100匹の羊がいるとして、
その100匹の羊の生活や安全を考えるのが
政治や経済や倫理や法律の仕事だと思うけど、
その群れからすべりおちる一匹の羊の
内面を照らし出すのが、表現の仕事だと思う』
なんて、見城さんはときどき、
表現者の側に自分を重ねてセリフを発している。
売ってサポートする側としてのセリフと、
そのほとんど表現者としてのセリフの間を、
もう、交流電流のように、揺れているんですよ。
『大きな傷があって、それがひりひりして、
それを表現しなければ生きられないのが表現者』
とおっしゃる見城さんは、ほとんど表現者そのもので。』文中より引用
https://www.1101.com/telecom/26.html
かなかなのトーク
トーク情報- かなかな
かなかな 心が運動すると、風が起こる。 熱が出る。光が発生する。 人はそれに引き寄せられる。 それが君の魅力だ。 君の存在感だ。 運動しない心は何も生み出さない。 運動する心と心がぶつかり合った時、
傷口が拡がる。 返り血を浴びる。涙も出てくる。 でも、そこからが本当の関係なんだ。 そこからがすべての始まりなんだ。 君たちの心は運動したか? 運動したら、わかるはずだ。 やればできる。 編集とは感動だ。
見城徹
編集者 魂の戦士より
今日はこの言葉を思い返していた。
心の運動をすると苦しかったり辛かったり。
でも、その分嬉しさや喜びも大きい。
いま、この「心の運動」をする人が少なくなったなぁと思う。
冷静だけれども、どこか表面的。
諍いは少なくなったけれど、そんな繋がりをたくさん持っていて楽しいのかなと。
見城さんのこの授業をみんな受けて欲しい。
そんなに上手く生きなくていい。
傷を負ってこそ勲章じゃないか。
私は見城さんにそう言われているように、感じたし、そう生きていきたいと思っている。
でも、それをすると面倒なことを拾ってくるし、また自分を苦しめる。
でも、それをわかってくれる人だけが周りに残る。
それでいいのかなと思う。