さらさちこさらさちこ ボクは今日 ふたのついた ビンの中で泳ぐ
トークルーム
トーク情報- トークが開始されました
- さらさちこ
さらさちこ 『ラーゲリより愛を込めて』
辺見じゅんさん原作、『収容所から来た遺書』の映画化。
映画では「希望」とあったが、「憧憬」と思う。それは、V.E.フランクルも書いている通り。私も虚無の世界に引き込まれそうになった時、ふと見上げた夜空に満天の星が輝いていた。見惚れて我を忘れた。己の漆黒に飲まれていたら今はない。映画にもフランクルにも通じる事と沁々思う。
人の思いは尊い。だから、広がりを見せ、信念のように伝わってゆくのだろう。
遺書を伝えた4人は、自分の中の山本を見出だした。神は雛形のように人に宿っていると読んだ事があるが、その善性は正に山本だった。
それてしまうが、私は別れの際には、必ず笑顔でいる。泣くと相手が引き摺るからだ。
私が奥さん役なら、訃報を知った時、庭にのたうち回り土を口に頬張り、嘘つきと号泣しただろう。
本当は、もっと過酷だったに違いないのだ。
若い子が殆どでほぼ満席で、啜り泣きが聞こえた。
ああ、しかし、心がぐちゃぐちゃになり、感想にならない。 - さらさちこ
さらさちこ 5回も見た相撲のドラマ
「サンクチュアリ 聖域」
稽古から撮影まで2年半。
主演一ノ瀬さんの身体の変化には目を見張る。
最初のシーンのテレビ放送や、壁の張り紙(特に猿谷と親方が病院に居るシーン)まで、伏線が引いてある。
ここに、4人の母が出て来る。この対比が興味深い。猿桜と静内の実母、あと二人は相撲部屋の女将さん。
猿桜と静内は、親が借金まみれで生活が困窮している点で境遇が似ているが、静内の母は弟と命を断ってしまうのだ。以来幸せな子供相撲を心の支えに生きる静内。一方、猿桜の母は、醜態晒しても何をやってでも生きて抜く。嫌悪感さえ抱くが、相撲をやめようとする猿桜を、体を張って張り倒した時に神々しささえ感じる不思議な役どころだ。直後の猿桜の慟哭は、力士猿桜の誕生であり産声でもある。昔教科書で習った I was born、まさに生まれさせられたのだ。
そこからのトレーニング、次第に心も身体も整い、礼節が身につく。そうして聖域に辿り着く。
入門当初は練習が、いじめのようなしごきに見えたが、生まれ変わってからは鍛錬にしか見えなくなる。
途中の猿谷の断髪式は、涙なしでは決して見れないし、「バカヤロー、おまえはこれからも、自慢の息子だ」という親方の言葉と、奥で見守る女将さんの着物に落ちる涙に涙腺崩壊する。
最後は、実生活でも、待ったなしの猿桜と静内の土俵シーン。仲間の有無や母の在り方の違いが、勝負にどう出るか、続きが見たくなる。
相撲好きには堪らない作品だ。