどうかわからないが、人として普通に考えるのは、あっちであおり、こっちで「そそめかし」次から次へと移っていく天才的企画・原案屋さんの莫大な資産を少しは役立てないのか?と、人として感情的に思う。
しかし無論人としての感情などは通用しないシビアな事業の話ではあろう。後は一刻も早く庶民感覚からかけ離れた膨大な維持費の垂れ流しを解決するべく、関係団体や責任者はしっかり話し合いを持って欲しいものだ。
#STU48号のお話
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