テリーニトウテリーニトウ 由美と出会った二十五年前への旅を二人でやり遂げ、戻ってきた矢先に由美は再び今度は一人で旅立ってしまった。
取り残されてしまった寂しさをかみしめ、私は何度も由美のうれしそうな表情と声を思い出そうとした。
日記を開くと、由美が立ち現れてくるように思われた。
私の中に住んでいるあなたといつまでもお話がしていたいの。
お別れしたくないの。
俊治さんと高校のときフォークダンスで手をつないだときの手の柔らかな感触を今、突然思い出しました。
そのときの感触をこころにしまっておいて、さびしいとき思い出しています。
もう会えなくなってしまうかもしれないけど、私はやさしいあなたに包まれていつも眠りにつきます。
ありがとう、俊治さん。
日記は、最後まで丁寧な字で力強く書かれていた。何度も読み返していると夜中の二時をまわっていた。
窓には、みぞれ交じりの雨があたり、ひときわ寒さと悲しさが身にしみた。ため息をつき、由美の笑顔を胸の底から呼び出すように脳裏に浮かべた。
「会いたいな」とつぶやくと、気が抜けて机に伏したまま眠ってしまった。
みぞれは明け方止んだようで、朝の光がさしてきて目が覚めた。二十五年前に閉ざされた扉は、桜の季節に一瞬開き、時とともに再び閉じようとしていた。
しかし、そこから蘇った愛する人の魂は私の中に住み着き肉体は消えてしまったが、私が生きているかぎり私のなかで生き続けていることを確信したひとときであった。
ベランダへ出ると雲ひとつない青空が広がっていた。階下では中学生の娘の「行って来まーす」という声が聞こえ、妻の娘をやさしく包むような声が聞こえた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
妻と由美が私のなかで解け合って、私は大いなる女という性の大河に呑まれていくように思えた。
由美を忘れることはないし、妻に伝えることはない。由美の夫と私だけが守っていく秘密だった。
私は階段を下り食卓で妻に「おはよう」と言う。
「おはようございます。ゆっくり休めましたか?」
妻からの言葉に「ああ」と応えた。何げない会話を交わすと、意識が薄れた。行き先もわからず深い森に迷い込む。
人生半ばにして、出口がなく足場も不確かなまま時の迷路を限りなく歩み続ける。目の前の妻の顔が遠く見えないほどに小さくなっていく。
そして、由美の声が聞こえてくる。ふと、由美のもう一つの顔が妻で、妻のもう一つの顔が由美である感覚に襲われた。
私が滲み出てきた隘路がはかなく痙攣すると、もう一つの隘路を求め私は突き進む。奔流が溢れ、込み上げる愛しさに促されて由美の名前を呼ぶ。
そして、愛する魂に肉体がないことを知る。また、私自身にも肉体がないことを思い知る瞬間が来る。夢か現か分からぬまま、まどろみの中、幾千万年かかってできた木の実の種でできた幻の山を滑っていた。
「どうしたの」
妻の声で目が覚めた。食卓で妻に「おはよう」と言ったあと、またまどろんだようだった。遠くで、ふたたび由美が私を呼ぶ声がした。
「いいのよ。あなたはあなたのままで、そのままでいて、ひとときでも私を愛してくれたこと忘れないわ。いつかきっとまたあなたに強く抱き締めてもらうわ。私たちは生きているのか、死んでいるのかさえ分からないところにいるのよ。それが愛の場所よね。そのこ
とをあなたは教えてくれた。」
テリーニトウのトーク
トーク情報テリーニトウ テリーニトウ テリーニトウテリーニトウ 「由美の声が遠ざかり、外から雑踏が聞こえてくる。私は、その日は仕事場には行かず、近くの小石川植物公園に行くことにした。
家を出て歩きだすと十分で公園に着いた。二月の寒い日であったが、木製のベンチに座り陽を浴びると穏やかな気分になった。何も考えないようにすると四十年前の幼い頃の記憶があふれ出してきた。
小川でタニシを幾つか取り、空き缶に入れ家に持ち帰った。数週間後に異臭に気づき見るとすべて死んでいた。
庭先では自分の一〇倍以上もある蝶々の死骸を一匹のアリが運んでいる。一升瓶に土を込めアリを二〇匹ほど入れ、少しずつ出来てくるアリの巣をじっと観察している私がいた。
記憶をひとつずつつなぎあわせて行くと、自分と過去の出来事との境目が消えていった。
二十五年前の由美と半年前の由美の像が重なり、遠ざかり近づきして、揺れて目の前に立ち現れた。昨日のことのように鮮やかに由美の声が聞こえた。由美の声の中心に重力があるように引き寄せられていくようだった。
宇宙にぽっかり空いた穴にすべてのものが還っていき、そこで再び孵るように思えた。
「あなたの中よ。そして、私の中ね。」
京都で抱き合って眠ったときの由美の声だった。
「どこへも行かないで。どこにいたって会えるわね。」
深い闇の中で由美の涙を拭ってやった。
「夢で出来てるんだ、みんな、由美の中にいた僕が目を覚まし、僕の中にいた由美も目を覚ましたんだ。」
「ずっと泣き続けていたのよ私。あなたに会えたうれしさと会えなくなりそうな切なさとがいっぱいになって。」
ベンチで目を閉じた後ぼんやりとして意識の底から突き上げてくる声とイメージに身を任せ切っていた。心地よいひとときであったが、目に涙がにじんでいた。
小石川植物公園の真ん中に江戸時代からある樟の大木の林を抜け日本庭園に出ると、学童前の子どもたちが芝生で歓声を上げて走り回わっていた。
近くで優しく、ゆったりと子どもを見守る母親の姿に私の知らない三十代の由美の姿を見て、胸が詰まった。
公園を出、なだらかな坂道を下る。
春になれば満開になる桜並木を歩く。記憶のなかに畳みこまれた二十五年前の由美の姿が蘇り、動きだし、二人で歩いた。桜の花びらが舞う季節に再会し、季節がめぐり、渡れぬ橋の向こうに帰って行った由美。
何度も由美の日記を読み返すと、対岸に由美がいて、ずっと手を振っているようだ。ときに悲しげに、それでいてはにかんだ笑顔が淡い光を放っている。夢で見た遠くで光る窓は由美の光を映していたんだと初めて感じた。
二人の子どもを育て、私はお母さんを卒業というときに俊治さんに再会しました。
女であることを自然に受け入れ、父の勧めで結婚をし、幸せな結婚生活をしてきました。でも、四十歳を過ぎる頃から体調がすぐれず、坂道を下っているような感じでした。
重力が私にだけひどくかかっている感じです。
そうして、私の人生ってなんだったのかという思いでいっぱいでした。
まるで風に運ばれてきたような感じだったです。
そんなとき同窓会がありました。
一つの意志を持ち生きていた頃の私に再会できた思いでいっぱいでした。
その頃の私を大切に心の中にしまって生きていた人と出会えたことに感激しました。心が動きました。
また、体のなかでも込み上げてくるものがありました。
夫と子どものことでいつもいっぱいになって見えなくなっていた私の花が開くような思いがしました。
私が私を取り戻す最後の時かもしれないと思いました。
俊治さんは決して、自分の方に私をひっぱって行くのではなく、私の思いや気持ちをゆっくりと引き出していってくれました。
今の私を最大限大切にしてくれる人でした。
同時に、私も俊治さんを最大限大切にしようと思いました。
病気が見つかり、治ることがないという予感がありましたが、いつも私のなかに俊治さんがいましたから、不安はありませんでした。
衰弱が激しく、体は辛いのですが、こころは青空です。
突き抜ける感覚です。
川の向こうにあなたの姿が見えます、私がこちら側で動くとあなたも一緒に動いてくれます。
あなたが別れるときに言ってくれた言葉をいつもかみしめています。
「僕の心の中にずっと由美は生きていたし、僕が生きているかぎり生きているよ。」
なにか自分の心のなかに還って行くような感じです。
この日記は封印をして、私が消えたら、あなたに届くとうれしいな。
桜並木を登り切ったところで視野が開け、新宿の高層建築のビル群が一望できた。
見上げると雲ひとつないコバルトブルーの天空が果てしなく広がっていた。」(了)
20260621- テリーニトウ
テリーニトウ 中上氏の読書会で取り上げられた作品・作家は、『エミリーに薔薇を』(ウイリアム・フォークナー)、『エレンディラ』(ガルシア=マルケス)、『長雨』(尹興吉)、『女殺油地獄』(近松門左衛門)、『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット)、『田園の憂鬱』(佐藤春夫)、『水府』(津島祐子)、『なぎの葉考』(野口冨士男)、『いさなとり』(幸田露伴)。
ふと『長雨』の読書会の記憶が蘇る。ベケットの会でヴィトゲンシュタインで読み解いたら、「おまえ、評論書け」と言われた。熊野大学では「おまえ、候補部長やれ」と言われた。ムスタングに乗せていただき、暴走族とアユ突きに行ったときのことも蘇ってきた。火祭りにもともに登った。中上さんの声が遠くから深く聞こえてくる。
佐藤春夫の回では、「この詩読め」と言われた。
感傷風景
あなたとわたしとは向ひあつて腰をかけ、
あなたはまぶしげに西の方の山をのぞみ、
わたしはうつとりと東の方の海をうかがひ、
然しふたりはにこにこして同じ思ひを樂しむ。
とありし日のとある家の明あかるいバルコン。
何も知らない家の主人にはよき風景をほめ、
ふたりはちらちらとお互たがひの目のなかを樂しむ。
戀人こいびとの目よそれはまあ何といふ美しい宇宙だらう。
全くあなたのその目ほどの眺めも花もどこにあらう……
おお、思ひ出すまい。ふたりは庭のコスモスより弱く、
幸福は卓上につと消えた鳥かげよりも淡あはく儚はかなく、
歎なげきは永く心に建てられた。あの新築の山荘さんさうのやうに。 - テリーニトウ
テリーニトウ タイムマシンで未来へ来てしまったようだ。
未来へ来たら居た人たちが居なくなってしまっているのに驚いた。
日本で100名に選ばれるほど人たちがみな居なくなってしまってる。この20年は私にとって喪失の歳月だ。みな本をいっぱい出した人たち。写真集や絵本や論文や小説やエッセイを。撮ったり、書いたり、描いたりしたその張本人が居ないのが心の底から寂しい。
タイムマシンは、未来に行けるが過去には戻れない。それが辛い。
https://youtu.be/I0z76n3t-VY?si=0N-KssEm2Gt76A2Y - テリーニトウ
テリーニトウ 中上氏の読書会で取り上げられた作品・作家は、『エミリーに薔薇を』(ウイリアム・フォークナー)、『エレンディラ』(ガルシア=マルケス)、『長雨』(尹興吉)、『女殺油地獄』(近松門左衛門)、『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット)、『田園の憂鬱』(佐藤春夫)、『水府』(津島祐子)、『なぎの葉考』(野口冨士男)、『いさなとり』(幸田露伴)。
ふと『長雨』の読書会の記憶が蘇る。ベケットの会でヴィトゲンシュタインで読み解いたら、「おまえ、評論書け」と言われた。熊野大学では「おまえ、東京の広報部長やれ」と言われた。ムスタングに乗せていただき、暴走族とアユ突きに行ったときのことも蘇ってきた。火祭りにもともに登った。中上さんの声が遠くから深く聞こえてくる。
佐藤春夫の回では、「この詩読め」と言われた。
感傷風景
あなたとわたしとは向ひあつて腰をかけ、
あなたはまぶしげに西の方の山をのぞみ、
わたしはうつとりと東の方の海をうかがひ、
然しふたりはにこにこして同じ思ひを樂しむ。
とありし日のとある家の明あかるいバルコン。
何も知らない家の主人にはよき風景をほめ、
ふたりはちらちらとお互たがひの目のなかを樂しむ。
戀人こいびとの目よそれはまあ何といふ美しい宇宙だらう。
全くあなたのその目ほどの眺めも花もどこにあらう……
おお、思ひ出すまい。ふたりは庭のコスモスより弱く、
幸福は卓上につと消えた鳥かげよりも淡あはく儚はかなく、
歎なげきは永く心に建てられた。あの新築の山荘さんさうのやうに。