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高架線のカフェテリア

#1586『山崎怜奈論 Break a leg』後編 そしてここから、 彼女の大躍進の足音が鳴り響く.... 2022年現在。山崎怜奈の現在のレギュラー番組はTOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」が週に4本、CBCラジオの箱番組「乃木坂46山崎怜奈の推しの1コマ」、テレビ朝日「春菜ザキさんのただの通販じゃねーよ!」、そして準レギュラーとも言えるテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」。つまり週7本のレギュラー出演をこなしており、まさに乃木坂のメディア組筆頭とも言える存在になった。加え2021年2月には初の書籍「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」を発売。6月には27th.Singleのアンダー楽曲「錆びたコンパス」で初のアンダーセンターを担当。そして8月Hanako.tokyoにてエッセイ「乃木坂46山崎怜奈の言葉のおすそわけ」、2022年1月幻冬舎plus「山崎怜奈と「学ぶ」を考える」の連載を開始した。筆者はこの経歴を書きながら改めて感じた、今の山崎怜奈はどう考えても「売れっ子」のスケジュールであると。 それでも彼女は一度も"選抜入り"を果たせなかった。では何故、アンダーであった山崎怜奈がここまでの大躍進を成し得たのか?それは、彼女の「愚直なまでの好きという趣味への"探究心"」と「圧倒的な"準備力とレスポンス力"」の2点であると考えられる。今ここに辿り着いた山崎怜奈は、新たな武器を見つけ磨き上げ独自路線を開拓したというより、元々あった「歴史・クイズ・ラジオ」という趣味に傾倒する道を選んだという言い方が正しいのかもしれない。より等身大を曝け出す事で。勿論、ここに辿り着くまでには多くのトライ&エラーを繰り返した。多い時で週25番組をチェックする程のラジオ好きな彼女はリアルタイムでトークアプリ755を更新し、それがきっかけとなり番組に呼ばれる機会も増え、それらの点は線となり、気が付けば昼ワイドのパーソナリティーを任され、今では多くのレジェンド達にも認められる程にラジオ界をザワつかせる期待の新星となっている。 多人数グループであるが故の宿命「選抜=勝ち組」というこの15年の習わし。それは乃木坂46も例外ではなく「選抜メンバーとして運営に認められ活動し広くに顔と名前を売り、それがきっかけで個人としての仕事に繋がって行く」がこれまでの方程式であった様に思う。だが山崎怜奈は「決して選抜だけが、夢を叶えられる道ではない」と新たな生き方を提示してくれた。そんな彼女の功績は大きい。 乃木坂46加入から9年半。今の山崎怜奈を見ていて思うこと。大切なのは、自分以外の何かになるのではなく、自分の持っている何かを追求する事。そして彼女の生き様は教えてくれる 「立ち止まってるより 前へ進め」 "かつての"じゃない方 バナナマン設楽、オードリー若林 南キャン山里、博多大吉、麒麟川島.... 今では揺ぎないポジションを確立しており 寧ろ業界を牽引する存在にすら成っている。 もしかしたら、彼女もまたそんな存在へと成り行くのではないだろうか。もしかしたら選抜、いやセンターが世間に与える影響を、今の彼女の活躍は成し得ていたのではないだろうか。私はそう確信している。 山崎怜奈とは、下町の万華鏡。 流行りじゃないけど価値あるもの 多面性があり、色んな角度から見ると その本当の輝きに気付く。 そしてその魅力は常に変わり続ける 彼女が覗く景色は、きっと美しい。 相変わらずめちゃくちゃ不器用でも どこにいようと何歳だろうと関係なく そのコンパスの先は、彼女らしく輝く。

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    #1595「久保史緒里論 Last Letter」

    悲しい出来事があると一人、夜の街をただひたすらに歩いた。孤独の闇を抱えて。

    久保史緒里。乃木坂46三期生。
    2001年7月14日生まれ。宮城県出身。
    東北楽天ゴールデンイーグルスの大ファン。
    2016年9月4日、乃木坂46へ加入。
    20th.sg「シンクロニシティ」にて初選抜。32nd.sg「人は夢を二度見る」では同期の山下美月と共にWセンターを務める。
    2022年2月16日より「乃木坂46のオールナイトニッポン」パーソナリティを担当。
    2025年11月27日、乃木坂46を卒業する。

    中学3年生の15歳。憧れだった乃木坂46に加入の為に彼女は上京した。地元への未練を断ち切る為、友人の連絡先は全て消した。覚悟は出来ていた筈だった。だが加入直後より多忙なスケジュールの毎日。当時の乃木坂46は人気絶頂を迎え3期生は即戦力を求められていた。彼女の不安な日々は暗いトンネルを一人進んでる様だった。迷惑になるかもと同期メンバーにさえ相談出来ず一人抱え込んだ。そして加入から2年後の2018年には4ヶ月間の休養を余儀なくされた。休養中、同期が活躍する場面をよく目にし「乃木坂じゃない私は意味があるのだろうか?」毎日そう考えるようになった。溢れる涙と共に。復帰後、映画の初主演や写真集の発売等、乃木坂46の久保史緒里としてその活躍の場を拡げた。

    時は流れ2023年8月28日。全国ツアー最終日、明治神宮野球場。加入から7年が過ぎ3期生は一番先輩となっていた。多くの仕事にも恵まれたが思えば苦しい事の方が多かった。だけど確かに今ここで私はこうして生きている。勘違いしたり道に何度も迷ってきたけど。だから強く言える、乃木坂46が大好きだって。この想いのまま駆け抜けたい....その日の夜、卒業を決めた。けれど決断はしたがすぐに卒業したくなかったのは理由がある。それが自分にとってもう一つの大切な場所「乃木坂46のオールナイトニッポン」。

    2022年2月よりオールナイトニッポンの2代目パーソナリティーに就任した。卒業を決意した神宮の時点でまだ1年半しかやれてない。流石に伝統ある番組を1年半で辞めるのは無責任だと思った。彼女の卒業が今日まで延びたのは紛れもなくオールナイトニッポンのお陰だった。
    アイドルの活動をしていたら心が保てなくなる時がある。深夜に帰宅後、朝まで台本を読みそのまま現場へ。自分的に消化出来ないまま芝居に取り掛かる事もあった。何度も心を削られ後悔も重ねて来た。それ程にグループ活動と個人仕事の両立は困難の連続だった。それが水曜日に重なると憂鬱になり「こんな状態でラジオ出来るのかな?」喋れる体力もない。でもニッポン放送へ来ると不思議と元気になった。嫌だった事とか抱えた苦しい事も忘れられた。家族のようなスタッフさんそしてリスナーが何より暖かかった。彼女にとってオールナイトニッポンは等身大で居られた実家のような場所だった。そんな3年9ヶ月の水曜深夜はもう一つの青春だった。

    本当は乃木坂46を卒業した後、芸能界は引退して地元の仙台に戻り楽天の広報に就職しようと考えていた。けれどこの2年間の様々な出会いを通して「乃木坂ではない私でも必要としてくれる人達がいるかも」と思える様になった。朝ドラ、大河ドラマ、映画に舞台。やればやる程に演技の魅力にのめり込んでいる自分が居た。憧れだった俳優の先輩方ともラジオを通して仲良くなれた。そのご縁を簡単に手放してはいけない。久保史緒里としてもう少し東京で頑張ってみようと決意が生まれた。

    そして今年の夏休み、屋久島に1人旅をした時に登山をした。以前、新曲のヒット祈願で富士登山をした際は「乃木坂の為」と思えたら全然頑張れた。それと比べると難しい登山ではなかったが、全部1人で準備して10時間の登山を終えた時「私は自分の為にも頑張れるんだ」と初めて思えた。乃木坂がないと頑張れない自分だったから。大好きだった乃木坂で過ごした9年の間に綴ったでも渡せなかった150通の手紙があった。訪れたこの屋久島でその手紙たちを燃やす事にした。昨日と違う新しい景色へ踏み出すため。夢の続きを信じて。そうして風のような9年間が過ぎ去った。

    近づいてきた別れの時間。
    期待と不安が混ざり合っても
    一つの歩幅大切にして来た
    あなたは乃木坂46の希望でした。
    乃木坂じゃないあなたも価値あるもの。
    もしも君がしあわせならそれが一番嬉しい
    どんな暗い世界でも立ち止まることはない
    何を言いたいかって言うと
    君は一人じゃない、ずっと見守ってる。
    さあ、未来が手を叩く方へ。

    頑張れ。