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闘病中の吉田拓郎を励ました……桑田佳祐の伝説ライブパフォーマンスとは? 90s チョベリー 2017年11月17日 10時00分 昔の桑田佳祐はかなり尖っていました。 たとえば、アイドル時代の菊池桃子が「ロック始めました宣言」をした時には「ロックははじめるもんじゃねぇ」と噛みついたり、自作映画『稲村ジェーン』を酷評したビートたけしには「感性が低い」と口撃してみたり、オノ・ヨーコをクソババア呼ばわりしたり……枚挙に暇がありません。 桑田佳祐が歌った『吉田拓郎の唄』 もちろん、歌い手である以上、自作曲でフックをかましたこともあります。 といっても、アントニオ猪木を敬愛し、古舘伊知郎の話芸を「実況という名のラップ」と絶賛したプロレス好きな彼のこと。ルール無用に罵ることはせず、あくまでプロレス的な“節度ある闘争”を仕掛けたものです。 特に有名なのが、弘田三枝子について歌った『MICO』と、そのものずばりな『吉田拓郎の唄』。 前者が「綺麗になってSoulを捨てて」とクサしながらも「Japanese Diana Ross」とわりかし賞賛多めな歌詞だったのに対し、後者は若干手厳しめな内容だったため、拓郎信者からの抗議もあったようです。 「拓郎だけは好きだった」とも発言していた桑田 吉田拓郎といえば、1970年代に「フォークの貴公子」として一世を風靡し、今日のJ-POPにおける基礎を築いたとも評される偉人。同時代を生きた若者にとってカリスマ的存在だった彼に、桑田も多大な影響を受けたらしく、かつて自著の中で「フォークは大嫌いだったけど、拓郎だけは好きだった」と告白しています。 また、自分で曲をつくろうと思ったきっかけは、拓郎の手掛けたフジ・フイルムのCMソング『HAVE A NICE DAY』を聞いたからだとも語っており、敬愛しているのは明らかなのです。 引退宣言をしていた拓郎へのメッセージソングだった そんな憧れの存在だからこそ、当時「引退宣言」をしていた拓郎に思うところがあったのでしょう。 桑田は1985年に発表した『吉田拓郎の唄』の中で、「唄えぬお前に誰が酔う」「一人男が死ぬ」「フォークソングのカス」といった歌詞を並べました。 しかも、もともとこの曲、仮タイトルが『死ね吉田拓郎』だったそう。 ちなみに、桑田の叱咤激励が届いたのか、拓郎は1988年に引退宣言を撤回しています。 ライブで披露された拓郎賛美の改変版 時は流れて、2003年。拓郎の身体に癌が見つかりました。幸い早期だったため手術で除去できたのですが、これまで大病を患ったことがなかったゆえ、不安な入院生活を送っていたそうです。 そんな拓郎を励ますため、桑田はサザンオールスターズのライブで久しく封印してきた『吉田拓郎の唄』の歌唱を決意。もちろん、必死に病魔と闘っている時に「カス」だの「死ぬ」だの罵るわけにはいきません。そこで桑田は、問題がありそうな箇所を以下のように改変したのです。 涙の辛さも教えずに 一人男が死ぬ⇒酔いどれ姿もいかしてた そんな男がいる 唄えぬお前に誰が酔う やがて闇に消える⇒今でもあなたの歌声が 胸を熱くさせる このように、拓郎賛美の内容にして歌い上げたのでした。 この時、桑田は47歳。すっかり角ばった部分が取れて、憧れや尊敬の気持ちを照れくさがらず、直球で表現できるようになったということなのでしょう。 曲の終了間際には、ステージに設置された大型のバックスクリーンに、拓郎の写真を映し出す演出も披露。 歌詞の中身も含めて少々クサい演出でしたが、そこには『吉田拓郎の唄』発表時から、いや、それよりもっと前から抱いていたのであろう桑田の変わらぬ「吉田拓郎・愛」がありありと見えました。

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