鯖缶のトーク
トーク情報- 鯖缶
鯖缶 「あの年、サンタは来なかった」
私にも、クリスマスの夜にはサンタクロースが枕元にプレゼントを置いてくれると、
何の疑いもなく純粋に信じていた、可愛い時期があった。
しかし私が小学校一年生のクリスマスイブの夜、
その日はよりによって、大阪から滋賀県へ引っ越す日と重なった。
引っ越しの道中、車の中で父親は、
私たち三人兄弟に向かって、突然こう言い放った。
「お前たちには、もうとっくにばれてると思うけどなぁ。
サンタクロースは、お父さんだったんだよ。ハハハ!」
それに対して、七つ上の姉と二つ上の兄は、
「もう知ってるよ」「やっぱりな」と、
いかにも大人びた顔をしてうなずいていた。
だが、実はそれまで一切の疑いもなく信じ切っていた私にとって、
それはまさに青天の霹靂。
なかなかにショッキングな告白だった。
しかも、イヴ当日に、である。
――いやいや、これは冗談だろう。
サンタクロースは、やっぱり来るはずだ。
そう信じて、その夜は段ボールが積まれたままの新居で、
ベッドもなく、床に敷いた薄い布団にくるまって眠った。
夢と現実の境目みたいな寒さの中で。
しかし翌朝、
私の枕元――と呼ぶにはあまりにも心許ない場所には、
何も置かれていなかった。
そしてその翌年もその翌々年も、永遠にサンタクロースが私にプレゼントを持ってきてくれる日は訪れなかった。
そして大人になると、
サンタクロースが存在しないと知ったうえで、
女はその役割を父親から恋人へと静かに引き継ぐ。
「クリスマスには何かを買ってもらえる」
それを疑いもせず信じている彼女たちの目は、
かつてサンタが空からプレゼントを運んでくると
心の底から信じて疑わなかった、
あの頃の子どもとまったく同じ目をしている。
そんな目で見られたら、
男は買うしかない。
こうしてクリスマスには、
この純粋(?)な男と女の心理を巧みに突いた
あらゆるブランドやジュエリー店が大繁盛する。
その一方で、
多くの子どもが「もしかしてサンタはいないのでは」と
薄々勘づいた頃に真実を教えられる中、
私はあまりにも早く世の無情を叩き込まれてしまった。
そのせいか、
父親サンタにも、恋人サンタにも、
一切の期待を寄せることなく生きてきた私は、
ついにユーミンの
「恋人はサンタクロース」を体験することなく、
ここまで来てしまった。
最近は、引き寄せの法則だの、宇宙の法則だのといって、
「本当に心からそれが手に入ると信じれば、何でも手に入る」
などと、なかなか怪しいことが語られている。
そして決まって、
「叶わないのは、心のどこかで疑っているからだ」
という、少しずるい理屈がセットで付いてくる。
でも考えてみれば、
一ミリの疑いもなくサンタクロースに手紙を書いていた子どものもとには、
何が何でも願いを叶えようとする親が現れ、
結果、本当に欲しいものが手に入っていた。
あのくらい、
信じて疑わなければ、
もしかしたら願いは叶うのかもしれない。
クリスマスまで、あと二日ある。
よし。
サンタさん、どうか私に
ヴァンクリのネックレスをください。 - 鯖缶
鯖缶 「作家になりたい」と願う人の多くが、
実際には原稿用紙一枚すら書き進めていない。
これは、よくある話だと思う。
作家に限らず、
夢を持つことと、そのために行動を起こすことの間には、
想像以上に大きな隔たりがある。
ちなみに私は、
とくに作家になりたいわけではない。
けれど毎日、見城さんの言葉に触れ、
なるほどなぁと思い、学んだ気になり、
インプットばかりでアウトプットはゼロ。
そんな状態に、ずっと甘んじてきた。
どれだけ素晴らしい言葉を浴びても、
書かなければ、出さなければ、
私は何ひとつ変わらない。
私は、言葉の力を信じている。
自分の考えたことを言葉にして書き記すことで、
何かが少しは動くかもしれない。
というわけで最近、
ショートエッセイのようなものを書いています。
目的は、今のところありません。
正直、自分が何を書きたいのかもよく分かっていません。
とりあえず、思いついたことから、
毎日何か書くと決めました。
きっと、忙しくて書けない日も来ると思う。
どうしても言葉が出てこない日もあると思う。
そんな日は、
「今日は忙しくて書く暇がなかった」
「今日はアイデア不足で書けなかった」
それだけを書こうと思っています。
急ぐな、止まるな。
それが今の私のモットーですから。
こんな拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
皆さんの拍手が励みです。
特に、あの見城さんからの拍手には……♡
実際の書き方はというと、
決まった時間に机に向かう、という理想的なスタイルではありません。
仕事中や家事中に考えて、
5分手が空いたら書いて、
また仕事して、
また少し手が空いたら続きを書く。
そんなやり方です。
せめて、アップする時間だけは統一しようと思いました。
今日書いたのは、
「うっかり自慢」これは明日に回します。
というわけで、
明日から毎朝6時更新。
今のところ自虐ネタオンリーの
**「鯖女の日記」**を、
よかったらお付き合いください笑 - 鯖缶
鯖缶 うっかり自慢
病院や公園、あるいは職場。
あらゆる場所で見かける、年配者による病気自慢。
片方が
「最近、血圧が200超えてなぁ。薬も3種類飲んでるわ」
と言えば、
もう片方が間髪入れずに、
「それくらいで驚いたらあかん。わしなんか糖尿に心臓に腰も膝もや。手帳も2冊あるで」
と被せてくる。
勝敗は明確だ。
病気が重いほうが勝ち。
本来なら悲しむべきはずなのに、
なぜか病気持ちのほうが誇らしげである。
そしてこれは、年寄りに限った話ではない。
「最近、物忘れがひどくてさぁ」
という話題になると、たいていの人が
自分用の“うっかりミスエピソード”を
ひとつやふたつ、ポケットに忍ばせている。
「私も、私も」と、
ここぞとばかりに被せてくるのだ。
何を隠そう、この私自身、
特技欄に「うっかり」と書いても差し支えないほど、
うっかりミスが多く、しかも規模が大きい。
あるとき、愛媛県に住む父を訪ねるため飛行機に乗った。
目的地は愛媛県・松山空港。
ところが私が到着したのは、香川県・高松空港だった。
さらに恐ろしいことに、
離陸から着陸後もしばらく、その事実に気づかなかった。
松山空港まで迎えに来ていた父と、30分ほど通話しながらお互いを探し続け、
「おかしいな」「見当たらんな」と言い合った末、ようやく私が自分の現在地を理解した。
ちなみに父には、
ハワイでの私の結婚式に向かう途中、
空港でパスポートを忘れたことに気づき、
慌てて家に戻ったものの鍵を忘れ、
トイレの窓ガラスを割って侵入し、
搭乗ギリギリで間に合った、という前科がある。
そう。
私のうっかりは、ほぼ遺伝だ。
そんな私には、
「たまたまのうっかり」なのか、
それとも私のような「筋金入りうっかり」なのかを
見極める質問がある。
「小学生の頃、ランドセルを忘れて
登校、もしくは下校したことある?」
ちなみに私は、4〜5回ある。
大抵の人は
「それはさすがに……」
と、気の毒そうな顔をする。
だが私は、その瞬間、
冒頭の老人たちと同じ顔をしている。
――勝ったな。
そして、まれに
「あるー!」
と即答する人がいる。
その瞬間、ここは病気自慢とは異なり、
よくぞここまで生き延びてくれた、という気持ちで
ハイタッチ、からのグータッチ。
それ以降、強い仲間意識が生まれるというわけ。
うっかりは、欠点ではない。
これはもう、
同じ傷を持つ者同士だけが通じ合える
ひとつの勲章なのだ。
たぶん。
次に何かを忘れるまでは。 - 鯖缶
鯖缶 「製菓は理系、調理は文系?」
私は料理家であり、料理家政婦として仕事をしている。
調理することが食べることよりも好きで、
ご要望があれば、だいたい何でも作れる。
……と言うと、
決まって聞かれる質問がある。
「ケーキやお菓子も作れるんですか?」
残念ながら、答えは「ノー」。
まったくと言っていいほど作れない。
先日など、
ゼラチンをお湯に溶かし、果実と水を混ぜるだけの
超・簡単なゼリーすら失敗し、
「自分、最低……」と本気で落ち込んだ。
私が得意とする「調理」は、
食材の旨みや状態を見ながら進めるもので、
必要なのは柔軟性と直感だ。
一方「製菓」はまったく違う。
計量、温度管理、手順。
科学的な精密さと計画性が何より重要で、
レシピに忠実であること、正確であることが求められる。
製菓に必要な要素を並べてみると、
「精密」
「計画性」
「忠実」
「正確」
……悲しいかな、
どれもこれも、私が著しく欠けている能力ではないか!
だから私は思う。
製菓とは、
化学+物理+実験科学。
つまり、完全に理系の世界だ。
もちろん調理にも科学はある。
ただ、素材の個体差があまりにも大きすぎて、
製菓ほど条件を固定できない。
そのため製菓畑の人は、
逆に調理の曖昧さが難しいと言う。
「ほうれん草一束って何グラム?」
「玉ねぎ半個って、どのサイズ?」
「塩ひとつまみって、一体何gですか?」
――たしかに、言われてみれば全部アバウトだ。
その文脈を読み取り、
状況を判断し、
自分なりの解釈で仕上げていく。
だから私は、
調理は文系だと思っている。
自分には到底できない「製菓」。
それを作れる人を、私は心から尊敬している。
たまに
「調理も製菓も両方できます」
という人がいるが、
それはもう神の領域だ。拝むしかない。
ちなみに学生時代、
スイーツ作りが得意な女の子は
家庭的に見えて人気だったりするが、
結婚したら、
料理は一切しなかった、という話もよく聞く。
……スイーツと日常料理は、
思っている以上に、別競技です。
ご注意くださいませ。
