タクマタクマ 4【YouTube生配信】見城徹×箕輪厚介
15:30〜20:05
見「だってそうでしょ。僕だって名刺切らすことありますよ。できればパーティ行きたくないんだけど、パーティで『見城さん!』とかって結構長い列が出来ちゃってさ、みんなが名刺をくださいって。で、こっちで切れちゃったりするわけじゃない、何人目かから。そしたら俺は受け取っちゃったら受け取った人にはちゃんとペンで丸印をその名刺にして、それで明日速達で送りますからって必ず言いますよ。今切れてて申し訳ないと。それで僕はちゃんと一筆つけて名刺を同封して送ります。だから当たり前だよ。そういうちいちゃなことを1つ1つやって人間の信頼ってのは出来ていくんだよ。そんなこと疎かにしてるやつはダメだし、そういうことを分かんない人はもっとダメだよね。木原誠二って人は何なんだろうね。別に会いたかったわけじゃないからね、俺」
箕「あっちが会いたいって言ってきたんですもんね」
見「違う違う。間に立った人が紹介したいと」
箕「てかコメント欄が……。見城さんが登場してから人が増え過ぎて、もう5300人います」
見「いやいや、5000人から5300人ってどうってことないじゃない」
箕「いや4500人くらいから5300人くらいになったんですよ」
見「いやいやいや、だからさ俺は、何かを暴露してやろうとかそういうことではないんですよ」
箕「だから正面を切って潰すってことですよね?」
見「いやいや潰すとかそんなのはなくて、自分の思ったことを書くってことですよ」
箕「そうですね。見城さんが見て、見城さんが感じたことを潰すとか潰さないとか関係なく、まぁ見城さん常にそうですからね」
見「そうなんですよ。それを分かってくれると嬉しいんだけど」
箕「みんながみんな絶対に思ってることをみんな言えないけど、みんなムカついてる人に1番最初に『君は許せない』って言ってみんながよくぞ言ってくれたっていうのが、僕が幻冬舎に入ってから5回くらいありますもんね」
見「(笑)まぁだから子供なんだよ」
箕「言っちゃうんですよね」
見「これを言わないで済ましたら俺はこの人とは生涯付き合うことはないだろう、と思うから言うんだけど、木原誠二の場合はもう最初から付き合うつもりはなくて言ってるんだけど。ただね、この人は政治家だからさ。国民の税金で報酬を得てるんだから、やっぱり国民は知る権利があるんですよ。だから僕はちゃんと感じたことを言っておこうと」
見「だからね、ガーシーという人がね、なんか“めくる”って言葉を使うみたいだけど、めくるのはそれはガーシーの考えだから、それはそれでいいんですよ。で、これだけガーシーって人が影響力を持ってるっていうのは、それはやっぱり彼がやってることに何たる本質がちゃんとあるんですよ」
箕「喜びますね、ガーシーも」
見「それはどうか分かんないけど。俺は自分の我慢できないことは、今回もすごく考えに考えましたよ」
箕「僕、これ出さないほうが良いんじゃないですか?って言いながら、絶対出すなって思いましたもん(笑)今までの僕の経験で、『箕輪、これ言わない方がいいかな?』って言って、多分言わない方がいいですよって言って、『いや、言う』ってのが毎回ですもん。何で聞くんだろうっていうくらい」
見「そうだよね(笑)何で聞くんだろう?ってすごい正しい表現だね。そうなんですよ。『良いじゃないですか、言っても』とか『書いてもいいんじゃないですか?』っていうのを期待してこれどう思う?って言って、『いや、やめたほうがいいと思います』って言われるとショボーンとするんだよ」
見城徹さんの文字起こしRoom
トーク情報タクマ タクマ タクマタクマ 5【YouTube生配信】見城徹×箕輪厚介
20:05〜
箕「僕、意外とずっと、個人としては応援しますけど業界的にやめた方がいいと思いますって言いますよね」
見「君はさっき言ってたよね。それは有り難いんだよ。コイツは本当に相手のことを考えてんだなぁと思ったよ。だけど、やっぱりこれは言わなきゃいけない、と(笑)」
箕「(笑)」
見「まぁ、そうやって俺は生きてきたんで、僕はこうしか生きられないので。それで受ける風圧は全部自分で受けますよ。そうやって生きてきたもん」
箕「しょうがないですよ。もう貫くのみですよね」
見「そうですね。俺の人生哲学言ってる配信じゃないだろうからさ」
箕「いや、すごい喜んでますよ、みんな」
見「君の配信は2回くらい見てるけど、なんかいい味がして」
箕「ゆるーい感じ、でもなんか今日味が違うんですよ。視聴者が違って。異常にみんな興奮してるんですよ」
見「味が変わっちゃうから、しょうがないよ。もう今自分の頭の中では『人生を危険に晒せ!』という風に」
箕「『死なばもろとも』ですね。人生を」
見「そうだね。『死なばもろとも』だよ。ガーシーまではいかないけども『死なばもろとも』だよ、そんなもん」
箕「どんな社長だって感じですけどね、すごいですね」
見「うん、でもそんなところで大人になってもしょうがないもん」
箕「さすがです」
見「と、思います」
箕「いや有り難うございます。すいません」
見「余計なこと言いそうなんで」
箕「僕も余計なこと言わせそうなんで。有り難うございます、急に」
見「ビックリするから勘弁してくれよ。はーい、それでは。皆さん聴いてくれて有り難うございます。皆さんにとって明日が良い日でありますように」
箕「急に良い人(笑)」
見「僕はこういう人じゃん。それじゃあね」
箕「そうですね。有り難うございます。お疲れ様です。また後ほどLINEします」
見「はい、よろしく」タクマ タクマタクマ 1【YouTube】見城徹×有本香
0:00〜5:00
【オープニング】
見「それで僕が感動するのは、どこへ行っても言ってくれるんですよ、安倍さんが。僕は見城さんのおかげで総理大臣になりました、って言ってくれるんです。こっちとしてはそれほど貢献したとは思わないですよ、思わないけども僕は僕で命懸けでやったなと思うんですけれども」
【本編】
見「照れますね。よろしくお願いします」
有「よろしくお願いします。今日はお忙しいところお時間頂きましてありがとうございます」
見「こういうYouTubeに出るのは本当に久しぶりなんで」
有「数年ぶりくらいですよね?」
見「数年ぶり……いや、箕輪って部下がいるんだけど、『サウナノフタリ』っていうのの第1回に出たんですよ。それ以来」
有「『サウナノフタリ』って何ですか?2人でサウナに入るんですか?箕輪さんと」
見「それで対談するっていう」
有「凄い絵柄ですよね、想像するだけでも。後で見てみます、検索して」
見「見なくていいです、ロクなことは言ってないんで」
有「はい。で、今日はですね、丁度四十九日くらいになるんですけれども、安倍晋三さんが亡くなって、大体四十九日くらいになりました。で、見城さんに今日安倍さんのお話を中心に色々伺いたいと思ってきました」
見「僕がふさわしいか分かんないけど。いくつか依頼はありましたけど、僕がふさわしいか分からない、という理由で全部お断りして」
有「そうですか」
見「まぁ有本に頼まれたら、というだけで出てきたんですけど、あんまり舌禍を起こさないようにドキドキしてます」
有「ちょっと(笑)そうですか。でも7月8日の日ですね、丁度亡くなった日、あの日は見城さんどんな風に過ごしてらっしゃったんですか?」
見「実はですね、7月1日からハワイに行っていて」
有「日本にいらっしゃらなかったんですね」
見「ハワイ時間で7月7日の夕方の4時くらいに入ってきたんですよ、一報が。で、いわゆる重体と。でも何となくニュースを見ていて、これは助からないだろうな、という風には思いました。それでたまたま7月8日の午後1番の便に乗ることになっていたので、とりあえずJALに確かめました。そしたらそれより前の便はなかったので、とにかく帰らなきゃ、ということが1番に頭に浮かんだことで、ただスケジュール通りで1番早い便だったので、それで帰ってきましたけれども。ハワイ時間で夕方4時頃にそれを知って、6時からご飯を6人で食べたんですけど、全く覚えてないです。何を食べて、何を話したか。ビックリしました。僕、2月1日に石原慎太郎さんが亡くなって……」
有「はい、そうですね」
見「本当に石原慎太郎さんのいない世界に自分が生きているというのは、信じられないし耐えられなくて。こんなに人が亡くなるっていうことが自分の生きるってことに影響するのかっていうのを、初めて体験したんですね。親とかでもそんなことはなかった。まぁそれでも安倍さんがいるじゃないか、って自分に言い聞かせてたわけですよ。それが同じ年にまた安倍さんが逝ってしまう、というのは2022年は僕の人生で最悪の年ですね。石原さんと安倍さんが亡くなるっていうのは。2人は似てましたからね、政策は」
有「そうですよね、似てましたし、特に安倍さんは好きでしたからね、石原慎太郎さんを」
見「そうですね」
有「私石原慎太郎さんに不遜ながらそれをお伝えしても、全く一笑に付して信じておられませんでしたけども」
見「いやぁ、あのね、石原慎太郎さんというのは凄く照れ屋で、『えぇ、そんなことねぇだろう。俺は別に安倍に褒められても嬉しかねぇよ』って」
有「それそれそれ(笑)あと私には言ってましたよ。『有本さん、あなたね、政治家の言葉をまともに受け取っちゃダメだよ』って。随分嗜められましたけれども、ただお別れの会がね、丁度安倍さんが亡くなる1か月前の6月8日……」
見「8日でしたね」
有「そこで発起人の、見城さんもそういうお立場でしたけど、代表という」
見「発起人代表が安倍さんと、作家で曽野綾子さんで、新聞で読売新聞の渡邉恒雄さんで、テレビでフジテレビの日枝さんで、芸能界で田辺エージェンシーの田邊さんで、政財界で電通の社長会長を務めた高嶋さん、それで出版界で僕だったんです。7人だったんです」タクマ タクマタクマ 2【YouTube】見城徹×有本香
5:01〜9:55
見「で、1番先頭の席に安倍さんが座って、安倍さんが弔辞を読んだんじゃなくて、何も見ないで喋ったと。あれいい話」
有「あれいい話でしたよね。あの時にまさに安倍さんが石原慎太郎のいない日本はつまらなくなるなぁ、と仰っていた」
見「本当に言ったね、そうやって」
有「仰いましたね。その1ヶ月後ですもんね」
見「そうですよ」
有「丁度お別れの会に行った時に、石原ご兄弟がみんな挨拶に出ておられた。その時に伸晃さんがどういうわけか分かりませんが最後私に、晋三さんが引き受けてくれて本当に良かったと思ってるんですよ、って仰ってたんですよ。まさか1ヶ月後にね、こんなことになるなんて思いませんもんね」
見「僕はね、すごく仲のいい政治家って言ったら、僕の中で最初に頭に浮かぶのは亀井静香さんなんですね。政治家はもうお辞めになってますけども」
有「石原さんにとってってことですね」
見「石原さんにとって。安倍さんはもちろん発起人になるのはいいし、ちゃんと弔辞を読むのはいいけど、亀井さんも入れたらどうかなぁ、なんて思ったんです。だけど遺族が決めることなんで何も言わなかったんですけれども。でも安倍さん1人で良かったかな。それですごく気持ち良く引き受けたみたいで」
有「本当にお好きですもんね、石原慎太郎さんのこと」
見「そうなんですよ。その割に石原さんは安倍さんに連れないポーズを取ってました(笑)」
有「ポーズ(笑)そうですよね。そういうことがあって丁度1か月後ですから、何でこんなことになるんだろうって思いました」
見「ね。日本の最も重要な2人をあっという間に失った。6ヶ月の間に失った」
有「そうですね。見城さんというと、多分皆さんもある程度ご存知の方がいらっしゃると思うんですけども、今そちらに小川榮太郎さんの本がありますが、『約束の日』。この『約束の日』という、つまり第二次安倍政権、安倍さんが約6年間、総理を一旦1年で……」
見「2006年から2007年にかけて第一次政権があって、」
有「わずか1年で病気でお辞めになった。そこから5年数ヶ月ですかね、至福の時があって。そして逆転復活劇をする時に、見城さんがこの本でただならないバックアップをしたと」
見「バックアップというか分かんないですけど、これ、安倍さんは会うといつもこの話をしたんですけども。えっと、あれは2012年の7月だったと思うんですけど。まず麻生太郎さんの伝言が僕に来たんですよ。まだ自民党は野党ですよね。民主党政権なので」
有「野党ですね。で、安倍さんも総裁選に出るということは全然言ってなかった時ですね」
見「言ってなかった時です。結果的には9月26日が自民党の総裁選になったんですけれども、7月だったと記憶してます。麻生さんの伝言というのが来て、安倍さんが総裁選に出ようとしてると。あの2人はものすごい親しかったんで、肝胆相照らしていたので、麻生さんにはすぐ分かったと思うんですよね。それで、止めてくれと。俺も止めてんだと。もしもこれで安倍さんが総裁選に敗れたら彼の政治生命は終わると。そうさせる訳にはいかないと。石破か、もしくは推されて出てくる政治家が1位2位で、彼は3位以下になると。こんなことはさせられない、という風に伝言が届いたんです。まさか俺に相談なんか来ないよと思ってたんです。そしたら電話がきたんです、安倍さんから。それで幻冬舎に来るって言うんですよ。2012年のその時点で彼は単なる国会議員ですから」
有「野党議員ですね。元総理っていう」
見「そうです、元総理ってだけですよ」タクマ タクマタクマ 3【YouTube】見城徹×有本香
9:56〜13:45
見「で、用件は分かっていたので、麻生さんの伝言があったので。来られちゃったら僕はおやめになった方がいいと言えないと思って、いや国会の事務所に行きます、と」
有「見城さんの方から行くと」
見「行くという風に言ってかなり押し問答があり、僕が行くことになったんです。で、行きました。行ったらば、安倍さんが出てきました。で、突然応接のテーブルにトンと原稿が置かれたんですよ」
有「紙の束」
見「紙の束が。僕は全く名前の知らない方が書いた原稿ですよ、小川榮太郎という。この人誰だろう?何で原稿がここにあるんだろう?と思ったんですよ。そしたら、見城さんがこの本を出してくれるんだったらば僕は今度の総裁選に立ちます、って言うんですよ。それで僕はビックリするじゃないですか。ただ総裁選に出ようと思うんだけどっていうことを聞かされると思っていたから」
有「相談という感じで、どう思う?という感じで」
見「そうそう。どう思う?ってことだと思ったらば、そういうことだったんです。で、これが僕のどっかのおっちょこちょいというか、良く言えばギャンブラーなとこなんですけど、原稿が良いか悪いか、出すに値するかしないかっていうことを考える前に、この人の意志を実現してやりたいという気持ちにその場でなったんですよ。彼のオーラに押されて。というか彼の決意の強さに押されて。というのはかなり辛い4年5年を過ごしていたわけですよね。本当に不本意にも降りなければいけなくて。ということで、あまりにも色んなメディアの攻撃が凄くて体調も悪くなっていきっていう、ちょっと無惨な降り方だった」
有「そうですね」
見「そのことがバーっと頭に浮かび、出しましょうって答えてたんです(笑)」
有「中身を見るまでもなく」
見「出しましょうってことはお立ち下さいってことなんです。で、帰って読んだんです。そしたらそれは、安倍晋三と三島由紀夫と山口県出身である吉田松陰を同列に並べた文芸評論のような形を取った安倍晋三論だったんです。これはなんか珍しいなと。しかも小川榮太郎さんという方は文芸評論家であり、音楽評論家なんですよ。この人が政治家としての安倍晋三をこれほど文学的に描く。だから吉田松陰や三島由紀夫と同じように日本の将来を憂いている唯一の政治家だっていうような書き方なんですよ。だからこれはいいじゃないかと。で、これのタイトルを何にしようかと思ったんですよ。そしたら吉田松陰が安政の大獄に巻き込まれて処刑される、死刑になる、それが安政6年の10月の27日かな?ということは新暦に直すと11月21日なんですよ」タクマ タクマタクマ 4【YouTube】見城徹×有本香
13:46〜17:49
見「で、三島由紀夫が憲法改正を叫んで、『何で自衛隊諸君は自分を継子扱いする、自分たちを認めない日本国憲法にペコペコするんだ』と。『なぜ自衛隊はこのことに関して立たないんだ』という大演説をぶち上げるわけですよ。で、戦後の日本は虚偽だと、欺瞞だということを言って結局自衛隊員から野次がいっぱい飛んで、『そうか俺は4年待った、最後の半年は熱烈に待った、君達が立つのを。分かった。君達はそんな気はないんだな。憲法改正に立ち上がる気はないんだな』と言った。まぁ本当は三島由紀夫が死ぬ理由は大義名分としては憲法改正をあげたけど、天皇陛下万歳をあげたけど、実際には彼の中では虚無感でいっぱいだったんですね。生きてることと死んでることってのは同じだという境地に達していて、圧倒的努力で東大に入り、圧倒的努力で大蔵省に入り、圧倒的努力で肉体を作り上げ、圧倒的努力であれだけの名作を書いた。もうやることなかったんですね。もう生きてることも死んでることも同じだった。そういう三島由紀夫の人生観も全部あって、じゃあ自分は死ぬけども大義名分は何にするかって時に憲法改正っていうことで死ぬって決めたはずなんですね。僕に言わせればですよ。それが11月25日なんですよ。で、吉田松陰が……、一時期は同じ日だっていう、三島由紀夫がわざわざ吉田松陰が処刑された日を選んだっていう説もあったけど、これ調べていくと11月21日なんですよ、吉田松陰が処刑された日は新暦で。だからちょっと4日ほどの差があるんですけども。で、僕が考えたのはこれもしも総裁選で安倍晋三さんが勝って、解散に追い込んで、野田政権を。それでもしも自民党が勝って、国会で首班指名で総理になる。その1年の動きは11月25日が中心だなと思ったんです」
有「なるほど」
見「だから11月25日が、まぁ実際には彼が首班指名されたのは2012年の12月26日ですけど、まぁでも総選挙があったのが12月16日だし、それから9月26日には総裁選がその前にあったわけで、11月25日近辺というのがものすごい大事な日なんですよ。で、三島由紀夫が死んだ日でもある。同じ憲法改正をずっと言ってる安倍さん、それから石原さんも言ってましたけど、それから日本のために全てを捧げた吉田松陰が11月21日に処刑されたと、11月25日近辺を『約束の日』という風に僕は決めたんですよ。で、『約束の日』というタイトルを付けたんですね。で、これ正直言ってそんなに売れると思ってなかった。ただし総裁選が9月の26日にある、その前に自民党はプライベートな党ですから公職選挙法の規制を受けないわけですよ。いわゆる選挙に関して」
有「そうですね」タクマ タクマタクマ 5【YouTube】見城徹×有本香
17:50〜22:53
見「だから出来るだけのことをやってやろうと。で、いい作品だったので、吉田松陰、三島由紀夫、安倍晋三、この日本をどうするか、というコピーで全5段の広告を、もちろん朝日、読売、日経、毎日、産経にも出したし、日刊ゲンダイにも夕刊フジにも出したし、全地方紙にも出したし、それから日本農業新聞とか日本税理士新聞(?)にも出した。でもまぁ大方の予想の1位が石破茂さん、2位が石原伸晃さんという風に思われていたんですね」
有「でもあの時の広告の出稿量は凄かったですよね」
見「まぁでも出版社を作ったんだから、全部自分のリスクだから、これくらいはやろうと思ったんです。だって僕が出しますって言ってしまったんだから。そしたら選挙間近になって小川榮太郎さんと長谷川三千子さん、埼玉大学名誉教授、まぁ榮太郎さんの師匠ですよ。その前に民間人が安倍さんに総理になってもらいたい会っていうのが」
有「そうです。安倍さんを担ぐ会というのをね、あの時は三宅久之さんと金美齢さんと、あと何人か」
見「百田尚樹さんもいたと思う」
有「えぇ。ただ中心になったのは三宅さんと金さん」
見「それはまた安倍さんというのは、ずっと恩義に感じていた。それで、そういうのもあって、それに長谷川三千子さんも入っていて、まぁ榮太郎さんも確か入っていたと思うんだけど、確か僕の記憶では。百田さんは入ってました。すぎやまこういちさんも入っていました。で、だからそこに入ってる人たちに対しては信義を尽くすんですね。それで選挙が近づいてきて、その中心メンバーが来て、ここに来ました、この部屋に。このままではまだ危ないと」
有「勝てないと、総裁選に」
見「もう一回出してください、広告をと。えぇ?って」
有「それは小川さんと長谷川さんがですか?2人で」
見「そうです。他にも来ましたけど、広告をもう一回出してくれって言ったのはそのお2人です。それしか戦いようがないんですもん。ということで、またいくつか広告を出したんです。それでその途中で麻生太郎さんが『石原伸晃は明智光秀だ』発言などがあり、まぁだいぶこう風が吹いてきたんですね。でも多分石破、石原伸晃、安倍の順番から動かないだろう」
有「あの時は石石対決だろうと言われてましたからね」
見「そうですよね。で、当日になって地方票を安倍さんが87票か88票取ったんですよ。予想は20何票だった。それで2位に食い込んだわけですよ。石原伸晃さんを破って……破ってというか勝って。で、当然石破さんの票が過半数に達していなかったので、決選投票になった。決選投票になれば議員だけの投票ですから、これはもう安倍さんが有利だったんです。でも大逆転で安倍さんが勝つわけですよ。奇跡が起こったんです。で、総裁になって安倍さんからすぐ電話かかってきて、『ありがとうございました。やりました。』ということがあって、翌日に総裁室に来てくださいと、こんなこと喋っていいのかな。それで翌日の朝に総裁室に行ったんです」
有「朝一番ですか?」
見「朝一番でもないですね。11時とか」
有「自民党総裁選室にいらしたと」
見「行ったんです。そしたら、菅さんと安倍さんがいらしたんです」
有「えぇ!?」
見「政治家でまず安倍さんに乗ってた人がいなかったんです。それを安倍さんに勝てる、出てくださいってずっと言って出したのは菅さんなんです。だから菅さんがいて、それで僕は安倍さんと菅さんがいる総裁室に飛び込んで抱擁した」タクマ タクマタクマ 6【YouTube】見城徹×有本香
22:54〜27:30
有「菅さんとはその時……」
見「前から一度二度食事をしたことはありました」
有「それくらいは、えぇ」
見「でもその時は何だか仲間っていうか、同じ食事してる時は単に政治家と飯食ってるだけ。その時は仲間とあってるって気持ちにはなりましたけど。菅さんは孤立無縁の担ぎをやったんですよ、安倍さんの。その前に第一次政権で総務大臣にしてもらったわけじゃないですか。そういうことで菅さんはすごく恩義に感じている人で。だからあそこが菅さんと安倍さんの1番の連帯の時でした、僕から見たら。そこからは官房長官としてものすごくちゃんと助けるわけだけれども、アシストするわけだけれども、ちょっと関係がおかしくなったりした時もあったと僕には見えたけども、あの時の安倍さんと菅さんの連帯の絆は凄かったですね。それでなったわけですね。それで野田さんから解散しましょう、という言葉を引き出して党首討論で。それで何月何日解散という風になり、総選挙が12月16日くらい」
有「そうでしたね。中旬でしたね」
見「16日くらいだったと思うんですよ。それで自民党が圧勝して12月26日に首班指名を受けると」
有「あの数ヶ月は神がかってましたよね」
見「神がかってるよね、そうなんですよ。だから三島由紀夫の11月25日前後も神がかってるし、吉田松陰の処刑された11月25日前後も日本の歴史に大きな何かを残してるんですよ。というくらいに安倍晋三っていうのは日本の歴史に刻まれる人だと思うんですよ。ただこういう亡くなり方をするとは思わないので」
有「今の現代の日本でね」
見「だけどこういう風になってみるとですよ、結果論ですけど、吉田松陰、三島由紀夫、安倍晋三というのは同じ運命を辿ったんだなぁという風に、日本のことを本当にあんなに無私な精神の人いないですよ」
有「本当そうですね」
見「無私無欲ですよ」
有「本当に私心がない」
見「私心がないですよ。自分のために何かするってあんまりないですよ。まぁ人間関係ではあったかもしれないけれども、少なくとも金銭とか利権とか、そういうことで私利私欲ってのは無かった。無私の精神の人でした。ビックリするくらい無私の精神の人だった。それが3人ともこういう風に、非業の死と言ったら何だけど、そういう死を遂げていく、ってやっぱり歴史に残る人だったなぁという風に思います。それで僕は感動するのはどこへ行っても言ってくれるんですよ、安倍さんが。僕は見城さんのおかげで総理大臣になりました、って言ってくれるんですよ。だから、こっちとしてはそれほど貢献したとは思わないですよ。思わないけれども僕は僕で命がけでやったなぁと思いますけども、でもそう言ってくれる安倍さんに対してはやっぱりこっちもちゃんと答えたいといつも思います。だって有本の思い出から言っても、安倍さんってもう仁義の人でしょ?」
有「全くそうです。本当にあんなに義理堅い人ってのはちょっと多分見たことがないですね」
見「そうですよね」
有「それはそのよく言われた仲間とかお友達とかを単に重用したんじゃないかって、それは全く違っていて、ものすごい考えていますよね、常に。あの人が何をしてくれたか、あるいはあの人がどんなに頑張っているか、こういうことをものすごく見てましたね」
見「それで見ていてちゃんと、その人を起用するのに何か困難があってもその自分の信念を変えない、それから約束を守る。だからかなり強引にやることもあった。でもそれは全部日本のため、という彼の中で信念があった」タクマ タクマタクマ 7【YouTube】見城徹×有本香
27:31〜32:25
有「そうなんですよね。私実は先月の月刊hanadaに、私毎月コラム書いてるんですけども、そこに安倍さんのことを、騎虎の勢いという虎の話で、あの時は見城さんと一緒に食事していた時の話を書きました。見城さんの名前はそこに登場させてないんですが。実は2018年の総裁選の後、食事をしてて、いよいよ3期目ですね、みたいな雰囲気になって、その時同席してたある人が『麻生さんとの関係はどうなってるんですか?』と。つまり安倍さんと麻生さんとの間にちょっと隙間風が吹いてるんじゃないか、という非常に下衆な噂が当時あったわけなんですよ。それはどうなんですか?と聞いたら、『麻生さんと自分というのは盟友なんてもんじゃなくて、運命共同体だから、麻生さんが自分を裏切ることは絶対にない』と言ったんですよ」
見「それは僕は外から見ていて本当にそう思いました。ただ財務省、財務大臣で、アベノミクスっていうのは」
有「対財務省ですからね」
見「そうなんですよ。というのはあったけれども、麻生さんと安倍さんは鉄板でした」
有「そうですよね。だから麻生さんが自分の寝首を掻くことは絶対にないんだと。ただ自分がもし病気とか何かで弱くなってきたと見えた時には、政治家ってのはみんな肉食だから、取って代わる動きは出てくるよね、という風に言ったんですよ。その時に蒋介石が『権力は虎だ』って言ったことがあると。それはどういうことかっていうと、虎ってのは乗ってると振り落とされたらその瞬間食われちゃうんで振り落とされないようにしなきゃいけないというように必死にしがみつくでしょ、これが権力だ、という意味で蒋介石は言ったんだよね、という話をされた。これは随所に出てくる騎虎の勢いということを引いて蒋介石は言ったんですね。それで安倍さんに『私は権力ってあんまり分からないんだけども、安倍総理はそう思われますか?』と聞いたら、んー?って言って、『あれは言い得て妙だなとは思うよ。ただ、要するに仮に自分が振り落とされそう、アイツもう虎に乗ってられないなと周りに見られた瞬間、自分に取って代わって虎に乗ろうとする人間があちこちから出てくる。そういう感じはする、今の自民党でも』っていう風には言いましたね」
見「で、俺の会食ってのは、どこに、何で出てくるの?」
有「見城さんの名前は原稿にはあえて書かなかったんですよ。あの時にご飯を食べて、そういう話をした。私はずっとあの話をなぜか知らないけど思い出していて、安倍晋三というのは虎に乗っていた人というよりも彼自身が護国の虎だっただろう、と。国のことを常に考える。で、その虎がずっと日本を思って疾走して、そしてみんなの前から去って行ったと。だから虎って要するに、虎は死して皮を残すと言いますけれど、安倍晋三が残した皮っていうのは、それこそ吉田松陰の大和魂だろうと」
見「大和魂ね」
有「まだあの時の言い方っていうのは権力の話をしてるんですけど、権力者である安倍さんがものすごく他人事みたいに話してた」
見「だから君はあの『留め置かまし大和魂』のことを書いてたんだ、君が。吉田松陰の辞世を」
有「そうです、それです」
見「なんだっけ。『身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂』」
有「あの時の話ってのは見城さんと一緒に食事をしてた時なんですよ。見城さんと安倍さんともう1人の人と私と4人で」
見「4人で飯を食ってる時に」
有「そういう話をしたんです」
見「あれ、俺まったく覚えてない」
有「虎って言うのはね、って安倍さんが言って、虎に乗ってると振り落とされちゃうでしょう、という話になった時に私が『それ騎虎の勢いですか?』と聞いたら、そうそうそれそれ、みたいな。だからものすごい教養があるんですよ」
見「ものすごく教養がありますよ」
有「だからそういうこう喋ってると必ず、漢籍の話が出てきたり」
見「小説を読んでたり、中国の書をちゃんと読んでたり、映画を見てたり、すごいするんです」
有「だから普通政治家ってそういう話できない人が多いんですよ。普通っていうか今の政治家はそういう話ができない人だらけなんですけど、安倍さんは例外的に非常にその種の教養に広かった」タクマ タクマタクマ 8【YouTube】見城徹×有本香
32:26〜
見「そうだね、あんな教養人はなかなかいなかったよね」
有「だからその時の騎虎の勢いという言葉」
見「俺まったく、俺もいたんでしょ?その時」
有「いましたいました」
見「全く覚えてない、あぁそうですか」
有「見城さん多分他のことを結構考えてらしたと思いますよ。ただその時も麻生さんのことは盟友以上なんだと、はっきり仰ってました」
見「それは僕もいつも、麻生さんといても、安倍さんといても、その2人の強い強い関係はいつも感じますよね。相手のことの方を自分のことより考えてる、お互いに」
有「だから最初に7月の時点で麻生さんが安倍さんを止めようとした、これも安倍さんに対する一種の愛情なんですね」
見「愛情なんですよ」
有「これでもし政治生命が終わることになったら大変だということですよね。あの時はご家族も反対してたくらいですから」
見「だから反対はしたけども、安倍さんが出るってことを決めちゃったら、もうとんでもない勢いで麻生さんは応援したんですよ。それともう一方で菅さんがものすごい勢いで担いだわけですよ。だから麻生さんと安倍さんの関係と、安倍さんと菅さんの関係はちょっと質が違う。でも菅さん、安倍さんも機能的にはすごく上手くいってる」
有「本当に信頼してらっしゃいましたもんね」
見「だからちょっとあれの時、コロナの最初の時。30万円条件付き寄付。それは財務省、麻生太郎、安倍晋三、岸田さん、それから今井補佐官が決めた30万円条件付き給付をひっくり返したわけですよね。閣議決定までしたのにそれをひっくり返したのは僕から見てたら、菅さんと二階さんとそれから公明党の佐藤副会長ですよ。で、ここら辺からちょっと隙間風が吹くんですよ。だけどずっと安倍さんが言ってたのは、自分は菅さんにものすごい感謝してる、あの人ね悪口言わない人。菅さんにものすごく感謝してると言いながら、コロナとかオリンピックは菅官房長官をちょっと外した。だから相当あそこら辺は2人の間に距離ができていた」
有「私たちはあの時にこそむしろ菅さんとガッチリやられるべきじゃなかったかなという気は……。つまり実務家なのでね、そんな感じはしてましたね。なぜ今菅さんと距離ができるんだろう?という風にむしろ思っていたんです」
見「僕も思った。それをアンダーズっていうホテルのタヴァン」
有「タヴァン、上の、51階の」
見「で、安倍さん、麻生さん、菅さん、甘利さんで4人で飯を食ってからまた元に戻っていくわけです」
有「へぇ」
見「あれは意図的に食べたんですよね。いわゆる仲直りの、そういう席だった」
有「別に喧嘩してた訳でもないんでしょうけどね、なんか距離ができちゃったんですよね」
見「喧嘩はしてないですよ」