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  • たね
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    失礼、過程を飛ばす事は屡やってしまうことなのです。これに関しては直そうと努力しております。 老化を大局的なものと局所的なもので捉えてるという意味合いで複数ではあるが、その二つが合わさったものではない(つまり複合ではない)という様に私は捉えたのですが、間違っていましたか?

    あ、いいえ^ ^

    ええと、あなたの解釈は逆ですね。
    「部分」が老化した結果、「部分」の集まったものである「全体」が老化します。
    ややこしいのですが、その逆もあり得ます。

    例えるなら、「肌」が老化した結果、「その人自身」が老化します。
    また、「その人自身」が老化した結果、「肌」も老化します。

  • たね
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    たね
    想いを伝えるくらいはいいのかなと思ったりもしますが、それで相手の負担にならないかなとも思ったり。 あたしは今まで、好きだと思った人には告白をしてきたし、その人とも少し通じ合った時もあったのですが。 気持ちを伝えられていない今は、毎日苦しくてすっきりしません。 どーなんでしょうね(笑)

    たねさんー!!
    伝えちゃえ!

    相手の負担になったっていいじゃないですか^ ^
    みんな、どこかで誰かに負担かけて生きていますから!!

  • たね
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    削除されたユーザー
    好きになった男性にはふられるのに、そうでもない男性に好かれるのはなぜですか?(๑• . •๑)?

    この世に発生する恋のほとんどは、一方通行なのだと私は思います。
    ですから、確率的にはmihoさんのおっしゃることばかりが起きます。

    なんて返事では意味ありませんね。
    人間、好きな相手には挙動不審になったり必要以上に飾ったりしてしまうので、魅力的にうつらないことが多いのです。だからではないかと思いますよ^ ^

  • たね
    見城徹見城徹
    あま
    おはようございます。昨日のセブン&アイ鈴木会長の退任の言葉、「不徳のいたすところだ」と語った姿が、見城さんとダブりました。それを、思うだけでなく、公の場で語れると云うのが、結果を出せる人の共通点だと思いました。私自身、日々の行動を省みた際、至らぬ点を素直にそのように感じられるかというと、まだまだなところがあり、自分のことは棚にあげ、つい相手に怒りが向いたり、つくづく未熟な人間だと落ち込みます。

    このやじコメの趣旨と違った返信をしたので、もう一度書かせて頂きます。
    グループの最高権力者が意図した子会社の人事が取締役会で否決されたのですから、「不徳の致すところ」ですよね。記者会見して、それを言い、自らの引退も言明したのですから、潔かったと思います。
    改めて、プライドの高い方だなあと思いました。起こってしまった不本意なことに対してて自分の心の中で「不徳の致すところ」「身から出た錆」と言い聞かせるしかないと僕は思って来ましたが、記者会見でそれを言うこととは意味が違うと僕は感じます。僕は言えないし、言いません。大先輩と比較するのは畏れ多いことですが、僕は心の中にしまっておきます。
    誰もがその器量に明らかに疑問を持つ息子さんをグループ会社の要職に次々と就かせた鈴木敏文会長の意図を聞きたかったです。全てはそこから始まっていると思うからです。

  • たね
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    削除されたユーザー
    必ず自分も含めてどこかのタイミングで終わりは来ますし、それが早かれ遅かれ後悔は免れないのだろうと思います。しかし有限の時間は熱狂に費やすことがよいと信じて今日も実家を後にしました。 お父様、お元気な証拠ですね!笑 それにしても北川景子似の女医さん、うちの指導医にも来て欲しい…なんて← 失礼しました(^_^;)

    いつ死んでも後悔するような、そんな生き方がしたい。それだけは譲れません。

  • たね
    見城徹見城徹

    いつも思うことがあります。何故、日本は会食をするとみんなお土産を持ち合うのだろうか?
    僕はお土産を持って行くことは滅多にないです。相手が欲しいものを持って行ける訳がないからです。たまに、自社の相手の人が興味がありそうな本を持って行くだけです。
    僕のように365日会食をしていると、お土産のお菓子や果物が毎日たまって行きます。3人と会食すると3つのお土産を自宅に持って帰ることになります。こちらが招待する時は、招待状に「お土産のご配慮は無用に存じます」と書き添えますが、大概の場合それでも先方は持って来ます。
    かくしてお土産は家の中に毎日積み上がり、マンションの管理人の方々や、僕の社用車のドライバー2人、掃除サービスのお姉さんたち、その他の方々に渡ることになります。
    中には秋元康さんのように、相手の喜びそうなものをそれこそ秘書の方と命懸けて探して持って来てくれるケースもあり、それは楽しみに自分で戴きますが、多くの場合は儀礼的なお土産です。お互い大変だし、いっそそんな習慣はなくした方がいいと思うのですが、やはり今日も続きます。
    僕はこの習慣は無駄だと思いますが、このことがお互いの心の慰めになり、日本経済にも貢献していると考えると、声高にも否定出来ません。
    僕の会社はお中元、お歳暮も数年前から廃止しましたし、僕は40年以上前から年賀状も出しません。贈りたいものがあればその都度贈ればいいし、伝えたいことがあれば、その都度手紙を書けばいいと思っているからです。つまり、儀式的な虚礼が嫌なのですが、そんな風に考えるのは僕だけなのかもしれませんね。
    何だか書きたくなってしまった戯れ言でした(笑)。

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  • たね
    見城徹見城徹

    僕はお中元もお歳暮も辞退している。無論、自分も贈らない。それでも、膨大なお中元やお歳暮が届く。正直に言えばその処分に頭を悩ませる。プレゼントは自分が本当にしたい人に、本当にしたい時に、本当にしたいものを贈ればいい。それならば「心」が籠る。儀礼的に贈ったり、贈られたりするのは僕は嫌いだ。