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修治さんの【山猫】の投稿を読んで、週末はヴィスコンティを観ようと決めていましたが、長すぎるのはしんどいし、他にも観たい作品があったので【ベニスに死す】を視聴。 この作品を観て感動し、トーマス・マンの原作を読んだのが35年程前ですが、全編に漂うヨーロッパ文化の伝統、知性、教養には、今見ても大変刺激されます。 さすが、名門貴族出身の監督です。 海の都ベニスのノスタルジックな美しさと、冒頭の俗悪な雰囲気漂う現地人とのやり取りからは、過労で倒れたための休養が不穏なものとなる暗示の様だ。 また、度々挿入される年下の音楽家との芸術議論は、老いた音楽家が絶対的な才能を備えた若者を目の当たりにして狼狽するシーンがある。 ここは相当深い議論をされているし、このやり取り自体が原作者トーマス・マンから読者への問いでもあるんですよね。 この作品は、単に同性愛的な性癖をもったロリコンおぢさんの話に変わりはないんだけど、哲学的な美術論争の回想シーンが効果的に挿入されるために、タジオ役のアンドレセンの追っかけに熱が入るのも頷ける。 あと、この作品で一番好きなのは駅のシーン。 療養を終えて帰路につくが、何かの手違いで荷物が見当たらない。 普通なら何としてでも帰宅する筈なのですが、もう一度ホテルに戻れるとわかって頬を緩めるダーク・ボガードの繊細な演技は、、、笑えます。 この様な単なる変人譚を、監督の腕一つでデカダンス的な滅びの映像詩に一変するんだから、やはりヴィスコンティって巨匠だなぁと思います。

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    某ブログで映画についての駄文を書いているが、今日調べてみたら500を超えていて驚いた。
    ただ、交流を広げたくないのと、「この作品、私も観ました!」的な内容の薄い人はフォロー申請されても…
    まぁ、こんな距離感で利用している。

    ただこのサイト、(この人、プロのライター?)と思う人や、ガチの脚本家や関係者もいるので、下手な映画サイトより奥深いレビューが多い。

    その中で、常にチェックしているユーザーが三人いる。
    一人は某劇団の作家で、ポッドキャストも運営されている方。
    彼のレビューは脚本と美術を中心に、監督の過去作なども交えながら全体的に論じている。
    だから、レビュー自体が作品を語るというより、美術館のキュレーターの様に、こういう側面から観るのもアリですという語り口。
    もう一人は、元編集者(多分、ぴあ)
    粗筋よりも、どう見て、どう感じたかの表現が秀逸。
    相当量の読書体験がおありの様子で引用も多く、レビュー読後は情報が多過ぎてヘトヘトになる。笑

    最後は、精神科医の女性
    この方、一日に一本を必ず観了されているようで、しかも観終わってすぐに投稿されている。
    職業柄だろうが、会話や仕草から予測される心理面の解説が鋭い。

    小説も映画も、情景描写/会話/心理描写の三つが上手く合わさって作品となるわけだが、この三名のレビューをミックスさせると様々な視点から一つの作品を楽しむ事が出来ます。
    評論家でも映画ライターでもない普通の人が、自分の内にある深い想いを…

    いやいや、そんな大袈裟な事ではない。

    知識の使い方をよく理解している人達であり、
    単に映画や小説、そして書く事が好きな人達です。
    自分をよく見せるためにSNSを利用している人達とは違い、創作物を心から楽しんでいる人達だと感じています。

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    修治修治

    2号店の方ですが順調な滑り出し。ぶっちゃけると1号店以上の売り上げ😅
    勝因は店のある場所・ロケーション。仕事というのは、自分の為だけに頑張るのは限界がありますね...
    自分も常にお客さんの満足の為に・スタッフの生活を豊かにしてあげたい...という気持ちで、自分の利益は最後に...という考えでやっているのが、良い結果に繋がっている様に感じる。
    1号店と貿易の仕事だけで、十分にやれているけれど、2号店がうまくいく事で利益が増えても、着るものは相変わらずUNIQLOやオッシュマンズ、ジーンズメイトで良いし、高級なレストランに行く気にもならない。
    そういう場所は20代の頃に散々行ったしね。
    お客さんが楽しめる場を、今後も育てていきたいものだ。

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    まずは二号店の無事オープン、おめでとうございます。
    そして「その店、盛況につき」は、オーナーの考え方がそのまま店舗に反映されている事は安易に想像がつく。
    だから今回の投稿には全てに共感しています。

    顧客満足とスタッフを豊かにしたい。

    高級店での食事も高い服も要らない。

    僕も同じくです。
    がむしゃらに働く事が美徳とされていた世代ですが、若い頃は多分ストレス発散と見栄がぐちゃぐちゃになっていたんだろうな。
    今回の引越しで高い服も殆ど処分したけれど、結果四十万くらいになったから儲けた気がする。笑

    まぁ今まで通り、のんびりやるつもり。

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    昨日はMLBワールドシリーズ第1戦を生中継で観ていた。
    注目していたジャッジは第一打席から変化球に対応出来ず苦労しているようだ。
    特に9回表、スライダー2球で追い込まれた場面は、全く合っていない。
    しかし、今日の二戦目は修正して来るはず。
    いい選手とは弱点を克服する能力がずば抜けている。
    それは当たっていない大谷も同じだ。

    第一戦は足を怪我していたフリーマンのサヨナラ満塁ホームランで決着したが、ヤンキースがフルスイング出来ないフリーマンと勝負するのは当然だが、足を引きずりながらホームへ向かうフリーマンを、苦々しく眺めるジャッジが印象的だった。

    そして、今日の第二戦
    ジャッジの第一打席
    今日もスライダーに合わせられず三振。
    ここまではドジャース投手陣のテクニックが上だろうが、このまま終わるはずがない。
    このシリーズは、そこからが面白くなるはず。

    スポーツを勝った負けたのみで語るのもいいし、プロ野球なんて面白くないと公言してもいい。

    楽しみ方は人それぞれだから、それはそれでいい。
    ただ僕は、野球中継をこういう風に楽しんでいると言いたいだけ。

    さ、今日はどんな試合になるのか。

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    “感性”とか“感受性”といった言葉や、賢い自分を主張してるような言葉は、自分を追い込むことになるので使いたくないんですが、そういうものが自分には決定的に欠けている、と常々感じている。
    だからこういう言葉を好んで使う人と接すると、間違いなくヘコむんですよね。
    めんどくさいな、と思ってしまって。笑

    でも、田舎の爺ちゃん婆ちゃんが、演歌や民謡を聴いて「この人、上手いねぇ」と語るは、技術的な事は解らなくても、直感的に理解してしまうあの感性は、以前森山大道がインタビューで「量を超える質はない」と語っていた事と合致する。
    観たり聴いたりして来た量が半端ないから「上手い」の基準がハッキリしているんだろう。

    先日糸井重里が、グーグルの社内規範に「邪悪になるな」という文言があると語っていたが、この邪悪の境界線っていうの中々難しい。 

    頭が柔らかくて想像力があって、たとえ自分が経験していないことでも感情移入できたり、心を揺さぶられるような“感性”や“感受性”があれば、量=経験が無くても邪悪か否かは解るんだろうなぁ。

    SNSでも現実でも「俺は解っていた」とか「前から思っていた」とか語る人が多いが、そんなサイキックな才能を持ち合わせているのなら他でも発揮して欲しいものだ。

    まぁ僕には到底無理な話だから、やっぱり量から質って事を続けていく。

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    昨日の投稿は、この映画を観て感じた事を書きました。

    映画製作の裏側もさることながら、タランティーノがどれほど多くの映画を観て、どれほど多くの役者と会って、話し、構想し、脚本を書き、一つの作品を仕上げて来たかが解りました。

    映画や小説、料理や写真など、あらゆる作品と呼ばれるものに「自分を込める」とはそういうめんどくさい作業だと思います。
    そして、映画の様に人と人が関わり合えば、そこに感情が生じる。
    人の感情を無視したりないがしろにすることは相手の心を踏みにじる行為でもある。

    僕がこの映画を「とっておきの作品になった」と感じたのも、タランティーノの〝感性”ではなく、人と人との濃密な関係性にフォーカスし、描いたものだったからなんです。

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    ミニコミからスタートした『ロッキン・オン』の創始者であり、かなり偏った評論家として有名な渋谷陽一が療養に入って一年になる。

    学生時代に聴いていたサウンド・ストリートは、ブリティッシュロックに偏った選曲で刺激的だった。
    当時主流だった「ベストヒットUSA」や「MTV」のアメリカ主体の洋楽ではなく、シンプルなギターロックが中心。
    ジョイ・ディビジョン、ニュー・オーダー、スミス、PIL、ディス・ヒート、バウハウス、ジザメリなど、僕の人生に彩りを与えた音楽に出会えたのは、全て渋谷陽一のお陰。

    ミュージックマガジンの故中村社長に「あいつは楽器は下手なくせに、古いブルースやソウルについて偉そうに書いてやがる」という記事を読んだ事があるが、渋谷さんは表彰式など公式の場では野次られるほど嫌われていたそうだ。
    役者やミュージシャンなど、いわゆる文筆の素人が書く批評が読まれれば読まれるほど、面白ければ面白いほど、職業評論家の怒りは増幅したんでしょう。
    本来、筆だけで競う土俵なのに、楽器の巧さまで持ちだすのはあまりにも理不尽な気がします。
    まぁ先に喧嘩売ったのは渋谷陽一の方だけど。

    ピーター・バラカンとの辛口対談や佐野元春とのソウル談義など、もう一度聴きたいテーマはまだまだ沢山ある。
    今はゆっくり療養して頂き、ぜひとも再開してもらいたいものだ。