上田下男
トーク情報- 上田下男
上田下男 まず、小室さんの音楽の本質は「みんな一緒に踊ろうよ!」だと思うんです。
なのでキレは大事ですが、欅のような感じでバキバキに決めると小室さんの世界観からは離れてしまうと思うんですよね。
近年の例で言うなら音楽のジャンルは違いますが、三代目のランニングマンや星野源さんの恋ダンス、DA PUMPのUSAのいいねダンスが流行りましたよね?
あれの楽しさや観客との一体感に近い感じです。
先日のパフォーマンスはキレとか以前に自分達が楽しんでない印象を受けました。
歴代の小室ファミリーは、質の高いパフォーマンスでかっこよさを出しつつ、観客に高揚感を与えてこそ。
キレを出してかっこよく決めつつも、もっと笑顔で踊った方がいい気がしました。
とにかく、こないだのMステにはメンバーから余裕が感じられなかった。
小室哲哉の音楽はダンスミュージックなんです。
欅や乃木坂にもダンスが活きる曲はありますが、いずれもダンスミュージックではないんですよね。
その本質を更に掘り下げると、小室さんの音楽にある楽しさとはバブル期直後のディスコです。
彼の音楽はこの時代を反映させてるんですよね。
こうした中で、小室哲哉という1つのジャンルを確立しました。
故に、小室さんの楽曲は歌い手の色に染めちゃダメなんです。
歌い手が小室さんの色に染まらなければなりません。
そもそも小室さんは作曲家というよりはプロデューサーでした。
もちろんプロデューサーには様々なタイプがいますが、小室さんは基本的に自身の音楽性に合うアーティストとがっつり向き合いながら自分の色に染めていった方で、歴代の小室ファミリーはその小室ワールドを見事に理解して表現したからこそ支持されたのです。
今回のRoute 246は彼のその音楽性が見事に出てる楽曲。
小室哲哉の真骨頂で、その時代の小室さんの音楽そのものです。
ですから、この曲は小室哲哉の世界観をどれだけ表現出来るか?が合格ポイントだと思います。
それが欅とは違うと思った要因でもあるんですが。
そしてその音楽の本質を世代ではない人間が理解するには、熱意や振り確以前に、まずは歴代の小室曲のせめてヒット曲だけでも片っ端から聴き、小室さんは何をリスナーに伝えようとしたのか?何故、小室曲はヒットしたのか?を1人1人が学び考えた上で、今回の楽曲と向き合わなければこの楽曲の世界観は理解出来ないと思うんです。
ANNで4期が歴代の小室曲に対しポカーンとしてましたが、小室曲をガチでパフォーマンスするならその時点で表現者としてはアウトですよ。
仮にMステでキレのあるパフォーマンスをしたとしても、歴代の小室曲を知らない時点でプロとしてダメです。
だって、歴代の小室曲すら知らない人がRoute 246をちゃんとパフォーマンスできる訳ありませんから。笑
こうして楽曲の本質を理解した上で、熱意を新たにし振り付けにも没頭する。
後、ボイトレも必要ですね。
歌唱力というより、今の歌い方じゃ小室曲の世界観は出せません。 - 上田下男
上田下男 ヒット曲にはヒットした理由が必ずあります。
そして、その多くはその時代だからヒットしたという事実も否めません。
彼の全盛期はもはや20年以上前。
世代が違っても魂を込めろではなく、世代が違うこと自体に重みを感じなければならないと思うんですよ。
メンバーだけでなく運営、そしてファンも。
どんな楽曲でも魂は込めるべきです。
ただ、曲の世界観や本質を理解してなければ仮に熱意や魂を込めたところで意味がないと私は思います。
どれだけ魂を込めてキレのあるパフォーマンスをしても、楽曲の世界観を表現できなければプロとして仕事をしたとは言えませんから。
熱意や姿勢に対して「世代が違うから」はプロとして通用しないかもしれません。
ですが、楽曲の世界観や本質を理解することにおいて「世代が違う」は努力や姿勢だけでは補えないのではないでしょうか?
時間がなかったは基本的には言い訳です。
プロである以上、結果が全てです。
ただ、その上で私はカフェテリアさんのコメ欄で時間が足りなかったことへの指摘をしました。
それは振りを揃えたり一体感を出してかっこよく決めるまでの時間不足ではなく、小室哲哉の音楽の本質を理解するまでの時間が足りたいと思ったからです。
既存曲の一体感はレッスン量や熱意ももちろんですが、メンバーが楽曲の世界観を理解していたからというのもあると思います。
ですから、小室哲哉から楽曲を提供してもらったからには時間をかけるべきなのに、それをせずに小室さんの世界観を表現できると運営やメンバーが思っていたなら、その思想こそがプロとしての熱意や意識に欠けてるのでは?と。
小室さんの音楽は若い世代が短時間で表現できるほど浅いものではありません。
とは言え、コロナ渦で配信したわけですし、今でなければならない理由があったのでしょう。
熱意や姿勢は大事ですが、今回のパフォーマンスに関しては、それだけの問題ではない気がしました。 - 上田下男
上田下男 かつては、多くの歌手が裏方の作家から楽曲提供を受けていた。
故に、70〜80年代あたりは都倉俊一氏や筒美京平氏、馬飼野康二氏など現代に歌い継がれている名曲を大量生産した名作曲家が多数いる。
90年代でいうと、AKBなど秋元先生とも親交のある織田哲郎氏もそのひとりだ。
だが、DTMなどの進化により、2000年以降、以前よりもシンガーソングライターが増えた。
それにより、裏方の職業作家は必然的にグループものへの提供が増えた。
こうした時代の変化により、以前よりも自己プロデュース力が求められるようになったと思う。
もちろん、レコード会社や所属事務所の意向はあるだろう。
だが、昔より表舞台に立つ歌手自身がやりたいことを発信している感がある。
金爆が多くのメディアに出続けられているのも、彼らがやりたいこと、楽しんでもらえると必死に考え抜いたことを全力で真面目にふざけてやってきたからではないだろうか?
そんなセルフプロデュース力満載の彼らのパフォーマンスはまさしくエンターテイメントである。
もっと言えば、YouTuberとして有名になる一般人がいたり、Tik Tokをきっかけに瑛人やYOASOBIがブレイクしたことからしても、今やきっかけさえあれば誰にでもチャンスがある時代だ。
個人的には、前途した裏方の作家が作る楽曲が好き。
最近でもいい作家はたくさんいる。
だから、裏方の作家やプロデューサーが不要とは全く思っていない。
しかし、裏方のプロデューサーや運営が決めたことを表舞台に立つ歌手がパフォーマンスするというAKBや坂道のやり方は、もはやそれ自体が時代遅れな気がする。
もちろん、48グループのある意味見切り発車な企画力は素晴らしいエンターテイメントだ。
ただ、AKB以降続いたアイドルブームが終焉した背景には、こういった時代錯誤も否めないのではないだろうか?
これからの時代は特に、表舞台に立つ演者がやりたいことをやれる環境、そしてそれを考えられる力がないと生き残れないと思う。
今後は、大人が考え用意したものを演者がやる時代ではない。
まぁ、これを逆手に取った炎上商法はありかもしれないが。笑 - 上田下男
上田下男 日向坂に続き乃木坂でもオンライントーク会の実施が発表された。
今回振替えない人はオフラインでの握手会が再開された時にそこでも振替対応をしてくれるようだが、卒業する中田花奈は今回のみ。
そこまではいいが、振替の部数が足りず振替られなかった人が続出しているようだ。
これは問題ではないか?
もちろんすべての人が振り替えられるよう対応すべき。
ただ今後対応したとしてもこれは運営の落ち度だと思う。
今回で全て振替を行なってくださいと公言している以上、元々の購入枚数分は用意しておくのが筋だ。
今回の振替は個別握手会だから、運営があらかじめ券を持っている人の数を把握することができたはずだから。
あと、全握の振替は確かに難しいとは思うが、まいやんとの最後に話せる機会は設けるべきです。
とりあえず、かなりんの件は運営の甘さが出ているし、今後の対応次第で印象は変わるとは思うが、ちょっと不誠実だと感じる。
運営のこういった意識的な部分がメンバーのパフォーマンスの劣化につながるのではないだろうか? - 上田下男
上田下男 こういう言い方をすると、メンバーのパフォーマンスに対して運営批判をするのはお門違いだと思われる方も中にはいらっしゃるだろう。
しかし、メンバーと運営は二つで一つのチームだと思う。
メンバー、運営が一丸となっていいものを作ろうとしていくべきだ。
というか、それがエンターテイナーの在り方だと私は解釈している。
だから逆に運営がとても意識が高いのに、メンバーにそれが伝わらないということは基本的にはないと思っている。
例えば、人気重視の選抜基準。
これがそれを物語っているのではないか?
運営がこういった戦略なのに、メンバーのパフォーマンスに対する意識が高まるわけないよ。
まぁ、自分は運営のそのやり方を全否定する気もない。
ただ、こういった運営の姿勢や戦略がメンバーのパフォーマンスに影響する一因ではあると思う。
大泉洋さんがこう言っていた。
演者が芝居をするという役割があるように観客もその舞台を見るという役割がある、と。(正確な文章ではないが)
非常に素晴らしい言葉だと思った。
エンターテインメントは、届ける側と見る側(ファン)が同じ速度で同じ景色を見るからこそ成立するものだとつくづく思っている。
運営、演者、ファン全てが同じ方向を向いてなければエンタメは成り立たない。
だからこそ、メンバーの熱意が感じられないのは運営に全く責任がないわけではないんだと思っている。
故に、ファンも然り。
一方、乃木坂はどうだろう。
確かに、メンバーはメンバーでグループを愛しファンに感謝してると思うし、ファンもファンで乃木坂を愛しメンバーに感謝してるように思う。
なのに、どこかお互い一方的だな‥と感じる瞬間がある。
まるで、思い合っているのにすれ違ってしまう恋人みたいな。笑
見返りを求めなさ過ぎてるのかもしれない。
前途した「観客は観客でステージを観る役割がある」という大泉洋さんの言葉は、演者は演者で楽しく演じるし、観客は観客自身が楽しむために観劇することで成立するものだという解釈が出来る。
つまり、観客は愛を贈る役割だけでなく、愛を受け取る役割があるということだ。
それが、本当の意味での同じ景色を同じ速度で見る、だと私は思う。
それに対し、今の乃木坂はお互いボールを投げ合ってるだけでキャッチボールをしていないという印象。
それはもはや、同じ速度同じ景色ではないよね。 - 上田下男
上田下男 私が酷評したRoute246のパフォーマンス。
パフォーマンスに対する酷評は少数派かもしれないが、歌詞に対する酷評はよく目にする。
歌詞がひどい、歌詞が薄っぺらい。
正直、全く否定はしない。
しかし、同時にこの歌詞で正解だと思っている。
小室哲哉の楽曲は、歌詞にめちゃくちゃ深い意味を持たせてしまうとサウンドとのバランスが崩れてしまう。
実際、小室さん自身が書く歌詞もいい意味で軽快だ。
小室さんのメロディーに中身の濃すぎる歌詞を充ててしまうと、小室メロディーを活かせなくなってしまう。
故に、小室メロディーに別の方が歌詞を書く時は、いい意味での手抜き感がある。
だから、この歌詞は大正解である。
以上のことから、歌詞に中身がないという意見を全否定はしない。
ただ、邦楽はどれだけ歌詞だけで成立するくらいの素晴らしい内容でも、音と合ってなければ楽曲としては失敗だ。
ここまで言っておいてあれだが、歌詞自体ももちろん意味がないわけではない。
むしろ、乃木坂らしい普遍性がある。
何と言っても、歌詞の世界に年齢性別の限定的な表現が存在しない。
故に、それこそ小室世代のおっさんなんかが歌っても違和感ないのではないだろうか?
それを踏まえて思う。
この曲をTM NETWORKで演奏してほしい。
宇都宮さんに歌ってほしい。
この曲は、若い女の子達よりおっさんが歌った方が響くかもしれない。
Route246は、パフォーマンス以前に彼女たちにはまだ早すぎたのかもしれない。